2007年11月10日 (土) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (16)


最近では、いわゆる老人ぼけについての
関心が強くなり、ぼけ防止などが
マスコミで論じられるようになった。

そのなかでよくあげられることのひとつに、
趣味をもとうということがある。
確かにこれはいいことである。

趣味によって心が慰められるし、
そのために身体や頭脳も使わねばならないので、
ぼけの防止になる。


趣味が大切というので、
五十歳過ぎてから碁をはじめた人があった。

だんだん腕があがってきたので夢中になりだした。
定年退職後も、確かに碁が支えになってくれた。

碁友達も増えるし、老人の孤独など考えられない
という状況であった。

ところが七十歳ごろになると、
碁が急に重荷になり、
見るのも嫌になってきた。

碁に誘われて、断ってしまってから
申し訳なく思い、いっそ死んでしまいたい
とさえ思うようになった。

碁どころか、生きてゆくことそれ自身が辛く
なってきた。碁など完全にやめようと思っても、

せっかく碁盤や石などを贈ってくれた人に
悪いと思ってしまうのである。

これは、碁に熱心になりすぎて、
碁を「遊ぶ」ことを忘れてしまったことが
大きい要因と思われる。

遊びも熱中しないと駄目である。
しかし、それは「仕事」ではない。

何もこの話によって碁は駄目だなどという気は
まったくない。

要はいかなる趣味であれ、
それを遊ぶことができてこそ老後に役立つ
ということである。



次回につづく


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「雀(すずめ)百まで踊(おど)り忘れず」
どうやら
「お前百までわしゃ九十九まで」と
「雀(すずめ)百まで踊(おど)り忘れず」
の2つのことわざが結びついて、

「人間の色恋は百まで(死ぬまで)あるぞ~」

という祖母オリジナルのことわざができあがった
のでしょうな。それを話しているときの祖母の
満面の笑顔はいまでも忘れられませんです。



「御前(おまえ)百までわしゃ九十九まで」は、
「共に白髪(しらが)の生えるまで」と続く。

「お前」は夫を、「わし」は妻をさす。
夫婦が共に元気で長生きできるようにとの願いを
女性の立場から言ったもの。と言う説と、

妻に、夫の自分より長生きして
「俺が死んだとき面倒見て欲しい」という
夫の立場から言ったもの。とがあるようです。


「雀(すずめ)百まで踊(おど)り忘れず」

幼い時に身についた習慣は、
年をとっても身から離れない。
という意味。

2007/11/10(Sat) 18:08 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
愉快 愉快!
やまんば、昨日のろくろくさんのコメントのおばあちゃんのお話で、
「雀百まで わしゃ九十九まで その気はあるんじゃ~」をみて、長生きするのも悪くないなあと初めて思いました^^。
2007/11/10(Sat) 07:46 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
麻雀
子供たちが中学くらいから、我が家はトランプから、麻雀に移った。お正月など、とてもおもしろかった。やがて、子供たちも巣立ち、すっかり忘れていたけど、麻雀が頭の老化防止によいと夫が聞き、義姉も遊びに来たので、ばあちゃん(あの頃からメンバーの一員^^)を加えての4人で遊んでみた。

婆ちゃんはもうすっかり忘れたから出来ないといってたのに、なんと牌をもった途端、回路がつながったらしく、変な麻雀がはじまった。

あんなに可笑しくてゲラゲラ笑ったのは久しぶりだった。とくに婆ちゃんの仕草が愉快でした。でも、なんと!婆ちゃんは決してビリではなかったのです。

お見事、婆ちゃん。しかしやりすぎて婆ちゃんの足が腫れてしまったことには反省しています。

2007/11/10(Sat) 07:25 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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