ウォーキング・メディテーション(歩く瞑想)(つづき)
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (14)
戸外でウォーキング・メディテーションを行うときには、
いつものペースよりゆっくりめに歩きます。
そして、その歩みに呼吸を合わせてゆきます。
たとえば、息を吸いながら三歩、
息を吐きながら三歩歩きます。
「吸って、吸って、吸って。
吐いて、吐いて、吐いて」
とくちずさむのです。
こころのなかで「吸って」とつぶやいてみると、
吸う息と歩みが一体となります。
私たちはよく何かの名前を呼ぶと、
それを目の前に思い浮かべることが
できるでしょう。
あなたが友だちの名前を呼ぶと、
その友だちのすがたが浮かんでくるように。
もしも三歩でなくて四歩息がつづくならば、
ひと息で四歩歩いてください。
ひと息で二歩しか歩けなかったら、
それはそれでよいのです。
息の長さはひとりひとりちがうものです。
また、入息と出息を同じペースにする必要も
ありません。息を吸いながら三歩歩き、
吐きながら四歩歩いてもかまわないのです。
歩いていて、しずかな喜びが湧きあがって
くるならば、それが正しい歩き方です。
それから、大地とあなたの足が接する、
その感触に気づいてみてください。
一歩あゆむごと、
そっと大地にキスをするように歩きます。
私たちはいつもこの母なる大地を痛めつけて
います。だから今度は、この大地をそっと
大切にいたわってやってごらんなさい。
大地のおもてに私たちの平和と静寂を返して、
愛を分かち合う。そんなふうに歩くのです。
ときには美しいものに目を向けて、
じっと見つめてみるのもいいですね。
木や花や戯れる子どもたちのすがたに目を
むけてみましょう。見つめながらも自分の
息からこころを離さないでください。
そうすれば目の前の美しい花からこころが
それて、ほかの思いが入りこむことは
ありません。
そしてまた歩きたくなったら、
見るのをやめて歩きはじめます。
一歩あゆむごとに心地よい風が立って、
こころと体をリフレッシュしてくれます。
一歩踏みだすごとに足もとに花が咲きます。
過去や未来を思わず、いま、ここ、
このときに生きることができたら、
私たちの一歩一歩のあゆみのなかに、
だれもが美しい花を咲かせることが
できるのです。
次回につづく
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戸外でウォーキング・メディテーションを行うときには、
いつものペースよりゆっくりめに歩きます。
そして、その歩みに呼吸を合わせてゆきます。
たとえば、息を吸いながら三歩、
息を吐きながら三歩歩きます。
「吸って、吸って、吸って。
吐いて、吐いて、吐いて」
とくちずさむのです。
こころのなかで「吸って」とつぶやいてみると、
吸う息と歩みが一体となります。
私たちはよく何かの名前を呼ぶと、
それを目の前に思い浮かべることが
できるでしょう。
あなたが友だちの名前を呼ぶと、
その友だちのすがたが浮かんでくるように。
もしも三歩でなくて四歩息がつづくならば、
ひと息で四歩歩いてください。
ひと息で二歩しか歩けなかったら、
それはそれでよいのです。
息の長さはひとりひとりちがうものです。
また、入息と出息を同じペースにする必要も
ありません。息を吸いながら三歩歩き、
吐きながら四歩歩いてもかまわないのです。
歩いていて、しずかな喜びが湧きあがって
くるならば、それが正しい歩き方です。
それから、大地とあなたの足が接する、
その感触に気づいてみてください。
一歩あゆむごと、
そっと大地にキスをするように歩きます。
私たちはいつもこの母なる大地を痛めつけて
います。だから今度は、この大地をそっと
大切にいたわってやってごらんなさい。
大地のおもてに私たちの平和と静寂を返して、
愛を分かち合う。そんなふうに歩くのです。
ときには美しいものに目を向けて、
じっと見つめてみるのもいいですね。
木や花や戯れる子どもたちのすがたに目を
むけてみましょう。見つめながらも自分の
息からこころを離さないでください。
そうすれば目の前の美しい花からこころが
それて、ほかの思いが入りこむことは
ありません。
そしてまた歩きたくなったら、
見るのをやめて歩きはじめます。
一歩あゆむごとに心地よい風が立って、
こころと体をリフレッシュしてくれます。
一歩踏みだすごとに足もとに花が咲きます。
過去や未来を思わず、いま、ここ、
このときに生きることができたら、
私たちの一歩一歩のあゆみのなかに、
だれもが美しい花を咲かせることが
できるのです。
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Comment
霊
2007-11-29 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
思考とは憑依されること?
