2007年08月28日 (火) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(31)



瞑想とは

知りえないもののなかでおこる動きであり

知りえないものが動くことです

あなたは そこにいません

ただ動きがあるだけです

あなたは この動きにたいして

小さすぎたり

大きすぎたりします


動きの背後には なにもありません

動きの前面にも なにもありません

それはエネルギーです

物質である思考は

それにふれることができません

思考とは つねに逸脱していくものです

というのも

思考は過去の産物だからです

思考は 何世紀にもわたって酷使されています

だから

混乱していて

クリアーではありません

ためしに あなたが望むことをしてみてください

すでに知られているものは

知りえないものに手をのばすことなどできません

瞑想とは

知られているものを

超えてゆくことです

すっかり静まった心による瞑想

それは

ひとがたえずもとめている

祝福です

この静けさのなかに

静寂の

あらゆる質があります




次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
待つことと忍耐の大切さ
自然のバランスの中に潜む英知、恐怖、
特に死の恐怖を取り去る事の大切さ、

信頼する事と許す事を学ぶ必要性、
他人を批判しない事を学ぶ大切さ、
他人の生命を奪わない事、

直観力の訓練とその使い方等々、
そして最も重要な事は、
我々が永遠の命を持っていることを
しっかり知ることだった。

我々は死も生も、
空間も時間も越えた存在なのだ。

我々は神であり、神は我々なのだ。


ブライアン・L・ワイス『前世療法』ろくろくメモ③



2007/08/28(Tue) 20:45 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
この世に偶然はない
この世に偶然はない、というのが私の信念です。
皆が偶然だと思っているものは実は「神の配慮」です。

もし、もしですよ。
あなたが誰かに対して否定的な反応を示したら、
それは、あなた自身にやり残した仕事があるという事です。

私はその男性に極めて否定的な反応を示しました。
だから、家に帰って、どうして私は玄米や生野菜
と聞くと拒絶反応を示すのか考えてみました。

それは私がコーヒーを飲み、
ハンバーガーを食べ、タバコを吸い、
健康食品の類にはアレルギーを起すからです(笑)

とにかく、こういうふうにして
自分のやり残した仕事は何か判断するのです。
これをやる事はとても大事です。


キューブラー・ロス『死ぬ瞬間と死後の生』ろくろくメモ⑥



2007/08/28(Tue) 20:43 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
法身
法身(ほっしん)
報身(ほうじん)
応身(おうじん)
の三身の一つで、

真理そのものとしてのブッダの本体、
色も形もない真実そのものの体をいう。
真理(法)の身体、真理(法)を身体としているものの意味


「法仏(ほうぶつ)」
「法身仏(ほっしんぶつ)」
「自性身(じしょうしん)」
「法性身(ほっしょうしん)」
などともいう。

「法身仏」は「法性法身(ほうしょうほっしん)」とも言われ、
色も形もない、形相を超えた真如(しんにょ)そのものとしての仏さま。
姿形のない、言葉にもならない真如そのものを表している。

姿かたちがないのだが、それでは人間には理解できないから
仮に形をとったのが大日如来であり、あの奈良の大仏さん(盧舎那仏)
だという。


部派仏教の時代、
説一切有部(せついっさいうぶ)では、
仏陀(ぶっだ)の肉身である生身(しょうしん)に対して、
仏陀の説いた正法(しょうぼう)や
十力(じゅうりき)などの功徳(くどく)を法身と呼んだ。

大乗仏教では絶待的な真理を法身という。
また、如来蔵(にょらいぞう)説では、
如来蔵が煩悩(ぼんのう)を離れて
それ自身を現したものをいう。

法身の本性(ほんしょう)については、
密教では

自性(じしょう)
受用(じゅゆう)
変化(へんげ)
等流(とうる)

の四身をすべて法身とみなす四種法身を説いている。



2007/08/28(Tue) 20:15 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
七つの階層☆
彼女は何かに耳を傾けている様子だった。突然、彼女は話し出した。それはキャサリンではなかった。

「全部で七つの界層がある。七界層だ。それぞれの界層は多くの段階で構成されている。
その一つは過去を振り返る為の界層である(内省の階層)この界層では、我々は自分の考えをまとめることを許されている。今終わったばかりの人生について振り返ってみることができるのだ。もっと上のレベルにいる人々は歴史を見る事が許されている。歴史を学ぶことによって、物質界へ戻って教える事ができるのだ。しかし、低いレベルにいる我々は、自分の人生を振り返ることができるだけだ。今、終わったばかりの人生を」

