2007年10月10日 (水) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (5)


人間は年と共に老化してゆく。
このことは避けることができない。

問題は、自分の老化の程度を知らず、
いつまでも若いつもりで無理をして
失敗してしまうことである。

しかし、老眼であると知って、
眼鏡を使えば、それをカバーできるように、
人間は老化をカバーする方法もいろいろと
考案してきた。


自分の老化の程度を知るときに、
身体の方は比較的わかりやすいのでは
なかろうか。しかし、心の方はあんがい
わかりにくい。

心の老化を測る尺度のひとつとして、
「最近の若い者は」という非難を口にしたり、
したくなる、ということがある。

若い者と言ってもいろいろといるはずだ。
それをひとからげにして「最近の若い者は」
という言い方でとらえてしまうのは、

老いと若という対立の「老」の方に自分の
身をおいていることを意味している。
これは立派な老化現象である。

このように考えると、三十歳代、二十歳代
でも「最近の若い者は」式のことを言う人を
見かけることに気づくが、

この人たちは相当に早くから精神的老化現象
にかかっているのである。

それが別に悪いと言う気はないが、
その「自覚」はやはり必要である。

日本は西洋よりも「老」の評価が高いので、
若くから老化したがる人が多いのかも知れない。

「最近の若い者は」などと、
あまり言わぬようにしていても、
つい言いたくなるところが面白いところで、

その度に老いの齢をかさねている自覚を
もつべきである。



次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
ろくろくさーん☆
あなたのチビ度100%ね

いつもそうじゃん?

必ず、ろくろくさんの意見に振り回されるのよね

チビってあなたそのものね。

計算高くて(笑)

ろくろくさんのコメントがなかったら

あるいは前回のように

突き放されていたら

逃げ回っていただろうにね・・・

私があなたに言いたいのは「自分の言葉に責任を持て」

それに尽きるの。
2007/10/11(Thu) 08:24 | URL  | マリア #-[ 編集]
犬も千差万別。
哀れチビよ。
チビはママが好きなんだね。
一緒に遊んでほしいだけなんだね。
どうしてママはわかってくれないんだろう。
カステラがほしいんではない側にいたいだけなんだね

ママは犬は犬として生きよ なんていうけど、
そんな求めなんてチビには無理
人間が一人一人ちがうように犬だってちがうんだよ

チビはママが好きなんだね
どんなに邪険にされてもママのやさしさを知っている
チビには邪険の意味がわからないのだね
なんでもやさしさと受け止めているんだね
チビはさみしいだけ
だって、触れ合う相手はママしかいない
チビは一人では生きられない
ママからごはんをもらって
外にも連れ出してくれる

ママ、りっぱな犬になることをチビに求めないで!
チビはチビそのもの ただありのままを受け入れてね
          ***
やまんばはママとチビのお話は傑作とは思えなかった
最近のネットのいじめで自殺した子供の悲痛な叫びが聞こえてきた。笑い事ではありません。
しかし、世の中狂っている                      ***
若いときに姑にいじめられ、今は惚けたその姑を看ることになった友人が、こんなことを話してくれた。
「最初はいやでいやでたまらなかった。
同じ空気を吸っているのも嫌で、階段から突き落としたくなる自分が恐ろしかった。だけど、時間が経った今は淡々とでも世話ができるようになった。今は姑が私の愛のバロメーターになっている。姑を自然にやさしく出来るときが、愛が何かがわかるときだと思う」・・・と。
嫌でたまらないもの、受け入れがたいものが自分の目の前にあらわれてきたときは自分の変容のチャンス。逃してはならないと思う。
2007/10/11(Thu) 07:05 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
物忘れも考えよう
錬金術者さんのおっしゃるとおり