「呼吸から、周囲の霊を摂取して、
思考を身に着ける」ということは
周囲の霊がのりうつって思考がなされる
ということでしょうか?
仏教において瞑想(漢訳「止観」)は、
(止行)と、(観行)とに分けられています。
のりうつってなされる思考を止めるのが
サマタ瞑想(止行)であり、
のりうつっている「物事をあるがままに見る」
のがヴィパッサナー瞑想(観行)であります。
「止観」によって、私たちは、思考に惑わされ
ることなく生きることができます。
思考を身に着ける」ということは
周囲の霊がのりうつって思考がなされる
ということでしょうか?
仏教において瞑想(漢訳「止観」)は、
(止行)と、(観行)とに分けられています。
のりうつってなされる思考を止めるのが
サマタ瞑想(止行)であり、
のりうつっている「物事をあるがままに見る」
のがヴィパッサナー瞑想(観行)であります。
「止観」によって、私たちは、思考に惑わされ
ることなく生きることができます。
2007-11-28 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
透明人間、あらわるあらわる〜
やまんばさんの「短い間での一体感」
透明人間のような感じは、
ナチュラル・ハイの状態だったのだと
思います。一瞬のサマーディ(三昧)体験
なのかもしれません。
幻想といえなくも無いですが、
やまんばさんが実際に体験されたことでも
あります。
「すぐに呼吸に戻らねばならなかったのだろうか?」
については、なんともいえませんが、
「あるがままでよい」とお考えください。
このような体験は、
コントロールしようとした途端に消えてしまいます。
ですから、あるがままでしかないのです。
透明人間のような感じは、
ナチュラル・ハイの状態だったのだと
思います。一瞬のサマーディ(三昧)体験
なのかもしれません。
幻想といえなくも無いですが、
やまんばさんが実際に体験されたことでも
あります。
「すぐに呼吸に戻らねばならなかったのだろうか?」
については、なんともいえませんが、
「あるがままでよい」とお考えください。
このような体験は、
コントロールしようとした途端に消えてしまいます。
ですから、あるがままでしかないのです。
2007-11-28 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
霊を呼吸している
以前にも話したように、人間は不可視な存在の霊を呼吸しているじゃ。1分間約18回の呼吸数が、1日になると、1プラトン数(18×60×24=25920)の黄道の1周期になるじゃ。
呼吸から、周囲の霊を摂取して、思考を身に着けるじゃ。だから、思考も、霊の御蔭といえるじゃね。思考は、人間が考えたものでなく、あらかじめ、宇宙、大気のなかに、不可視な形で存在しておるじゃ。
これを東洋哲学では、「気」と呼んでいる。大気は、宇宙の気、天気で、人間の気は、小気、あるいは生気といえるじゃろうね。
だから、天気を読むとは、実は、宇宙から気を貰いうけ、思考を継続することをいうじゃ。外の大宇宙に対して、人間の中の内の小宇宙という関係が成り立っているじゃ。
確か、人間の歩く距離の単位のマイル(古代のマイル単位)なども、ここから由来したというじゃ。
自然界には、火、風(気体)、水(液体)、土(固体)の状態が存在するが、人間のなかにも、腎、心臓、肝臓、肺が存在し、外の気象状態と同じように、人体の気象状態を作り出しているというじゃね。
外には太陽光が差しているが、実は、人間のなかでも、霊光と呼ばれる光がつくりだされているというじゃ。
実は、物質的な太陽光は、大気の成層圏の熱層の外で作り出され(だから、その外は暗い)、その外には、化学力が、更にその外では、生命力がつくりだされているというじゃ。
これらの光、化学力、生命力が、地に到達し、光が熱から気体を形成し、化学力が中和され液体を形成し、生命力が殺され固体を形成するというじゃ。
