2007年12月05日 (水) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (21)


西洋にはあいさつをするときに
握手をする習慣がある。

これに対して、
日本人はお辞儀をする。

両者の決定的な差は、
握手の場合は、
人間の皮膚と皮膚の接触がある、
ということである。


彼我のあいさつの仕方の優劣について、
何のかのと論じる気はないが、

老人の場合は、
相手の肌に少しでも触れることによって
何かを感じることが、
大きい意味を持つのではないか、
と思われる。

年をとってくると何気ないことでも、
ずいぶんと大きく感じたり、
強く感じたりするところがある
(もちろん、この逆の場合もあるが)。

ただ、目を見合わせたり、
お辞儀をしたりするだけよりも、
手と手を握り合うことによって感じることは、
大きいと思われる。

孫が病床のおじいちゃんを見舞いに行き、
別れるとき、
単に「さようなら」と言うのと、
そのときに握手するのとでは、
随分と感じが違うのではなかろうか。

旧友がばったり会って、
「しさしぶりだなあ」というときに、
二人が握手するのとしないのとでは、
伝わるものが変わってくるのではなかろうか。

別に西洋の風習の方がいいから取り入れよう
というのではなく、老人に対して、
その肌に触れることによって伝わるものの
意義を感じる故に、

老人相手のときには、
もっと握手をしてもいいのではないか、
と提言するのである。

肌の触れ合いが、
こころの触れ合いを強化してくれる
はずである。



次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
動物は挨拶しないじゃ
たしかにわがヨボヨボの老犬も今までに
一度も「おはようござんす」とか「おこんばんわ」
と挨拶をしてくれたことは、ありませなんだ。

しかしながら、毎回あの大きな尻尾をドアにバコバコ
ぶつけながら「やあおやぶん、わしゃぁあんたを
すいちょるとヨ」言っていると思う。

うっかりすると濃厚なキスを受けることもあったりして
油断できないが、ゆるぎない愛でわれわれは結ばれて
おるのじゃ~



2007/12/05(Wed) 21:28 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
握手・・・
握手はお互いの好意を示すために行われるもので、
これを拒絶することはエチケットに反する・敵意を
持つと考えられる。

その元々の由来は、イスラムの習慣で、
利き手を制することで武器を隠し持っていないことを
示すための意味があったという。


最近の若者は平気で
キスしたり、抱き合ったり、握手したりするけれども
古来の日本にあったものではなく、
西洋等から輸入したものですよね。

アメリカでは一日一回は必ず「愛してる」と言って
キスしなければいけないそうですけど。

面倒なことというか、キスにしても握手にしても
お互いを信じてないからなのではないでしょうか?

日本人はなにも握手しなくても、キスしなくても
以心伝心で分り合える美徳があったのに、
そういった直感がなくなってきたのでは
ないでしょうか?

本来日本人は、ベタベタするのが好きではなかった
のではないかなぁ~




2007/12/05(Wed) 21:13 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
自我の領域
 人間には、模倣衝動があるじゃ。脳は、いわゆるイメージの盗人といえるじゃ。幼児の脳が盗人でなければ、人間は成長できんといえるぞなもし。

 つまり、人間には生まれながらに盗人の素質を、盗癖をもっているじゃ。眼に映る全てのものを自分のものにしたいという願望、つまり、低次の自我をもっているぞな。

 これは思考の特徴ぞな。思考は盗人ぞな。

 しかし、この盗癖の自由さ、つまり境界は、思考だけに限られるじゃ。行為や生活にまで、盗癖を及ぼすようなら、たちまち、問題児とされる。

 つまり、成長するにつれ、理性が働き、公私のけじめ、境界が生まれてくるわけじゃね。公の精神に目覚め、他者というものを理解するようになるじゃ。動物には、この認識はない。動物は自分が生きる為なら、なんでも自分のものにするじゃ。

 人間には、公の精神、つまり高次の自我が芽生えるじゃ。そして他者の立場をも理解する愛の精神、つまり霊我を獲得できるじゃ。

 挨拶とは、人間が、この公の精神、愛の精神を獲得している証でもあるじゃ。動物は挨拶しないじゃ。

 この公の精神、愛の精神は、強い意志から生じるじゃ。つまり、盗癖を抑え、忍耐し、理性をもたらす意志じゃ。

 成人、もしくは大人になってまで、意志が薄弱で、この盗癖を続けるなら、動物の存在と同じわけじゃね。悪徳政治家や悪徳官僚は、意志薄弱児といえるじゃろうね。人間の顔をした獣じゃろうね。

 さて、大人になると、しっかりした挨拶が求められるのはいうまでもなく、社会人たるもの、礼儀が第一とされるじゃね。

 性悪説はこの盗癖のこと、性善説はこの善の意志のことで、盗癖を善の意志で抑え、礼儀を重んじることが儒教の説く中庸の精神じゃね。

 西洋の場合は、お互い皮膚と皮膚の境界で触れ合うことで、自他の意識、つまり公の精神を身につけ、東洋の場合は、お互いお辞儀して、相手の気持ちを察することで、公の精神を身につけているわけじゃね。

 西洋が触れ合うのは、愛の精神を求めることから、東洋がお辞儀なのは、敬の精神を求めることが最上とされる、いわば文化表現の違いといえるじゃろうね。

 西洋は、見えるものに重きを置き、東洋は、見えないものに重きを置く相違があるじゃね。

 しかし、愛も敬も真善美に同じで、いわば陽と陰といえるじゃね。
2007/12/05(Wed) 15:10 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
しかし、なぜなんだろう?触れ合うことで、化学反応のように心が変化していくのだろうか・・・?
2007/12/05(Wed) 11:31 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
スキンシップ
これは生きて行くうえで、なくてはならないものだと思います。お年寄りにかぎらず、だれにでもいえることだと思います。不安なとき、寂しいとき、うれしいとき、握手したり、触れ合い、抱き合ったりすると、悲しみや寂しさは半分になったり、消えたりするし、喜びは何倍にもふくれる。痛みはただ(さする)だけでも、軽くなります。互いのの心と体にも、大切な行為だと感じます。
2007/12/05(Wed) 11:23 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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