「我々は支払わなければならないカルマを負っている。もし今生でこのカルマを支払わなければ、次の人生に持ち越す事になる。いつかは支払わなければならないからだ。カルマを支払う事によって我々は成長するのだ。
ある魂は他の魂より成長が早い。人は肉体を持った時にだけしかカルマを返す事が出来ない。
もし何かがそのカルマを返すことを妨げると、お前は『内省の界層』に戻らなければならない。
そこでカルマを負った相手が会いに来るまで待つことになる。二つの魂が同時期に物質界に戻る事ができる時に、お前達は戻ることが許されるのだ。
しかし、戻る時期は自分達で決めねばならない。又、カルマを返す為にすべき事も決めて生まれるのだ。
他の転生の事は覚えていない。そのレベルでの魂は直前の人生の事しか記憶していないのだ。高いレベルの魂
ー即ち聖人のみーが、歴史や過去の全ての出来事を振り返る事ができる。人を助け、人としての道について教える為である」

「霊界には七段階の界層がある。・・・人間が神に帰る為には、この七つの界層を通過しなくてはならない。
七界層の一つは次の次元への移行の界層である。そこでお前は待つわけだ。その界層で、次の人生にどのような資質を持ってゆくかが決められる。我々は皆・・・何か支配的な特質を持って生まれる。
それは強欲であったり情欲であったりする。しかし、それが何であれ、自分のカルマは相手に返さなければならないのだ。その後、人はその転生の時分の特質を克服しなければならない。強欲を克服する事を学ばなければならないのだ」

「もしそれが出来ないと、その性質は他の者と一緒に次の人生に持ち越される。
そしてその重荷は、ますます大きくなっていくのだ。一回一回の人生でカルマを返していかないと、後の人生はますます困難なものとなろう。一つの人生でカルマを返してしまえば、次の人生はもっと容易なものとなるのだ。どんな人生を送るかは、自分で選択しているのだ。だから、自分の人生に100%の責任がある。自分で選択しているからだ」

キャサリンはこう言うと押し黙った。

これは明らかに高いレベルのマスターから来たものではなかった。
彼は自分のことを「低いレベルにいる我々」と言って高いレベルにいる魂、即ち聖人と比較している。
しかし伝えられた知識はどちらも同じように明確で実際的なものであった。あと他の五つの界層とはどのような世界なのだろう?「再生の段階」とはこの中のひとつなのだろうか?また「学びの段階」と「決定の段階」はどうなのだろう?

しかし、様々な霊的界層から伝えられるメッセージは常に首尾一貫していた。
伝達の語調や言い回し、文法や言葉使いは違っいても内容は同じものだった。
私は霊的な英知の全体像を習得しつつあった。この英知は、愛と希望と信頼と慈しみについて語っていた
美徳と悪徳、他人へのカルマと自分自身へのカルマを考察していた。
数々の過去世とその狭間の霊的世界のことも含まれていた。
調和とバランス、愛と知恵による神秘で喜びに満ちた神との合一への魂の成長について語っていた。

またそれに付随して、実際的な助言もたくさんあった。
待つことと忍耐の大切さ、自然のバランスの中に潜む英知、恐怖、特に死の恐怖を取り去る事の大切さ、信頼する事と許す事を学ぶ必要性、他人を批判しない事を学ぶ大切さ、他人の生命を奪わない事、直観力の訓練とその使い方等々、そして最も重要な事は、我々が永遠の命を持っていることをしっかり知ることだった。
我々は死も生も、空間も時間も越えた存在なのだ。我々は神であり、神は我々なのだ。

『全盛療法』 ブライアン・L・ワイス PHP文庫 ¥562(税別)
2007/08/28(Tue) 14:32 | URL  | マリア #-[ 編集]
やり残した仕事☆
2・3年前、ある女性から相談を受けました。

彼女のご主人はまだ中年ですが、全身が麻痺して口がきけない状態がもう4年続いていました。
その家に行ってみると、彼は本当に打ちひしがれたようにベッドに横たわっていました。
まだ小さな子供が二人いて、奥さんは疲れきっていました。何かに怯えて暴れるのが彼の示す唯一の反応でした。

私は会話ボードを使って、何にそんなに怯えているのかと尋ねました。彼は「妻は私を厄介払いしようとしている」と答えました。私は言いました。
「厄介払いですって?奥さんは昼も夜も、24時間休みなく4年間も貴方の世話をしてきたんでしょ?」
「ええ、だからこそ私を厄介払いしたいんです。疲れ果てたんです。もうこれ以上は体が持ちそうもないので、私を入院させる手続きを取ったんです」
彼はこう続けました。ー自分の命はあと数週間だ。なのに妻は私を入院させようとしている。入院すれば人工呼吸器をつけられる事は分っている。それだけは嫌だ、と。彼はこうも続けました。ー私は4年間、子供達の成長を見守ってきた。自分は最後まで病気に対処できる。なのに、あと数週間だというのに妻は私を病院に追いやろうとしている。お願いだからもう少しだけ頑張ってほしい。直に死ぬと約束する。それ程の負担にはならない筈だ・・・。

