碌々(ろくろく)ブログ

先哲の教え、言葉などを通して  心身の健康、真の幸福  そして人生成功の秘訣を  共に探求していきましょう

体の癖や歪みを正せば元気になるのか(つづき)

五木寛之・帯津良一 著「健康問答」平凡社より(26)


五木 私は、自分自身が偏平足だけど、歩くことに関しては、
ものすごく自信があるわけですね。活発に歩きますし、

何十キロも歩く。テニスも野球もやっていたし……。
不思議だなあと思っていたんです。

大阪大学のある先生の論文を読んでいたら、
かつて日本の農村では、足の裏がぺたんとなっているのを

「わらじ足」といって、「わらじ足なら嫁にやろうか」
といわれるぐらいの、働き者の象徴だったそうです。


幼児期から、重労働をこなしてきた人間の足は、往々にして、筋肉が異常発達
して、アーチの未形成と誤解される、分厚い、筋肉の発達がみられる。それを
「わらじ足」というと書いてありました。それを読んで、そうか、俺はわらじ
足だったんだと、そう思って自信をつけましたけれども(笑)。

帯津 なるほど。

五木 でも、いまだに偏平足は、長距離の行軍に向かないとか、いろいろいわ
れています。自衛隊でも。でも、そんなことないんです。走るのでも、問題な
いんです。阪急ブレーブスの、福本豊という盗塁王がいたでしょう?野球の選
手で。

帯津 ええ。世界記録をもっていたんですね。彼も偏平足ですか。

五木 そうそう。偏平足の名選手って、いっぱいいますよ。

帯津 ええ。

五木 そういうことを考えると、偏平足にも、アーチの形成が未発達という、
病的なものもなかにはあるし、足裏が異常発達して、非常に強くなっている足
もある、ということなんですよ。だから、常識とされることには、落し穴がい
っぱいあるわけです。

帯津 そうですね。一概にはいえないわけです。足には長軸方向のアーチと、
横軸方向のアーチがあります。その長軸方向の内側のアーチが減少したり、消
失しているものを偏平足といいます。

私のように先天的なものは、なんら問題はありません。長距離競争は大の苦手
でしたが、短距離のダッシュ力では、それほど見劣りしなかったと思います。
日常生活はこまったことはありません。

ただ後天性のもの、足底に異常な負荷がかかることを長時間強いられて生ずる
偏平足は、痛みとか浮腫を生じます。このような場合は治療の対象となります。
足底板をつくって当てたり、ときには手術が必要になることもあります。

五木 よく歩く人は、結構、偏平足の人が多い。偏平足だからといって、足の
裏が引きつれるとか、痛いということは全然ないですから。だけどドイツに行
くと、偏平足の人は、かならず靴の底に矯正具を付けられるらしい。あなたは
こうしたほうがいいですと。偏平足で悩まれたことありますか。

帯津 いいえ、ないですね。

五木 ほらね(笑)。ただ、昔、銭湯へ行くと、脱衣場の板の間に、足の形がぺ
たんとつくので恥ずかしかったけれどもね(笑)。みんなは内側がえぐれている
のに、自分だけぺたっぺたっと、はんこで押したようにつくから、てれくさか
ったから(笑)。

帯津 そういえば、そうでしたね(笑)。まあ、偏平足も、一つの体癖、個性と
考えたほうがいいんじゃないですか。


次回につづく


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2007-09-11 | 健康法 |  コメント : 2  |  tb : 0

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日本戦車のはなし

今回の錬金術者さんのコメントで
いきなり日本戦車の薄い鋼板のことを話題に
されているのには、チョッとビックリしました。

というのは、今私が読んでいる本
司馬遼太郎著「歴史と視点」新潮文庫 に非常に
詳しく戦車のはなしが出ていて、
ちょうどそのところを読んでいたからです。

ノモンハン事件で日本が全滅したのは日本の戦車(89式)が
ロシアの戦車に比べてあまりにひどかったからだったんですね。

その後もほとんどおもちゃのブリキのような薄い鋼板の
戦車(チハ車)を作り上げ「防御鋼板の薄さは大和魂で補う」
などど参謀本部は本気で兵士を激励したという。

司馬遼太郎さんの本はいままでほとんど読んでいませんでした。
この機会にまとめて読み続けたいと考えています。


錬金術者さん、みなさん、この司馬遼太郎著「歴史と視点」まだ
お読みでなかったら、超お勧めです。



2007-09-11 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

身体の歪みより心の歪み

 かつて戦時中には日本戦車の薄い装甲版は、大和魂によって補えというような馬鹿なことが言われていたというだに。

 日本に限らず、劣勢を根性で巻き返せというような根性論や精神論が、よくいわれることがあるだに。実はこれ、あながち全てが嘘ではないだに。

 精神と肉体の関係といえるじょ。

 快川和尚は、心頭を滅却すれば、火もまた涼しといったぞな。

 この言葉は、何も強情を張る場合に使うものでなく、創意工夫を説いたものだと解されるわけだにね。

 物事は、立場によって、長所と短所、優劣が現れるが、その立場を厳守するのではなく、その立場を捨てたらよいという意味だと思うじゃ。

 肉体、つまり物質性の優劣の代わりに、精神性の立場、つまり柔軟性、精神の変幻自在性に着目すべしということだと思うじゃ。

 装甲が薄い分、軽くなるので、機動性が高まるから、相手が出てきたら、俊敏に逃げるしかないわけで、戦う野暮をどうにか工夫して避けるしかないじゃ。

 戦いというのは、相手にその無謀さを教えるためにあると思うぞ。つまり、比較する意味を無くす為に行うわけだと思うじゃ。比較基準や秤を無くせばよいのじゃ。

 力で戦う場合は、力の優劣が問題となるために、力を推し量る基準としてルールが生じるわけだに。力を統御するための思考の秩序が生まれるじゃ。

 こんな事は、神様ならば戦う前から既にわかっているが、人間は思考の整理が前もってできないので、実際、力試しのように経験しないとダメなわけだにね。

 つまり、物質として現れている現状、つまり時間が静止したものとして現れている現在は、未来の精神性、秩序性、法則に帰することができるわけだに。

 力において実際負け、力から生まれる勝敗の秩序を受容して、改めて、力において強くなろうと、精神的に補完するのが、敗者で、対して勝者は、更に益々、力における秩序や制御の安定を求め、物質化し、融通が利かなくなり、やがて、敗者は勝者に、勝者は敗者という立場を入れ替えるわけじゃね。
 
 ここに、力の秩序やルールが改めて認識され、更なる発展を、精神的に吟味するわけだにね。

 日本は戦争で負けたが、米国に経済で勝って、今度は、更に経済で負けて、今度は文化で勝とうとしているわけじゃね。

 物質的負けは、精神的勝ちにつながる。だから、現状に拘るのは愚の骨頂といえよう。現状の物質的現象の経験から何を学び、何を将来に生かすかだと思うじゃ。当たり前のことだけどもね。

 だから、肉体的ハンデといわれるものを、ハンデとせずに、その分、精神的な利点(弱者等の気持ちが察せられるような愛の精神が身につく)とし、将来生かすための創意工夫が重要ということなんだろうね。

2007-09-11 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

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