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2007年09月23日 (日) | Edit |
アルフォンス・デーケン 編著「老いと死をみつめて」同文書院より(28)


ブレーズ・パスカルは信仰を前提としないで、
人間の不滅性と死後の生命についての思索を展開しました。

パスカルはまず、死後の生命を信じるか否かの決断を、
一つの賭けと見なすことができると述べています。

もし人が死後の生命の存在を信じていたのに、
実はそれが存在しなかったとしても、
別に何も損をしたことにはなりません。


しかし、死後の生命が存在するにもかかわらず、
それを信じなかったために手に入れそこなったとしたら、
その人はすべてを失うことになるというのです。

そしてパスカルは信じればすべてを手に入れることができ、
そのことで失うものは何もないのだから、
死後の永遠の生命を信じる決断に賭けるべきだと結論して
います。

実存哲学者のガブリエル・マルセルは、
私たちの抱く希望を、
日常的希望と根源的希望の二つに区別しました。

日常的希望というのは、明日晴れてほしいとか、
今度の試験によい成績をとりたいなどといった日常生活の
中の具体的な目標に向けられます。

これに対して根源的希望とは、
私たちの実存、つまり私たちの人格それ自体
に結ばれています。

人生における根源的な課題の一つは、多くの日常的希望を
超越して、大いなる根源的希望へと到達することでは
ないでしょうか。

もちろん、日常的希望を持ち続けることも大切ですが、
死を直視するとき、もっと重要なのは、未来を肯定的に
望む根源的希望の持ち主であるかどうかということです。

言い換えますと、永遠の生命の存在を信じる、楽天的な
オプティミストであるか、死によってすべては無に帰する
と考える、悲観的なペシミストであるかという、人生に
対する根本的な態度の違いではないでしょうか。


これまで検討してきた諸説を総合してみますと
「死後の生命が存在する可能性がある」という点で、
共通性が見いだされると思います。

このように諸説の蓋然性は一点に向けて収斂していきます。
つまり「死後の生命が存在する蓋然性は大きい」
ということです。

この哲学的アプローチの特徴は、信仰を持たない人でも、
死後の生命について自由に議論ができるところです。

誰でも死後に関する諸説を公平に見比べて検討し、
自分が共鳴できる説を自由に選んだりつけ加えたりできます。

普段でも私たちは、よくこの方法で重要な決断を下します。
たとえば、結婚しようとする相手が、自分を本当に愛して
くれているかどうか科学的に証明する方法はないのですが、
多くの人はあえて結婚という「冒険」を試みます。

これは相手の言葉や行い、経歴、家族、友人、などを通じて、
さまざまな方面から総合的に判断するという「蓋然性の収斂」
に他ならないわけです。

こうした方法を無視して、死後の生命をやみくもに否定して
しまうのは、かえって非理性的な態度だと言えるのではないで
しょうか。


次回につづく


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