歳をとってくると特に名前が覚えられなくなります。
その上、覚えていた名前も思い出せなくなります。


○過去のしがらみも、忘れてしまった名前とともに、
消えていってしまう効用もある。

○老化は、主に記憶に現れる

○物忘れは、過去の記憶に囚われていないと思えばよい

○間違いが数学をつくるように、物忘れが発見を生む

○現代では、あらゆる知識や情報が語られるが、
それは既に過去に語られたけども、人類が、
その記憶を失っていたたためかもしれんじゃ。

太古に既に発見されていたけど、
その発見の記憶が人類に失われ、今になって、
また同じものをみつけただけかもしれんじゃね。



『求めない』の加島祥造さんも、
たまたま20年以上も前のご自分の日誌を読んだら、
そのなかに「他人に求めないとか自分に求めないとか
書いてあって驚いた」と述べておられます。

個人の歴史においても、物忘れが発見を生んで
『求めない』というすばらしい本の誕生につながったのでした。


2007/10/10(Wed) 21:44 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ママはどうしてチビに邪険にするのよ?
それはおそらくママがチビに似ているから
なんですね。

ママは、

ひっつき虫のでしゃばりの、
ペロペロ中毒の
食いしん坊のウワバミ

なんだと思います。




2007/10/10(Wed) 19:56 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
『求めない』加島祥造 立ち読み
先日ご紹介した『求めない』大変話題になっているようですね。

1ページにわずか3行程度のオリジナルそのままの様子を
下のページで垣間見ることができます。↓

http://www1.e-hon.ne.jp/content/photo_9784093877220_01.html



2007/10/10(Wed) 19:29 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
最近の若い者は
わたくし、いつまでも若いつもりでいるのか
「最近の若い者は」と言われると
まるで自分のことのように思ってしまいます。

しかしながら、物忘れは、
やまんばさん同様、しょっちゅうあります。

友人との待ち合わせ時間とか
すぐに忘れてしまいますので、
かかさずメモすることにしています。

歯医者の予約日とかも一週間後に
思い出すなんてことになったりして・・・
迷惑をかけないようにしなければなりません。



2007/10/10(Wed) 19:16 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
物忘れの効用
 物忘れも考え方によれば、よきものといえるじゃね。

 歳をとってくると特に名前が覚えられなくなるので、人間関係が豊富になるにつれ、過去のしがらみも、名前とともに、消えていってしまう効用もあるといえるじゃ。

 また、一から新鮮な気持ちで、相対できるともいえるじゃろうね。

 嫌な関係は忘れられてよいが、親族や親子関係、友人関係やらは、確かに忘れられてしまうと、日常生活に困り、見通しが外れ、一種の試練じゃが、タイムマシンに乗って、変わった世界に来たと思えばよいかもしれんじゃね。

 考えてみれば、老化するということは、主に記憶に現れ、人間は過去の記憶にどれだけ依存して暮らしているのかが、見当もつかないほど、大きいことがわかるね。

 物忘れは忘れているのではなく、過去の記憶に囚われていないと思えばよいじゃ。

 間違いが数学をつくるように、物忘れが発見を生むともいえるじゃね。

 現代では、あらゆる知識や情報が語られるが、それは既に語られたけども、人類が、その記憶を失ったためかもしれんじゃ。

 太古に既に発見されていたけど、その発見の記憶が人類に失われ、今になって、また同じものをみつけただけかもしれんじゃね。

 そしたら、人類全体が、太古人より老化しているともいえるじゃね。現代の視点で捉えると、神話の世界の伝承で、太古人は数百年生きたというから、せいぜい80歳の現代人は、人類全体の老化現象ともいえるじゃね。

 現代人は道に迷っているといわれるが、歩いてきた道をそのまま辿って引き返すのが懸命ともいえるかもね。

 これこそ、無知の知といえるかもね。知る者は語らずともいうしね。
2007/10/10(Wed) 14:28 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
犬は犬として生きよ☆
11月がくれば私は満67歳になる。私が老いたのと同じように、我が家の2匹の犬も年老いた。

