碌々(ろくろく)ブログ

先哲の教え、言葉などを通して  心身の健康、真の幸福  そして人生成功の秘訣を  共に探求していきましょう

病気というものに完治はあるのか

五木寛之・帯津良一 著「健康問答」平凡社より(27)


五木 私はかねがね「病気に完治なし」という考えをもっているんです。
風邪から腰痛、ガンにいたるまで、完治ということはあり得ない。

またぶり返す、また起こる、つねに再発するという宿命を持っているんじゃな
いか、と考えているんです。だって、人間は生まれた日から、少しづつ壊れて
いくものでしょう。

帯津 そうですね。生老病死という苦が、人間のきめられた運命だとしたら、
病だけまぬがれるということは、あり得ないでしょうね。人間は病気をするも
のだ、と考えたほうがいいかもしれませんね。


五木 人間が機械だったら、燃料を補給して、故障した箇所を直せば、元通り
に動くでしょうが、肉体だけでなく、心だとか、感情とか、思いや、念みたい
なものが複雑に絡まって、一人の個人を創り上げているので、機械のようには
いかない。

だから、病気になっても、それを治してやるんだ……と力をいれて闘うのでは
なく、治める、熱や咳や痛みといった症状を、治める努力をするという考えの
方が、いいのではないでしょうか。

帯津 そうですね。

五木 そうこうしているうちに、いつのまにか、ひとつずつ症状が消えていき、
ホメオスタシス、つまり恒常性という機能がはたらいて、ダメージから立ち直
り、一応の健康体に戻っていくのではないかと思うんです。

帯津 そのホメオスタシスをおし進める力が、自然治癒力ですが、これは人間
のもつ命の場に、本来的にそなわっている能力なんです。

ですから、病気を目の敵にして、これを捻じ伏せようとするのではなく、
自然治癒力を信じて、これに身をまかせることのほうが、基本なのですね。

五木 私は昔、捻挫を二度ほどやったことがあるんです。翌日どうしても、無
理に歩かなければならない用事があって、しかたなしに出かけた。捻挫したら、
普通は冷やしたり、大事にしておくほうが良いといわれるんですが、それから
三日間、痛いながらに歩きとおしたんです。

そうしたら、治っちゃったんですよね。何年か経って、「捻挫した人は、冬に
なると痛むらしいけど、君は大丈夫かい」といわれましてね。でも、大丈夫な
んです。スポーツ選手で、阪神の金本知憲選手が、あるときプレーをしながら
治すといっているのを聞きましてね。ああ、私と同じことをしているんだ、と
安心しました。

帯津 ああ、そういうやり方も、あるんですね。

五木 たとえば、捻挫は大事にしておいたほうがいいんでしょうか。それ以来
そっとしておいたほうがいいのか、それとも、使って治したほうがいいのかと
いう問題意識が、私にはありますね。

帯津 なるほど、これも人によるでしょうし、その人の仕事とか、置かれた状
況によっても異なると思います。金本選手や五木さんの場合は、使いながらの
ほうがいいんでしょうね。

急に休んで冷やしたりしていたら、試合を休むだけじゃなくて、そのあとの回
復も、遅れると思うんですよね。ほんとうは、どんどん使ったほうが治りが早
いんです。私の経験ですけれど。

五木 最近は、手術のあとでも、わりと早く歩かせるようですね。トイレに自
分で行かせたり。

帯津 そうですね。早期離床というんです。

五木 昔は、とにかく安静、安静ということをいったけれども。

帯津 昔は、やたらと安静ですよね。安静がまあ、まちがいないというか、安
全という意味で、その方法をとったのだと思うんですよね。人に応じてでしょ
うけれどもね。年齢とか、患者さんの状態とか、それぞれちがいますからね。


次回につづく


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2007-09-12 | 健康法 |  コメント : 5  |  tb : 0

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ゼロ点を何処に置くか

魂はいわば負のエネルギーからなり、
負をどれだけバランスし、
つまりゼロ点を何処に置くかで、
正に転じることができるわけだね。

科学でも、これはゼロ点の振動エネルギーとして
数式で表現されておるじゃね。
このゼロ点をどこに置くかで、
気といわれる負を正に転じるエネルギーを
生じることができるじゃね。


