2007年08月29日 (水) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(32)



徳とは

関係のなかに秩序があるということです

あなたがひとたび 徳の土台をつくりあげれば

そこには

愛と死の質があらわれます

それが 生のすべてです


そのとき 心は

たとえようもなく静かになります

おのずと静かになります

抑圧し 律し コントロールして 

静かにさせられるのではありません

この静けさは

かぎりなく豊かです



それを超えてしまうと

どんな言葉も

どんな描写も

まったく役に立ちません

そのとき 心はもはや

絶対的なものを知ろうとはしません

その必要がないからです

その静けさのなかには

“あるがままのすべて”が存在しているのです

このすべてが

瞑想のもたらす祝福です



雨あがりの丘は

すばらしかった

丘はいまも

夏の太陽に こんがりと焼かれていたが

やがて 緑が芽ぶくだろう

雨はかなり激しくふった

丘の美しさは たとえようもなかった

空はまだ どんよりしていた

大気には

うるしや セージや ユーカリの香りが漂っていた

香りにつつまれているのは

すばらしかった

あのふしぎな静けさが

あなたにのりうつっていた

はるか眼下に広がる海とはちがい

丘はまったく静かだった

あなたは あなたのことをながめた

あなたは 下にみえるあの小さな家に

すべてを置き去りにしてきた

あなたの衣装

あなたの思考

生活のならわし……

いま あなたは 

とても身軽に旅をしていた

どんな思考もなく

どんな重荷もなく





次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
成長を止めることはできない
人はこの世に生きている間に、
その道を学ばねばならぬ。

学びにも色々なレベルがあります。
肉体を持たなければ学べない事があるのです。
痛みを感じないといけないのです。


人は肉体を持っている時、
痛みを感じ傷つく事ができます。

肉体を持っている時にだけ・・・
人間関係ということを体験できるのです


我々は成長を止めることはできない。
我々は霊界へ行っても成長し続けるのだ。


我々の肉体はこの地上にいる間の乗り物なのだ。
永久に存在し続けるのは我々の霊魂なのだ。


ブライアン・L・ワイス『前世療法』ろくろくメモ④



2007/08/29(Wed) 21:35 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
批判されたくなかったら
何も言うな、何もするな、何者にもなるな


人間は誰ひとりとして人間を
作り出すことはできないのです。
誰ひとりとして。


キューブラー・ロス『死ぬ瞬間と死後の生』ろくろくメモ⑦


2007/08/29(Wed) 21:24 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
世の終り近づけり汝ら悔い改めよ
この世に生きているときのみが、
カルマの解消ができる、
自己の魂を進化させるチャンスといえる。


魂が自らを認識できるのは、
肉体のなかにいるときだけじゃ。

肉体を通して、魂は、偏りや癖を直し、
調和を学ぶことができる


肉体との不調和は、病を生み、
魂のバランスの能力を身に着けるのに
最適な方法といえる。

病は、魂の改善、バランスを学ぶのに、
よい経験、習得法といえる

なるほど~




※「世の終り近づけり汝ら悔い改めよ」=「天国は近づけり汝ら悔い改めよ」
今日までは夜の世界であったからで、それが時期いよいよ来たって夜の世界はここに終焉を告げ、昼の世界に転換する事となったという意味

世=夜  天国=昼
2007/08/29(Wed) 21:03 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
錬金術者さん☆
こんにちは☆

あら、嬉しい♪(笑)そう言って頂けて光栄ですわ☆

ろくろくさんの記事と錬金術者さんのコメントに触発されてのことなのですが

不思議とリンクしてゆくのでビックリ!

意味不明?に思われるかもしれませんけれど(笑)・・・

明日、福田先生の『私の幸福論』に戻り「教養について」を転載したいと思っていたところに、錬金術者さんのコメントという絶妙のタイミング☆

その内容と「教養について」の内容と重なり被る部分が驚く程ありましたので。。。

それは、読んでからのお楽しみ♪と言う事で、明日また☆
2007/08/29(Wed) 12:42 | URL  | マリア #-[ 編集]
『前世療法』より☆
「人の道は基本的には誰にとっても同じだ。人はこの世に生きている間に、その道を学ばねばならぬ。
ある者は速く、他の者はゆっくり学ぶ。慈悲、希望、信仰、愛・・・人はそれら全てを学ばねばならぬ。
一つの希望、一つの信仰、一つの愛というように切り離されたものではなく、全ては繋がっているのだ。
また、それを実行する方法はいくらでもある・・・」