特に11歳になるメス犬のチビは、口のまわりに白い毛が混じり、もともと茶色の犬なのに胴体が黒くなってきた。顔にも黒い毛が生えてきて、茶色やら黒やら白やら、色々混じって何ともいえない風采の上がらないショボショボした犬になっている。スピッツ係の雑種なので毛が長くて柔らかい。
その柔らかい毛が風に吹かれると片側になびいて、痩せて貧弱な骨格があらわれる。
寒い時分、木枯らしの中にショボたれて、見るからに寒そうに庭からじっとこっちを見守っている姿を見ると、憐れというか情けないというか、見るに耐えぬという気持ちになってくる。何という不細工な犬なのだろう。いや、若い頃はこんなじゃなかった。
だんだん醜くなっていく。口元が尖ってきて、目はいつも訴えかけるように真剣にこっちを見ている。

「なんでこっちばかり見てるんだ!」と私は怒りたくなる。
チビは食いしん坊なのである。いや、年をとるに従って食いしん坊になってきたのだ。
昼間のテーブルに向かって食事をしていると、庭からジーッと見ている。
去年の秋、娘が結婚して家を出たので私は一人暮らしである。昼食は家事手伝いの人と一緒にとるが、手伝いの人は夕刻になると帰るので、夕食は一人である。今は日が長いので明るいうちに夕食をとることになる。
食べながらふと庭を見るとチビが物欲しそうにこっちを見つめている。

「あんた、ゴハン食べたんでしょ」と私はいう。
「あんたにあげるものは何もないよ」
そういうとチビは耳を後ろへ寝かせ、犬のニコニコ顔(おべっか顔)を作ってガラス戸にすり寄ってきて、尚マジマジと私を見つめる。私は不愉快だ。
「不愉快だよ。チビ」という。
チビはニコニコ顔で身体をゆする。
「タローを見なさいよ。タローを」

タローは迷い犬が居ついてもう6・7年になるオス犬だ。放浪していた犬なのにチビのように食いしん坊ではない。私の暮らしと関係なくその辺に寝たり、起き上がって吠えたり、チリ紙交換の呼び声に呼応したり、鳩を追いかけたり、堪能してまた寝たり、そっちはそっち、こっちはこっち、というふうに暮らしている。
私はそんなタローが好きなのである。

「犬は犬として生きよ」

それが私の犬への提言である。犬は自由であるべきだ。犬は人間の慰めとして存在しているのではない。
だからそう人間の機嫌をとる必要はないのだ。
「毅然と生きよ、悠々と生きよ」
私はチビにそういいたい。

チビは私が草むしりをしようと庭にしゃがむと、忽ち飛んできて飛び掛り、私に乗りかかってペロペロ顔を舐めにくる。それがしつこいのだ。たいていの犬は飼い主への一応の愛情表現(ご挨拶)としてペロペロをやるが、ひと通り終えると引き下がっていくものである。ところがチビはキリがない。
草むしりをしている間中、ペロペロしつづけるのだ。
「エイ、もう!」
私は怒り、チビをふるい落とすために立ち上がる。
チビはペロペロ中毒であるばかりでなく、泥足で飛びつく中毒でもある。前から飛びつくと殴られるから、専ら後ろを狙う。そのために草むしりをする時は着替えをし、覆面をしなければならない。庭に出るのが億劫になってしまった。

要するにチビは犬の「ひっき虫」なのである。いつも人間にくっついていたいのだ。
少しでも、50センチでも30センチでも人間の近くにいたいらしい。
氷雨の降る日など、ガラス戸の嵌っている敷居の上に乗ってーといっても5センチあるかないかの狭いところなので、ぴったり身体をガラス戸にくっつけて、顔は横向きのまま必死の横目でこっちを見ている。
マッチ売りの少女じゃあるまいし、と私はムカムカする。なんという憐れっぽい姿を見せるのだ!
なぜ自分の小屋へ行かない!タローも小屋に入らないが(放浪していたせいか)、その代わり縁の下の土を掘って悠々と雨を眺めているではないか。
こういう話をすると世の愛犬家は、私の薄情さを憎む。

「そんなに慕っている犬をどうして可愛いと思えないんでしょう!」と非難する。
全くその通り、私も自分で自分を非難している。非難しているが、あの物欲しげな横目。うるさいペロペロの機嫌取り。それに食いしん坊!チビを連れて散歩に出ると、小学生がいうのだ。
「やあ、キッタねえ犬!」
私はムッとする。チビを憐れに思う心とムッとする心とが交錯して、散歩に出るのがいやになる。

