キリスト教における死後の生命
アルフォンス・デーケン 編著「老いと死をみつめて」同文書院より(29)
Q クリスチャンの伯母が最近亡くなりました。
数年前に亡くなった叔父との天国での再会を
楽しみにしていたそうです。
キリスト教では、死後のことを
どう教えているのでしょうか。
A キリスト教では、永遠の生命はこの世から
もうすでに始まっているとされています。
この世の生命と死後の生命とは、たとえば序曲と
それに続くオペラのように、密接な関係で続いて
いると考えられています。
キリスト教徒にとって、死はもう取り返しのつか
ない終末ではなくて、新しい生命の始まりなのです。
ですから、聖書は死について、あきらめに沈むよう
な言葉ではなく、喜びにあふれた表現で人びとに
語りかけます。
仏教では、人間の生命は他の生命体に生まれ変わっ
て続いていくとする輪廻転生説をとりますが、
キリスト教信者は、イエスズ・キリストが死を乗り
越えて復活されたように、死後に天国で先に亡くな
った愛する人たちと再会し、共に神の無限の愛の中
で生き続けるという大きな希望を抱きます。
「私は復活であり、命である。私を信じる者は、
死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、
決して死ぬことはない」(ヨハネ11章25節)
というイエズスの言葉は、新約聖書の中で最も慰め
に満ちたものの一つだと思われます。
もちろん、永遠の生命については、比喩や象徴でし
か描写することはできません。イエズスは語りかけ
る相手に応じて、さまざまなイメージを使い分けて
います。
サマリヤの女に向かっては「永遠の命に至る水」
(ヨハネ4章14節)と言い、商人には天国を「高価な
真珠」にたとえて、持ち物を売り払っても手に入れ
るべき宝だと説明します(マタイ13章45〜46節)。
また群集に向かうときは、当時のパレスチナの人び
とにとって関心の深かった結婚の宴会にたとえて、
天国は終わりなき婚宴のようだと言っています(マタ
イ22章14節)。
このようにイエズスは相手によって最も効果的な
たとえを使って、聴き手に永遠の幸福を約束しました。
もしイエズスが、現代の私たちに天国を語るとすれば、
きっと、もっと別のたとえを用いるに違いないと思い
ます。
しかし、人間がどんなに想像力を働かせても及ばない
のが、天国での神との出会いであり、愛する人との
再会の喜びではないでしょうか。
死を前にしたさまざまな苦痛や恐怖にもかかわらず、
天国での愛する人との再会に希望を抱いて、平静さを
取り戻し、喜びに満ちた期待のうちに死を迎えた
人びとを、私もたくさん看とりました。
こうした人たちにとっては、死に近づくのは永遠の
幸福に近づくことに他ならないのです。
死の瞬間は、新しい生命の扉を開いて歩み出す第一歩
に過ぎません。天国での永遠の生命を信じる人は、
明日訪れるかもしれない死も、
平安なこころで迎えられると思われます。
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数年前に亡くなった叔父との天国での再会を
楽しみにしていたそうです。
キリスト教では、死後のことを
どう教えているのでしょうか。
A キリスト教では、永遠の生命はこの世から
もうすでに始まっているとされています。
この世の生命と死後の生命とは、たとえば序曲と
それに続くオペラのように、密接な関係で続いて
いると考えられています。
キリスト教徒にとって、死はもう取り返しのつか
ない終末ではなくて、新しい生命の始まりなのです。
ですから、聖書は死について、あきらめに沈むよう
な言葉ではなく、喜びにあふれた表現で人びとに
語りかけます。
仏教では、人間の生命は他の生命体に生まれ変わっ
て続いていくとする輪廻転生説をとりますが、
キリスト教信者は、イエスズ・キリストが死を乗り
越えて復活されたように、死後に天国で先に亡くな
った愛する人たちと再会し、共に神の無限の愛の中
で生き続けるという大きな希望を抱きます。
「私は復活であり、命である。私を信じる者は、
死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、
決して死ぬことはない」(ヨハネ11章25節)
というイエズスの言葉は、新約聖書の中で最も慰め
に満ちたものの一つだと思われます。
もちろん、永遠の生命については、比喩や象徴でし
か描写することはできません。イエズスは語りかけ
る相手に応じて、さまざまなイメージを使い分けて
います。
サマリヤの女に向かっては「永遠の命に至る水」
(ヨハネ4章14節)と言い、商人には天国を「高価な
真珠」にたとえて、持ち物を売り払っても手に入れ
るべき宝だと説明します(マタイ13章45〜46節)。
また群集に向かうときは、当時のパレスチナの人び
とにとって関心の深かった結婚の宴会にたとえて、
天国は終わりなき婚宴のようだと言っています(マタ
イ22章14節)。
このようにイエズスは相手によって最も効果的な
たとえを使って、聴き手に永遠の幸福を約束しました。
もしイエズスが、現代の私たちに天国を語るとすれば、
きっと、もっと別のたとえを用いるに違いないと思い
ます。
しかし、人間がどんなに想像力を働かせても及ばない
のが、天国での神との出会いであり、愛する人との
再会の喜びではないでしょうか。
死を前にしたさまざまな苦痛や恐怖にもかかわらず、
天国での愛する人との再会に希望を抱いて、平静さを
取り戻し、喜びに満ちた期待のうちに死を迎えた
人びとを、私もたくさん看とりました。
こうした人たちにとっては、死に近づくのは永遠の
幸福に近づくことに他ならないのです。
死の瞬間は、新しい生命の扉を開いて歩み出す第一歩
に過ぎません。天国での永遠の生命を信じる人は、
明日訪れるかもしれない死も、
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