「肉体にいるのが異例の事なのだ。霊的な状態にいるのが自然なのだ。肉体に送り返されるのは、恰も未知の世界へ送り返される様なものだ。それには時間がかかかる。霊的な世界で待たなくてはならない。
待っているうちに再生されるのだ。再生の次元がある」

「・・・とてもたくさんの精霊がいます。彼らは来たい時に来るだけです。私達は皆、精霊なのです。
ある精霊は肉体の中にいるし、新しく再生の時期にいる精霊もいます。又ある精霊は守護霊になっています。
でも私達は皆、霊的な世界へ行くのです。又、私達が守護霊だったこともあるのです」

「学びにも色々なレベルがあります。肉体を持たなければ学べない事があるのです。痛みを感じないといけないのです。肉体の無い時には痛みを感じません。霊魂の姿でいる時は再生の時なのです。魂が再生されるのです。
人は肉体を持っている時、痛みを感じ傷つく事ができます。しかし、霊魂の姿の時はその感覚がありません。
幸福感と安らぎの感覚だけなのです。その時は私達にとって再生の時なのです。霊の姿をとる時、人々は交流の仕方が全く異なります。肉体を持っている時にだけ・・・人間関係ということを体験できるのです」

「私達はこの物質界にいる時、いろいろな段階を通ってゆく・・・それは進化の過程に似ている。
まず乳児期、幼児期、子供時代・・・最終目標に達するまで遠い道をいかねばならない。肉体を持っている時の諸段階は辛く苦しい。霊界へ行けばずずっと楽になる。休息し待っていればよいからだ。この世に生きている間はきつい段階なのだ」

「・・・我々は成長を止めることはできない。我々は霊界へ行っても成長し続けるのだ。
我々は色々な段階を通過してゆく。我々がこちら側に来る時、肉体は燃え尽きるのだ。
我々は再生の段階、学びの段階、決断の段階を通りすぎてゆく。いつ何処に、どんな理由で戻るのか決断するのだ。ある者はもう戻らない事を選ぶ。即ち、他の発展段階へと進む事を選ぶ。彼らは霊体のままでいる・・・
ある者は他の者より生まれ変わるまでの期間が長い。これは全て学びと不断の成長の為なのだ。
我々の肉体はこの地上にいる間の乗り物なのだ。永久に存在し続けるのは我々の霊魂なのだ」

『前世療法』 ブライアン・L・ワイス PHP文庫 ¥562(税別)
2007/08/29(Wed) 12:19 | URL  | マリア #-[ 編集]
真実は三位一体
 マリアさまのブログの書き込みは非常に示唆に富んでいて貴重で面白く勉強になります。勿論、その土台の、ろくろくさまのブログがあってこそですが。

 「どうして私は玄米や生野菜と聞くと拒絶反応を示すのか考えてみました。それは私がコーヒーを飲み、ハンバーガーを食べ、タバコを吸い、健康食品の類にはアレルギーを起すからです。」
 この自己反省こそ、魂の向上(叡智)を生むものだと思います。

 煙草を吸い不健康な生活をしている人からみれば、生野菜を食する健康的な生活をしている人を、どうしても拒否してしまうのは、自分のなかに、他を赦さない、エゴがあるからといえるじゃ。自らの立場から、他を裁いていることに相当するじゃね。

 どうして、人間は自らが立つ場所から判断してしまうのか? そして、その立ち位置の見晴らしが悪いといって、他の立ち位置まで、行くことをせずに、他を同じものと錯覚し、変えさせようとすらする。

 立ち位置により風景が変わるのは、この世で観光をすればわかることである。風景だけでなく、気持ちも異なる。職場では、立場により、同じ出来事でも、その捉え方は千差万別であるじゃ。

 真実とは、それら全てが合わさって総体となり、包括的にみなければ顕れてこない。端的にいえば、全ての観点からみて、捉え、全ての立場を含んだものといえるじゃろう。

 三者三様の見方があっても、それ全体が、それで1つの真実を形成するわけであるじゃね。だから、まず、自分とは、全く正反対の立場にいる人を慮ることは、魂の経験上では重要なのであるじゃ。