私は患者と子供達の前で奥さんに向かって、彼の言っている事は本当かと尋ねました。
彼女は、夫の言うとおり入院の手続きをした、私はもう限界に達した、と答えました。
24時間付きっ切りで病人の看護をしたことのある方なら、4年間それを続けるなんて人間業ではない、という事がお分かりでしょう。
私は彼女に、後ほんの数週間だけ我慢できないかと尋ねました。患者の精神状態は正常だ。その患者が自分はあと2・3週間で死ぬといっているのだから、願いを聞き入れてやったらどうか、と。

彼女は、ごく簡単に言えば、男手が必要だという意味のことを言いました。ー夫の手を借りずに暮らすことにはもう慣れた。つまり、夜8時から朝8時まで看病を代わってくれる丈夫な人が必要だという事で、そうすれば私は睡眠をとることが出来る・・・。
皆さんの中で、病気の子供を持った経験のある方ならお分かりになるでしょう。彼女の言い分には全く無理がありません。

この世に偶然はない、というのが私の信念です。皆が偶然だと思っているものは実は「神の配慮」です。
私はその家を訪問した翌日から、5日間のワークショップを開くことになっていたので、奥さんにこう言いました。
「私が今日ここへ来たのは、明日からのワークショップにあなた方にとってピッタリの人物が現れるに違いない、という確信があったからです。その人を誘拐して、ここに連れてきてあげます」(会場からくすくす笑い)
「その人によるの看護を代わって貰ったらいいでしょう。万が一そういう人がみつからなかったら、また私が様子を見に来ます」
この女性は、私が神の配慮と呼ぶものを固く信じているタイプの人でしたから、あと5日頑張ってみますと応じました。

翌日、ワークショップが始まりました。当たり前の事として、参加者はいつでも女性の方が多いのですが、この時、私は男性しか目に入りませんでした(会場から笑い)
参加者は百人いましたが、男性だけを一人ずつじっと観察しました。
「あの人はどうかな?いやだめだ。この男性はどうだろう?いや、ちょっと違う}
ピッタリだと思える人は一人もいませんでした。

水曜になると、私は段々、不安になってきました。(笑)私の直感は大体いつも当たるのです。頭を使うとおかしなことになるのですが(笑)とにかく、水曜日までに私は男性を全員チェックしました。
ただ、まだ自分のことを話していない男性が一人だけいました。参加者は一人ずつ皆の前で自分のことを話すのですが。やがて彼の番がきて彼は自分のことを話し始めました。

彼が口を開いた瞬間、私は「あ、こりゃダメだ!この人にはあの患者の世話は出来ない』と思いました。
その男性の話し振りは、こういう言い方を許してもらえるなら、実にカリフォルニア的でした(聴衆、大笑い)
これは意地悪な表現ですが、私はそれ程ひどい意味で使ったのではありません。ただ、彼は何というか、自分で自分を包むみたいな座り方をしていて(エリザベス、それをやって見せようとする)・・・私には真似できません。

彼の話によると、彼はこれまで世界各地のありとあらゆるワークショップに参加してきたそうで、玄米と生野菜を食べて暮らしていました(会場からくすくす笑い)ひどい言い方ですが、極端主義の生きた標本みたいな男性で(笑)おまけにワークショップ中毒にかかっています。(聴衆、大笑い)私はそういう連中を寄生虫と呼んでいます。彼らは働かず、年中あちこちのワークショップに出てばかりいるのです(笑)
彼の話を聞くうちに「ダメだ、ダメだ、こんな人をあの家に送る訳には行かない」という思いをますます強くしました。

身の上話を終えると、彼はいいました。「あなたを見習いたくて来ました。僕はこういう仕事がしたいんです」
私は心の中で「ようし、やらせてあげようじゃないの」と思い、(会場から笑い)こう言いました。
「一日24時間働ける?」
「ええ」
「話せない人の世話ができる?」
「ええ」
「その人は書くこともできないのよ}
「平気です」
「昼も夜も働ける?」
「平気です」
「全然お金がもらえなくても?」
「平気です」

患者の状態が以下に深刻かをこちらが強調すればする程、その男性はますますやる気になるのでした。(笑)
とうとう私は、こう言わざる得なくなりました。「分りました。仕事は夜8時から朝8時までです」
彼が仕事に現れるだろうとは、これっぽっちも期待していませんでした。
「金曜のお昼にワークショップが終わったら彼は姿を消すだろう」と思っていました。

ところが彼はその患者の家で働きはじめたのです。しかも、患者をあんなに一生懸命に世話してくれた人はそれまでいなかった程!脚をマッサージし特別の料理を作り患者に本を読んで聞かせました。本当に真心を込めて世話をしたのです。しかも、患者が死んだ後も、家族が立ち直るのを見届けるまで2週間その家に留まったのです。