いつも邪険にしているので今日はひとつ気前のいいところを見せてチビを喜ばせてやろうと、上等のカステラを分厚く切ってタローとチビに与える。タローは放浪する前に飼い主から教えられていたとみえて、食物を与えようとするとちゃんとお座りをして、「お手」ともいわないのに泥のついた大きな前足を不器用に突き出す。
カステラを貰うとくわえて庭隅に行って、食べている。ところがチビめはとにかくひと呑みだ。あっという間だ。
「お前はウワバミか・・・」
上等のカステラなのだ。もっとよく味わって食べろと私はいいたい。だがチビは「あとは?あとは?」というように浅ましく目を光らせて私の手元を見つめる。タローは向こうの植え込みの影でのんびり食べているというのに。仕方なくもう一切れやろうとすると、忽ちガツガツ飛びついて、私の手まで噛む。

小さい頃からチビはとても賢い犬だった。内玄関のガラス障子を開けるばかりか、裏のくぐり戸の扉も開けた。
そして勝手に散歩に出かけ、閉めておいても開けて入ってくる。名犬映画に出せば囚われの主人公を救い出す場面などで天晴れ名犬の名をほしいままにすることだろうなどと、この私も感心していた頃があったのだ。
だが今はそんな技が私には小シャクなだけだ。

「ママはどうしてチビに邪険にするのよ?」
と娘は私を非難した。
「チビとタローと平等にしてやりなさいよ」
「してるよう」
といいながら、二つに割った饅頭をこっそり見較べて、大きい方をタローにやっている。そして「チビが死んでしまったら、その時はきっと後悔に胸を噛まれるに違いない・・・」とひそかに思っているのだ。
そう思いつつえこ贔屓をしている。

チビはタローが来てから、ひっつき虫のでしゃばりの、ペロペロ中毒の食いしん坊のウワバミになったのだ。
私にはそれがわかっている。わかっているが許せない。
チビは家族の愛情を独占したいのだ。(それがいやらしい)独占したい一心で、片時も油断せずに我々の動静に注意を払っていて、タローが近づいてくると寄せ付けまいとして立ちはだかるのだ。私はカッとして
「こらっ。タローを虐めると承知しないぞ!」怒鳴って殴る。それを見て娘がいった。
「チビが死んだら後悔に胸を噛まれるんでしょ?それでもいいの?」
「うーん、く、くるしい・・・」
と唸りつつ、私は飛びついてきたチビをまた殴る。今はチビはどうやら私から殴られることを喜んでいる風があり、私は叫ぶ。
「お前はマゾか!」

『我が老後』 佐藤愛子 文藝春秋 ¥1000

☆佐藤愛子とチビの攻防戦?は傑作(笑)

2007/10/10(Wed) 13:17 | URL  | マリア #-[ 編集]
最近の。。。
おはようございます☆

「最近の○○は・・・」これって老若男問わずいいません?

「最近の年寄りは」「最近の主婦は」「最近の子供は」「最近の男は」「最近の女は」etc・・・

これは老化現象というより、人間の業?みたいなもので、「あまり言わぬようにして」なんて、妙~に気を使い始めること自体が、老いを意識し年をとった証拠!

・・・と、私は周りを見ていて思いますわ、河合先生♪
2007/10/10(Wed) 10:41 | URL  | マリア #-[ 編集]
老化の尺度
物忘れ・・最近自分でもギョとすることが多い
     頭の回転が悪くなった。一度にいくつも
     テキパキ処理できなくなってきた
     運転しながら、一瞬自分がどこへ向かって
     いるのか?忘れたとき・・確実に老化を自     覚した
対策・・・このブログで頭と心を鍛える
     新陳代謝をよくする(歩いて五分のところ
     にゴルフの練習場がある。新しいことに挑     戦しょう)
同居している婆ちゃんが私の年の頃は、外出して帰宅すると、冷蔵庫や、タンスの位置が変っていたっけ。物忘れは80代になってからだった・・老化は個人差が大きいですね~
2007/10/10(Wed) 07:16 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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