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2007年11月26日 (月) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (12)


食事のあとの皿洗いがいやだと思うのは、
皿洗いをする前までではないでしょうか。

いったん流しの前に立って、
袖をたくしあげて、
温かい水に手を浸して洗い始めたら、
とても楽しい仕事です。

私は一枚一枚時間をかけて皿を洗うのが好きです。
皿や水、そして皿を洗う手の動きにすっかり
気づいているからです。


もしも早くデザートが食べたくて、
いそいで皿を洗ったら、
皿洗いは不快なものになり、

時間をかける値打ちのないものになって
しまいます。

こんなふうにしか皿が洗えないとしたら、
とても残念です。一分、一秒たりとも私たちが
こうして生きていられることはまさに奇跡であり、

皿がここにあって、私たちがここで皿を洗える
ということは、まぎれもない奇跡なのですから。

もしも私が楽しんで皿を洗うことができなかったり、
早くデザートが食べたくて大いそぎで皿洗いをした
としたら、同じように、デザートも味わって食べる
ことができないでしょう。

フォークを手に持って、次に何をしようかなどと
考えていたら、そのデザートの味も香りも、そして、
おいしいデザートにありつけた喜びもなくなって
しまいます。

いつも先のことにこころを奪われてしまったら、
いつまでたっても、いま、この瞬間に生きることは
できなくなります。

私たちの思いも行動も、気づきの光で照らせば、
すべて神聖なものになります。
この光に聖も俗もありません。

正直にいって、このような荒い方をすると、
時間は少しばかり長くかかりますが、
一瞬一瞬が生きて、本当に楽しく皿が洗えるのです。

皿を洗うことは目的であり、
また同時に手段でもあります。

言い換えれば、皿をきれいにするだけでなく、
ただ皿を洗う、
そのこと自体のために皿を洗うのです。

いまこのひとときを十分に生きるために、
皿を洗うことにいのちをかけるのです。



次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
錬金術者さんのコメントで
精霊たちのお話のところで、まるで映像をみるようにイメージが浮かんできました。
いつか、そんな絵をかいてみたいと思いました。

精霊たちは、愛情に敏感なので、愛情が何よりも必要・・・やまんばの庭にも精霊たちがいるんだわ。カハカハ。可愛いな!居心地よくしてあげなければ・・
2007/11/27(Tue) 06:52 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
本来無目的
坐禅でも何かの目的のために修行をするのは、
本来の仏教の思想(本来無目的)からはずれる
といいます。農作業のりんご作りも
そうなのかもしれません。

目的があるとその目的が頭から離れず、
けっきょく無心になれない。

目的をもたず、ただひたすらそれに打ち込む、
そうしたとき、本当のものが見えてくる。
ほんもののりんごができるのでしょうね。


2007/11/26(Mon) 21:45 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
小乗仏教
小乗仏教は大乗仏教からつけた差別語であり
まして、最近ではもっぱら上座部仏教と
いわれるようになりました。

このティク・ナット・ハンさんも、
スマナサーラさんも上座部仏教に属している
といわれています。

さて、こうして身近にティク・ナット・ハンさんや、
スマナサーラさんの本や講演を聞いてみますと
とても分かりやすいことに驚かれた方も多いのでは
ないでしょうか。

私などはろくに上座部仏教の本などを読みもしないで
理解もしないままに蔑視いていたことが恥ずかしいです。

このあと、テレホン・メディテーションやドライヴィング
メディテーションなど、日常のわれわれにすぐに役立つ
瞑想法が出てまいります。おたのしみに。


2007/11/26(Mon) 21:18 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
報酬は行いをみて与えられる
 無農薬栽培の話は為になりましたじゃ。

 確かに農家は、表面的には、農作物をつくることが仕事といわれるが、農作物に不可欠なのは、まず土をつくることじゃね。土をつくるのに、少なくとも7~8年はかかるわけじゃ。

 人間は、目的の為に、少々手抜き作業を行うが、自然のプロセスには、手抜き作業がないじゃ。それに、人間は、食べられる農作物だけしか目的にないが、自然は、人間に食べられる農作物だけを育てているわけではないじゃ。天は平等に生命を与えているじゃ。

 害虫や雑草というのは、人間からみた視点じゃね。虫だって、地球に生きている以上は、農作物を食べる権利はあるわけで、雑草も、食べれないからといって、排除され、抜かれる理由はないじゃね。

 人間は自分たちのことばかり考えているが、自然は、人間を含む全体の事を常に考えているわけじゃね。人間が利己主義から農薬を使えば、その土地は、段々と疲弊していくわけじゃね。

 つまり、農作物は、育てた人がどれだけ手をかけたかということに尽きるわけじゃね。この事は何も、農作物に限らず、どれだけ、愛情を込めたかで、報いが異なるわけじゃね。

 天は、その人の行いに平等に報いるじゃね。

 秘教では、土の中に精霊がいて、この精霊たちが、宇宙の理念を集め、受精させるというじゃ。植物の場合、火の精霊が宇宙の熱を花粉に集め、風の精霊と共に、種を形成するというじゃ。そして、水の精霊が、植物の霊的な設計図(理念)を構築し、土の精霊に受け渡すというじゃ。

 だから、しっかりとした植物が育つには、火、風、水、土の精霊の協力が必要だというじゃね。精霊たちは、愛情に敏感なので、愛情が何よりも必要ということじゃね。 
2007/11/26(Mon) 11:31 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
やまんば、涙がとまりません。
今日のブログ。与えられた毎日が奇跡にように変っていくのですね。


先にことに思いを馳せるのではなく、今をしっかり丸ごと味わいながら生きていこう。

何度も何度も聞かしていただいている言葉を、大切に大切に実行しながら、生きていこう。

大地を踏みしめ、一歩一歩、生きていこう。
死の門をくぐったことも忘れるように、瞬間瞬間を生きてゆきたい。


2007/11/26(Mon) 08:36 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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