私がこの事から得た教訓は、カリフォルニアの人間を見くびってはいけないという事でした(聴衆、大笑い)
もし、もしですよ。あなたが誰かに対して否定的な反応を示したら、それは、あなた自身にやり残した仕事があるという事です。私はその男性に極めて否定的な反応を示しました。
だから、家に帰って、どうして私は玄米や生野菜と聞くと拒絶反応を示すのか考えてみました。
それは私がコーヒーを飲み、ハンバーガーを食べ、タバコを吸い、健康食品の類にはアレルギーを起すからです(笑)

とにかく、こういうふうにして自分のやり残した仕事は何か判断するのです。これをやる事はとても大事です。

『死ぬ瞬間と死後の生』 E.キュブラー・ロス 期2 中公文庫 ¥762(税別)



2007/08/28(Tue) 12:18 | URL  | マリア #-[ 編集]
人間は本来7~9次元からなる
 秘教では、人間は本来7~9次元からなるといわれておるじゃ。肉体が感覚をもって活動する、いわば物理世界は、本来3次元であるじゃ。

 しかし、3次元空間を運動することができるので、肉体は3次元でも、感覚は、4次元といえる。プラトンが、このことを、洞窟のなかで壁をみることに喩えているじゃね。

 つまり、人間は、洞窟のなかで、3次元空間の壁、つまり物質をみて、その運動から4次元空間を想定しているわけじゃね。物体の運動の観測に基づいて、時間を定義しているわけじゃね。

 しかし、本来、時間というのは、物体の運動ではないじゃね。それは人間が、3次元しか捉えることができない感覚世界の洞窟に住むが故に、そのような定義が成り立っているわけじゃね。

 この時間の定義が矛盾するのは、例えば、人間が眠っているときの夢に現れるわけじゃね。

 だから、人間は、この時間の定義の矛盾故に、未来を予測することは不可能で、確率解釈しか行えないわけじゃね。人間はせいぜい、時間プラス3次元空間の時空の感覚しかもてないでいるわけじゃ。

 人間は時間の感覚が矛盾で曖昧なので、必ず間違える、それ故に、自由な存在で、行為を一歩づつ改善してゆけるわけじゃね。

 しかし、実はこれは現代人の習性で、太古人は異なったという。少なくとも、空間から切り離された物体の運動が時間ではなく、太古人の場合は、時間とはいわば神々の命令(意志)に近いものだったようであるじゃ。

 端的にいえば、「汝が、魂の発展(進化)を希求するならば、まだまだ体験が必要じゃ。だから、その体験を積むまで、辛抱強く、わしの近くにいて、ときを待つがよい」というような、いわばいまでいう師弟制度の、師が、弟子に技術を伝授するような感覚に似ているといえる。

 つまり、魂の成長度合いが時間の定義となっていたようである。この時間感覚でいえば、長老は様々な体験を積んだ賢者であり、偉いものとなる。

 だから、3次元以上の4次元から、魂の成長の段階で、いわば、目に見えない世界といえるじゃね。

 4次元の世界は、3次元を統御する次元なので、いわば仏教でいう法の世界、3次元が物質の肉体なら、4次元は法身といえるじゃね。気孔の「気」でもある。

 ギリシア哲学ではアイテールとか、エーテルと呼んでいるじゃ。ギリシア哲学では、物質世界は、4大元素、つまり、土(固体)、水(液体)、風(気体)、火(熱)からつくられるとされていたので、第5要素といわれていたじゃね。

 4次元を認識するには、物質の背後、つまり、物体の運動の裏にある、いわば神々の意志を読み取らなければいけないといわれていたじゃ。それには、瞑想を行い、通常の感覚から離れ、意識を集中し、いわばイメージトレーニングを行う必要があるというわけじゃね。

 物理学者は、運動を計算して予測し、その理想状態において、当たることもあるが、それは数学が、瞑想の一手段であることを意味しているじゃね。ピュタゴラス学派は、瞑想により、数学を確立してきたというじゃ。だから、瞑想の邪魔になる、豆類は食べなかったというだに。

 4次元は、空間で表すなら平面に近いという。平面が押し寄せてくるか、離れていくかの感覚だという。

 5次元は、心、いわば感情の世界で、直線のようだという。6次元は、自我の世界で、思想、感情、意志を統御する中心で、いわば点の感覚だという。

 7次元はマナスで、無の感覚、8次元はブッデイ、9次元はアートマンという呼び名があるだけしかわからんじゃ。

 それぞれ、上位が下位を指導、制御し、下位が、上位に新しい体験を与えるという感じといえるじゃろうね。 
2007/08/28(Tue) 10:32 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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