2007年10月06日 (土) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (1)


現代における「老い」の問題は実に深刻である。
それがどんなに大変なことか、
ひとつのたとえ話をしてみよう。

町内の運動会に参加。五百メートル競走に出て、
必死になって走り抜き
やっとゴールインというところで、

役員が走り出てきて、

「すみません八百メートル競走のまちがいでした。
もう三百メートル走ってください」

などと言うとどうなるだろう。


最初から八百メートルと言われておれば、
もちろんそのペースで走っている。

五百のつもりで走ってきたのに、
それじゃ話しがちがうじゃないか、
だれがあと三百メートルも走れるものか、
ということになるだろう。


現代の老人問題にはこのようなところがある。
人生五十年と教えられ、
そろそろお迎えでも来るかと思っていたのに、
あと三十年あるというのだ。

そんなことは考えても見なかったことだ。
昔も長寿の人が居たが、
それは特別で、それなりの生き方もあった。

ところが今は全体的に一挙に人生競争のゴールが、
ぐっと遠のいてしまった。

こう考えると、現代の「老い」の道は、
人類が今まで経験していなかったことであることが
わかる。

このような未知の問題について考えてみようと思う。
大上段にふりかぶっての議論ではなく、
思いつくままに気楽に書かしていただくので、

読者の方々はそれをヒントにして、
自分なりの考えを発展していただきたい。



次回につづく


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