 その人なければ、自分の魂の向上は果たされない、絶好の機会を逃すことになろうじゃ。ここに、一期一会の大切さと、汝の敵を愛せよという意味が理解できるであろうじゃ。

 自分側の一面的な見方しかできないのでは、この世に生まれてきた甲斐がないといえるじゃろうね。

 子は親の立場を考え、親は子の立場を考え、そしてお互いが相手の立場を知ることで、家族全体は円満になるというわけじゃが、この理屈通りには進まずに、まずは、お互い自我を押し通して、痛い目をみる体験、実践が必要じゃね。やはり、肉体が必要で、そこから、自分なりの協調精神や役割、バランス感覚が身につくものと思うじゃ。

 生きることとはなんと素晴らしきことじゃろう!
2007/08/29(Wed) 10:53 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
現代における癒し☆
このセミナーでは、エリザベスの講演に先立って、一人の男性がいささか厳粛な口調で彼女を紹介した。

「このセミナーを企画し、現代における最も素晴らしい、そして最も傑出した女性のひとりをここに招いてくれた関係者各位に深く御礼申し上げます。その女性はこれまで多くの愛を受け、また多くの愛を与えてきました。
エリザベス・キューブラー・ロス、あなたは生を祝福する力であり、あなたをお迎えできて本当に光栄です。
ありがとうございます」

(拍手を受けてエリザベスはためらいがちに話しはじめる)

ありがとう。本当に有難う。とても感動的です。
こんなに大勢の方が、未知の新しい事に対して心を開いているのを見るのは本当に感動的です。
でも、この中のどれくらいの方が、朝8時から延々と語られてきた事を理解できたのかは疑問ですね。
少なくとも私には、全部は理解できませんでした。(会場から驚いたような笑い)
でも、それで当然じゃないでしょうか。私花にも否定的なニュアンスを込めて言っているわけではありません。
私達は胸がわくわくするような刺激に満ちた時代を生きています。新しい事が次から次へと起こっています。
だから、オルガが何をしているのか、セルマが何をしているのか、エルマーが何をしているのか、そしてこの私が何をしているのか、それを完璧に理解している人なんて一人もいないだろうと思います。

私どものグループが何をしているか理解していない人達は、私達のことを、頭がおかしいとか、精神異常だとか、現実を見失っているとか言います。或いはおかしなレッテルを貼ります。でも、何かレッテルを貼られたら、祝福を受けたと思えばいいのです。喜ばなくちゃいけません(驚いたような沈黙、次いで和やか笑い)
もし現実検証というものを非常に狭い意味で定義するなら、つまり、全ての人の身に起こり、全ての人に理解できるようなものを理解するという事だけを意味するのなら,私は生まれた時から今に到るまでずっと精神異常です(笑)

私のオフィスの壁には一枚のポスターが貼ってあります。
「批判されたくなかったら、何も言うな、何もするな、何者にもなるな」なる程、これも一つの選択肢ですね。でも、ここにいらっしゃる皆さんは、そういう選択肢を選ぶような人達とは違う筈です。
ただし、だからといって、そういう人達よりも皆さんの方が上だということにはなりません。
それはきっとお分かり頂けるでしょう。高校に行っている子は幼稚園に通っている弟や妹をぶったりしません。

物理的、肉体的な形での人生はまさしく学校に他ならないという事が、私達にも漸く分ってきました。
私達はその学校で学び、成長し、たくさんの試験に合格しなければなりません。
上級生になれば試験も難しくなります。そしてまた、こういう事も分ってきました。

それは、この学校に先生はいない。いるのはいろんな学年の生徒だけだという事です。

どうしてこんな話を持ち出したかというと、私は「普通の脳では意識に限界がある」といった内容の事を耳にする度に、思わず「神様に感謝」と書き留めてしまいます(会場から驚きの沈黙)
そういうことを聞くと、神に対する畏敬の念がますます深まるのです。だって、もし脳に限界がなかったら、そんな脳は私達の手に負えなかったでしょうし、耐えられなかったでしょう。
突然、四六時中オルガズムが味わえるようになったらどうします?誰が皿洗いなんてしますか!(会場から大きな笑いと拍手)私は大真面目で言っているんですよ(更に大きな笑い)

人間であるという事は、私達にとっては神様からの贈り物です。今この瞬間にも次々と生まれてくる小さな子供達も同じです。そういえば、ここに来る前に生後3週間の赤ちゃんの訪問を受けましたが、赤ん坊を見る度に「何という奇跡だ!」と思わずにはいられません。というのも、今こうして、ここワシントンに優秀な頭脳が結集している訳ですが、たとえ皆さんが億万長者だったとしても、あの赤ん坊と同じものを作り出すことはできません。