人間のなかでは、光が腎臓の素となり、化学力は肝臓の素になり、生命力は肺の素になるというじゃ。
生命力は地で殺され、固体化し、腫瘍となるという。地球の地層堆積は、その現れだというじゃ。
あらゆるものは、天の力と地の力のバランスで成り立っているというじゃね。
呼吸から、周囲の霊を摂取して、思考を身に着けるじゃ。だから、思考も、霊の御蔭といえるじゃね。思考は、人間が考えたものでなく、あらかじめ、宇宙、大気のなかに、不可視な形で存在しておるじゃ。
これを東洋哲学では、「気」と呼んでいる。大気は、宇宙の気、天気で、人間の気は、小気、あるいは生気といえるじゃろうね。
だから、天気を読むとは、実は、宇宙から気を貰いうけ、思考を継続することをいうじゃ。外の大宇宙に対して、人間の中の内の小宇宙という関係が成り立っているじゃ。
確か、人間の歩く距離の単位のマイル(古代のマイル単位)なども、ここから由来したというじゃ。
自然界には、火、風(気体)、水(液体)、土(固体)の状態が存在するが、人間のなかにも、腎、心臓、肝臓、肺が存在し、外の気象状態と同じように、人体の気象状態を作り出しているというじゃね。
外には太陽光が差しているが、実は、人間のなかでも、霊光と呼ばれる光がつくりだされているというじゃ。
実は、物質的な太陽光は、大気の成層圏の熱層の外で作り出され(だから、その外は暗い)、その外には、化学力が、更にその外では、生命力がつくりだされているというじゃ。
これらの光、化学力、生命力が、地に到達し、光が熱から気体を形成し、化学力が中和され液体を形成し、生命力が殺され固体を形成するというじゃ。
人間のなかでは、光が腎臓の素となり、化学力は肝臓の素になり、生命力は肺の素になるというじゃ。
生命力は地で殺され、固体化し、腫瘍となるという。地球の地層堆積は、その現れだというじゃ。
あらゆるものは、天の力と地の力のバランスで成り立っているというじゃね。
2007-11-28 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
呼吸を意識する
家のまわりの馴染み深い風景をなにげなくみていました。秋色の空、雲、山、稲の刈り取られた田んぼ、色づいた木立や鳥たち・・・やまんばはそれらと溶け合い 全体で力強く呼吸をしている
ほんの短い間ですがそんな一体感を感じました。
その時の感覚は自分がまるで透明人間のようになったよう感じでした。呼吸を意識する肝心のやまんばがいない・・そんな感じです。
あれって幻想なんだろうか?すぐに呼吸に戻らねばならなかったのだろうか?
ほんの短い間ですがそんな一体感を感じました。
その時の感覚は自分がまるで透明人間のようになったよう感じでした。呼吸を意識する肝心のやまんばがいない・・そんな感じです。
あれって幻想なんだろうか?すぐに呼吸に戻らねばならなかったのだろうか?
2007-11-28 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
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「霊」が見えないだけに、わかりません。
(思考は、人間が考えたものではなく、あらかじめ、宇宙 大気のなかに、不可視な形で存在しておるじゃ)・・・・何々、やまんばは大小さまざまな形をした思考のシャボン玉が空気中に浮かび、金魚のように呼吸とともにそれを食べてるの????ありゃ〜、どうしたらよいのだろう。食べたくない思考は体の中にセンサーがあり、吐き出しているのだろうか?
それに、(霊光と呼ばれる光を人間はつくりだしている)・・霊光って何ですか?
ああ〜、マリアさんがいたらなあ。錬金術者さんのコメントに対してどう思うだろうか。帰って来てほしいなあ・・。トムとジェリーのように・・^^。