上記のところがまったくわかりません
できましたら小学3年生?が分かるくらいに
説明していただけるとありがたいです。



2007-09-12 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

魂の回復力

日々意見がコロコロと変わる
私(ろくろく)であります。また
どちらかと言えば「有言不実行」の傾向がありますです。
いかんことです。(^。^;)

また錬金術者さんが言われるとおりに

周囲の影響を受け易く、
自分という意識がないので、
健康にはあれが良いといわれれば、あれをやり、
これが良いといわれば、これをやるというような、
結局、何をやっても、
自分が無いから、常に病気状態といえるじゃね


といったところは
まさに私のことを言われているようにしか
思えません。


しかしながらお陰さまで日々反省の毎日のでありますところから
たま〜に、肉体を制御し、バランスを取り直すことができるときも
ありますじゃ。たま〜に・・・



2007-09-12 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

三つの歴史観

現在の日本において、歴史に対する見方には大雑把に三つの史観がある。このページでは史観というものを見てみたい。三つの史観とは、1進歩的史観 2司馬史観 3自由主義史観である。

http://www7.plala.or.jp/machikun/essayv.htm

1進歩的史観
明治の後半に日露戦争が勃発したが、その原因はいうまでもなく日本の帝国主義である。日本の侵略主義的発想が中国大陸への軍の派遣となった。したがって日露戦争は明らかに侵略戦争である。日露戦争後の歴史はさらに侵略主義的様相を深めたが、いうまでもなくその頂点は太平洋戦争である。あれも無論日本による侵略戦争である。そして太平洋戦争は一部の権力者が自らの体制を維持するために起こしたもの、と考える。庶民は戦争なんぞ望んでいない、戦争の責任は一部の権力者のみにある。(この考えは東京裁判を行った連合軍側の考えとたまたま一致している。そのために進歩的史観はまた「東京裁判史観」とも呼ばれている訳だ)

 太平洋戦争が終わって後、やっと日本の近現代史は明るくなる。本当は昭和20年代に共産主義革命が起こり、天皇制も廃止にして欲しかったが、権力の横暴により残念ながらそれはならなかった。(本当は革命が必要であったが、権力がそれを阻止した。そのために日本は資本主義社会であり続けることを余儀なくされた) 以上が進歩的史観の骨子である。

 この考えは戦後の日教組の台頭も相俟って、戦後の日本の教育界を大きく支配した。たとえば皆さんは中学、高校の頃、日露戦争のことを習ったと思うが、その時に東郷平八郎や児玉源太郎、乃木希典といった日露戦争の英雄達の人名を習っただろうか。(乃木は本当は英雄ではないがここではそれには触れないでおく。ああ、二百三高地のページ参照のこと) 私は習った記憶はない。その代わりに教科書に必ず出ていたのが与謝野晶子の有名な「君死にたもうなかれ」の反戦歌と内村鑑三の反戦思想である。これなんぞは「日露戦争は侵略戦争であった」と間接的に教えているようなものである。


2司馬史観
こうした戦後日本に支配的であった歴史観をくつがえしたのが司馬史観である。司馬遼太郎氏は特に明治の日本を明るく描いた。私も大人になってから司馬氏の著作を読むようになり、「そうか、明治の日本というのはこんなに明るく楽しい社会だったんだ、それでは自分がこれまで受けてきた歴史教育というのは一体なんだったんだろう」とハタと気づいた次第である。司馬史観は以下のようなものである。
 
 日露戦争までの明治という時代は日本の歴史の中でもよい時代であった。明治維新により中央集権国家が確立し、富国強兵にはげみ、日本という国家は東洋の一小国から世界の列強に肩を並べるまでになった。(ずいぶん無理もしたが)確かに庶民の生活はまだまだ貧しかったが、それはマルクス主義者が考えるように支配階級が搾取をしていたためというよりは、日本の国富自体が少なかったのだ。乏しきを憂えず、等しからざるを憂える、という。皆貧乏ではあったが、国家を強くするために国民一丸となって頑張っていたのが日露戦争までの明治の時代であった。