人間は誰ひとりとして人間を作り出すことはできないのです。誰ひとりとして。

私は、より高次の意識に関する理論など持ち合わせてはおりません。ただその場その場に応じて人々を癒しているのです。しかしながら、もし、この世ではないもうひとつの世界にいった事がなかったら、今やっているような事は出来なかったに違いありません。

私は実に様々の人に接してきました。死の床にある子供。子供を殺された親。
ある母親は牛乳を取りに出て家に戻ってみると小さな息子が3人とも首を撃たれて死んでいました。
ある若い医師は父親がハンティントン病にかかって40歳の若さで急速に老衰していくのを見守り、その後何年間も「家族の半分に遺伝すると言うが、自分はその半分の方なのだろうか」と悩み続けました。
やがて実際に彼にも症状が出始め、彼はまだ就学前の子供達を見ながら、あと数年すれば自分もまた父親と同じような状態になるのだと悟らざるを得ませんでした。彼に思いつく唯一の解決策は、自殺する事でした。

私は毎日18時間、週に7日、苦痛と痛みと恐怖を見続けています。
もし私が人生の別の側面を見ることが出来なかったら、こんな生活は出来ないでしょう。
もし人生の意味が、また痛みの持つ意味が、さらには悲劇の持つ意味が、そして人生の持つ意味が理解できれば、生きている事を有難いと思うでしょう。

嬉しい時や高揚している時だけでなく、苦しい時にも、きっと人生を有難く思う筈です。

『死ぬ瞬間と死後の生』 E・キュブラー・ロス き2 中公文庫 ¥762(税別)
2007/08/29(Wed) 10:30 | URL  | マリア #-[ 編集]
この世だけが清算の場
 マリアさまの書き込みのように、この世に生きているときのみが、カルマの解消ができる機会に巡りあえる。つまり、自己の魂を進化させる絶好の機会といえるじゃ。

 なぜなら、肉体は、魂の鏡で、魂が自らを認識できるのは、肉体のなかにいるときだけで、魂は、肉体を通して、自らを知るというじゃ。

 だから、肉体を通して、魂は、自らを知ることができ、客観的に物事を判断でき、自らの間違いや過ちに気づくことができるわけだに。

 肉体を通して、魂は、偏りや癖を直し、調和を学ぶことができるわけだに。肉体との不調和は、病を生み、魂のバランスの能力を身に着けるのに最適な方法といえるじゃろう。病は、魂の改善、バランスを学ぶのに、よい経験、習得法といえるじゃね。

 さて、この間、TVで、あるお坊さんの修行をみた、そのお坊さんは、毎日、修行の険しい山歩きのために、草履を1足づつ、潰してしまう。この修行を1000日ほど続けていて、潰した草履は1000足となった時点で、あることを悟ったという。

 我々人間も、この草履と同じで、一日、一日と心を改めていかなければならない、この一日、一日の草履をはき潰していくような、心の変化が、一生をつくりあげるというようなものだったと思うじゃ。

 このお坊さんの草履の悟りの、草履を肉体に置き換えて考えてみると面白いじゃ。

 人間の魂は、転生毎に、肉体(草履)をはき、険しい山を登っていく、そのつど、肉体(草履)は、険しい山登りに適したものに変えていかなければならない。

 1つの山を登る度に、使い古した肉体(草履)を捨てなければいけない。そうしないと、新たな山登りに適した新しい肉体(草履)を手に入れることができない。これはつまり、肉体(草履)を捨てる死が必要ということなのである。

 だから、魂が永遠に体験し、進化を続けるには、死が必要なのであるじゃ。つまり死は再生じゃね。これは細胞にも当てはまるもので、ちゃんとした細胞死をアポトーシスと呼ぶが、これは再生のための死であり、プログラム死とも呼ばれているじゃね。

 対して、再生につながらない死は、ネクローシスと呼び、壊死、つまり破壊による死といえるじゃ。このことは、約20年前に発見されたが、太古では既に知られ、ヒポクラテスが定義し呼んでいたことでわかるじゃ。

 魂は、肉体を借りて、能力を高めるが、つまり、この世に生きているときだけ、魂が、精進できるわけで、いわば、いま生きることがどれほど貴重で大切なことかがわかると思うじゃろう。

 「悔い改めよ」というと、ネガティブに聞こえるが、「魂を開発せよ」といえば、ポジティブに聞こえるかね? 魂から開発すべきは、真善美を悟る能力、つまり愛といえるじゃろうね。
2007/08/29(Wed) 10:28 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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