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2007年12月06日 (木) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (22)


またもや、おじいちゃんが
「かんしゃく」をおこしてしまった。

おじいちゃんは、
ほとんど寝たきりに近く、
言葉も不自由である。

それを何とか自宅で介護しているのだが、
一番困るのは「かんしゃく」である。


何も心当たりのないときに、
おじいちゃんが急に怒り出し、
動きにくい手を振りまわして、
ベッドの横においてあるコップなどを
床に落としてしまうのである。

この日も久しぶりに訪ねてきた娘が、
何かと世話をしていたが、

「おじいちゃん、おむつをかえて
あげましょうか」と言った途端に、
老人のかんしゃくが爆発したのである。

別に起こられるようなことを
何もしていないのに、
おじいちゃんは困りものだ。

入院させた方がいいのではないか、
などという家族の話し合いにまで発展
しそうになった。

しかし、老人はやたらに怒って
いるのではない。

子どもたちが「……してあげる」と
何となく恩着せがましく言うのが
たまらないのだ。

「お水をもってきましたよ」
と言えばいいのに、なぜ
「お水をもってきてあげましたよ」
というのか。

自分はかつて子どもたちに対して、
金をもうけてきてやったよとか、
育ててあげたよ、などと言ったことが
あるだろうか。

それに今なぜ、この自分に対して、
恩着せがましく言うのか、
と彼の怒りが爆発するのだ。

この話を聞いて、
皆さんは老人の勝手な言い分と
おもわれますか、あるいは、
もっともなことと思われますか。



次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
洗礼
洗礼を水で行うことに関しては
日本でも結縁灌頂では頭に水を注ぎますので
ちょっと違うのではないでしょうか。

というより太古生命そのものが水から誕生した
ということが、キリスト教や仏教の入信の儀式に
なったものではないでしょうか。



2007/12/06(Thu) 19:43 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
身体を動かすこと
身体を動かすことが、
生きることの基本といえるじゃ。

私も、ほんにそう思いまする。
子供に依存しない生活を送るためにも
寝たきり老人にだけはならないように
これから身体を動かし、食生活にも
留意していかねばなりませんね。


今回の記事の、寝たきり老人のかんしゃくは
自分がその立場にたっていないので実際は
分かりませんが、今の私の気持ちとしては

老人の勝手な言い分3:7もっともなこと

といったところです。


2007/12/06(Thu) 19:19 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
子供に期待してはいけない
父とは私が十歳以降一緒に生活したことが
ありませんでしたから、亡くなったという
知らせが来ても、ほとんど心を動かされること
もありませんでしたが、

母が亡くなったとなると(まだ生きてます^。^;)
かなりこたえるかもしれません。

こうした自分の母に対する接し方をみるにつけ、
子供に期待してはいけないということだけは
ほんとに肝に銘じておりますところです。


2007/12/06(Thu) 19:01 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
寝たきり老人でしたね
 うっかり、斜め読みしていたので、寝たきり老人ということを忘れておったじゃ。大ボケじゃ。

 介護は非常に難しいね。古代エジプト時代から人間は足から老いていくといわれたように、人間は、毎日、適度な運動をしないと、たちまち、内臓に影響が出てしまうじゃね。

 だから、本人もできるかぎり、かといって過剰になってはかえって逆効果だし、本人の自主性が第一じゃし、なるだけ運動することが必要じゃが、寝たきりとなってしまっては難しいところじゃね。

 寝たきりを治すのは、高度な気の操作を必要とするので、まず、本人の自覚がなければ、ほとんど不可能じゃろうね。

 本人の、肉体を操作する気に障害があるのを、動かして、元の気に戻す位の気の再生力をもった、気の治癒の達人でなければ、困難じゃね。

 寝たきりの場合は、親と過ごした過去の楽しい思い出を語ってあげるのがせめてもの愛情といえるとこでしょうかな? 或いは、思い出の地の旅に出るとか?
2007/12/06(Thu) 09:35 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
軽いてんかんの一種なのでは?
 「てんかん」というと、大袈裟にとられがちじゃが、運動不足といえば、納得いくものかもしれんじゃ。

 秘教で、「てんかん」といえば、自我と心が、気と肉体に、充分浸透しておらず、意識は目覚めているのだが、外界の情報をしっかりと把握できずに、悪戦苦闘している状態というじゃ。

 注意すべきことは、何処か器官に異常がないか、例えば、同じことを何度も言う傾向にあるなら、肺に異常がみられ、頑固で融通がみられない傾向にあるなら、肝臓に異常がみられるはずじゃという。

 何処か器官の異常が、気を凝り固まらせ、自我と心の浸透を阻むので、外界の情報をうまく取り入れることができずに、悪戦苦闘し、ストレスになり、副次的に脳の変性として現れてくるようじゃね。

 だから、器官を上手く調整するために、適度な運動、体操、ダンスみたいなのがよいというじゃ。中国人は老人になると、太極拳をやるが、インド人はヨガじゃね。これらは非常に理に叶った健康法といえるじゃね。

 日本も老人になると、昔はラジオ体操があったが、外に出て、何かダンスみたいなのをやると良いと思うじゃ。

 あれこれ、考えるよりも、身体を動かすことが、生きることの基本といえるじゃ。

 昨日の挨拶の話じゃが、日本人があまりベタベタしないのは、風土のせいだと思うじゃ。日本は湿度が高いし、ほとんどが山地で、人口密度が高いといえるじゃね。恐らく、熱帯雨林に住む人々も、あまりベタベタしないのじゃないかな?

 西洋人がベタベタするのは、洗礼を水で行うことが大きいと思うじゃ。人間は母体にいるときは、水のなかで守られているわけじゃが、この安心感、愛情を水から得ているともいえるじゃね。

 乾燥地帯に住む場合も、水は貴重だから、お互い、分け合ってということで、ベタベタするようになったとも考えられるじゃが、ちょっとこじつけぽいかもしれん。

 東洋人の場合は、生後の影響が大きいと思う。祈祷や、御辞儀で、神仏から守られているという安心感を得ているといえるじゃ。

 つまり、どうやって神々とつながるかが、挨拶の手法に変わったのだと思うじゃ。最初は神聖なものだったが、段々形骸化して、そこに利己表現が加わり、低俗になったんじゃろうね。そのうち、1分に1回、愛してるといわなきゃいけなくなるじゃろうね。頻繁に確認しなければならないほど、実は愛が薄れているともいえるじゃね。 
2007/12/06(Thu) 09:08 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
順番 順番^^。
振り返ってみるのに、親にしてもらったほど、私は親孝行をしないまま両親はあの世に行ってしまった。
「親孝行したいときに親は居ず」なんて、母もよくいってた^^。だから、やまんばも子供に期待してはいけないなあと覚悟をし始めている。子供は自分の生活でいっぱいなのだ。私が死んだとき、「もう少し親孝行をしてあげたかったのに・・」と涙を流しながら、いうことでしょう^^。私が悔やんだように。それでいいのだと思い始めている。順番 順番。さてさて、しっかり覚悟をしておきましょう!出来るかなあ^^^^・・・恨みがましく 愚痴をいわねばいいけど・・。
2007/12/06(Thu) 08:07 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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