 しかし日本の発展につれて特に当時極東に食指を伸ばしつつあったロシアとの対立は必然であった。当時の日本人は朝鮮半島が日本の生命線であると考えていたが、それは当時の国際情勢をみればやむを得ないことであった。いかにしても挑戦半島にロシアの勢力をいれてはならなかった。しかるにロシアは朝鮮半島に入ってこようとする。どうしてもこれと戦わざるを得なかった。したがって日露戦争は侵略戦争などではなく、防衛戦争であった。(司馬氏は日本がロシアの言うがままになっていたら私の名前も何とかスキーとなっていただろう、と書いている)

 しかし日露戦争後に日本人は変質する。大国ロシアに勝ったおごりも相俟って調子に乗ってしまった。その象徴がポーツマス条約締結後に起こった日比谷焼き討ち事件である。そしてついに中国大陸にちょっかいをだすようになった。結局中国大陸に大きな利権を持っていたアングロサクソン(米英)と対立するようになり、太平洋戦争を始めてしまった。したがって太平洋戦争は侵略戦争である。すなわち日本の歴史においては日露戦争後から昭和20年の敗戦までは突然変異的におかしな国家になっていた。太平洋戦争後はまた明治期のよい日本に戻り、反映を続けた。

 以上が司馬史観の骨子である。特に敗戦までの昭和の20年間の歴史のみが悪い時代であった、とするのが司馬史観の眼目である。さらに司馬史観の特徴は進歩的史観のように太平洋戦争の勃発の原因を特定の権力者のみに帰することなく、国民全体の責任としていることである。

 昭和40年代に入り、司馬氏の代表作「坂の上の雲」が発表された後、特にこの司馬史観は日本を支えるサラリーマン層に支持された。「明治は明るいよい時代であった」という彼の史観は進歩的史観に毒されて育った世代からは熱烈に歓迎されたのである。私もまた司馬氏の著作を読み、前述の如く、目の前の雲が晴れたような思いをしたものである。


3自由主義史観
最近になり、さらに自由主義史観というものが出てきた。藤岡信勝氏や渡辺昇一氏の考えなどがその代表である。この史観の骨子では明治以来の日本というのは一貫して悪いものではなかった、日露戦争は無論のこと太平洋戦争もまた防衛戦争であった、ということになる。無論1911年の韓国併合も諸外国が認めた合法的なものであり、当時の世界情勢から判断すればやむを得ない行為であったとする。南京大虐殺などは当然ながら存在しない、盧溝橋事件は中国共産党の挑発である、云々となる。

 この自由主義史観が最近になって出てきた背景にはやはりソ連の崩壊などにより、左翼勢力が弱まってきたことがあるだろう。戦後、日教組を始めとする強い左翼勢力に教育現場が牛耳られてきた。しかし世界での共産主義勢力の退潮傾向により、そうした歴史教育に不満を抱いていた層の不満が一挙に攻勢に出てきた、と見るべきであろう。すなわち最近になっていきなりこうした史観が生まれたのではなく、潜在していた史観が顕在化してきた、と見るべきではないかと思う。今後この自由主義史観がどれほど勢力を拡大するかは不明であるが、明らかに戦前の皇国史観(要するに日本は天皇陛下が支配する神風の国だ、という史観)とは一線を引いているようだし、一つの史観としての健全な発展が望まれる。(なおこの自由主義史観は、提唱者の藤岡信勝氏によれば、必ずしも日露戦争〜大東亜戦争間の日本の歴史を肯定するものではなく、むしろ司馬史観に近いものである、とのことであるが、実際にはこの史観は提唱者の概念を離れ、一人歩きしている感がある。そのために、ここでは世間一般で考えられている「自由史観」をもってその概念とした。)



「司馬史観」について検索すると司馬遼太郎 - Wikipedia をはじめ約42,300件 ヒットしたが

「Dr.町田のホームページ」の「頑張れ、司馬史観!! 」
がろくろくが個人的に好感が持てたのでこのページ等を
コピペさせて頂きました。




              

2007-09-12 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

司馬史観とは

司馬遼太郎氏が特に「坂の上の雲」などで示した史観で、日露戦争以前の日本を積極的に評価し、対照的に日露戦争〜大東亜戦争の約40年間の日本を暗黒時代のように扱っているのが特徴。「坂の上の雲」が発表された昭和40年代当時はまだまだ左翼系政党、労働組合などが強い時代で、歴史教育も日教組の影響を受けてかいわゆる唯物史観の観点で行われていたために、戦前の日本社会があまり積極的に評価されていなかった。司馬氏は明治日本を明るく描くことにより、独特の史観を示し、それが後に”司馬史観”と呼ばれるようになった。


http://www7.plala.or.jp/machikun/ganbare.htm




2007-09-12 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

司馬史観

 司馬さんの著書は結構読んだぞな。司馬さんは、ろくろくさまのおっしゃった、ノモンハンでの戦争体験から、なぜ、日本が、太平洋戦争というような愚挙を犯したのか、徹底的に追求したいような思いから、司馬史観を打ち立てたようですじゃ。

 司馬史観は、自らの戦争体験を、時間を超えた日本の歴史観、そして日本人の魂にまで言及したものといえるじゃね。正に物質的劣悪な現象から、精神的発展を考察し、国家という生命体までに言及した意識といえるじゃろうね。

 秘教では、国家という生命体は、民族霊と呼ばれる大天使の位階の霊たちが司っているといわれておるじゃ。

 民族霊はかつて、民族長、つまり民族の父なる長(おさ)の経験をもったものという意味じゃろうね。日本の場合は、天照大神と呼ばれる霊なんじゃろうね。

 司馬史観は、正に、日本戦車の薄い装甲版から、大和魂を補った成果といえるじゃろうね。敗戦の体験から、国家という生命体を見出した人物といえるじゃろうね。

 正に不言実行の人といえるじゃね。これとは反対に当時の指導者は有言不実行の人たちばかりだったのだろうね。だから、無茶な言動でも、反省も、その認識にも欠けていたといえるじゃね。

 いまでも、このような人は、日々で意見がコロコロと変わるような、精神の流行病に罹るようなもんだといえるじゃね。自分の発言が周囲にいかに作用するか等が理解できない、つまり自分で何をいっているのかの意識すらないわけじゃね。

 このように周囲の影響を受け易い人は、自分という意識がないので、健康にはあれが良いといわれれば、あれをやり、これが良いといわれば、これをやるというような、結局、何をやっても、自分が無いから、常に病気状態といえるじゃね。

 当時の場合は、上がいうから、その通りにやるというようなまるで奴隷状態と同じだじゃね。これは現代でも、強い米国がいうからやるのと、同じだね。これでは、米国のいう通りにやっても、感謝されないのは当たり前だね。自ら奴隷に成り下がっているのだからね。

 逆に自分というものを日々反省し、魂の向上に勤しんでいたなら、捻挫等の肉体の少々の異変があっても、魂の回復力で、肉体を制御し、バランスを取り直すことができるわけじゃね。

 魂の回復力がない人は逆に、少々の捻挫でも、まるで、インフルエンザ等の流行病に罹るような、忽ちバランスを崩して、肉体の制御不能に陥る羽目になるだろうね。

 秘教では、魂はいわば負のエネルギーからなり、負をどれだけバランスし、つまりゼロ点を何処に置くかで、正に転じることができるわけだね。科学でも、これはゼロ点の振動エネルギーとして数式で表現されておるじゃね。このゼロ点をどこに置くかで、気といわれる負を正に転じるエネルギーを生じることができるじゃね。

 ゼロ点の置き方が生命体として現れるじゃ。科学でもこれは、特異点の位置というトポロジーのスケールとして表現されているじゃ。

 エネルギーが負から正に転じるところが気の流れとして表れ、本来躍動し、動いているものを静止したもんとしてみるから、特異な点にみえるじゃね。だから数式では無限大が生じてしまうね。

2007-09-12 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

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