2007年08月27日 (月) | Edit |
アルフォンス・デーケン 編著「老いと死をみつめて」同文書院より(20)


Q キリスト教では、「許し」ということを重視して、
「敵までも愛せ」と言うそうですが、
どこまでそういうことができるものでしょうか。


A 私自身の小学校の頃のつらい体験をお話ししたら、
この「許し」と信仰の一つの実例としてご参考に
なるかもしれません。

ナチス・ドイツが敗れて、アメリカとイギリスの軍隊
が私たちの町を占領した日の出来事は、生涯忘れられ
ません。


我が家は反ナチ抵抗運動に進んで加わり、特に私の祖父
は命懸けでナチと闘った経験を持つだけに、ヒトラーの
独裁から解放されるこの日を誰よりも心待ちにしていま
した。

そして敵意のないことを示す白旗を掲げて占領軍を迎え
に出た祖父は、私の目の前で、歓迎しようとしたその連
合軍の兵士の手によって、いきなり射殺されてしまった
のです。

子供ながら自国の政府に批判的な考えを持ち、戦争の残
酷さをいやというほど見せつけられていた私は、連合軍
を自由の象徴としてあまりに理想化していたかもしれま
せん。

しかし、私が子供ごころに抱いてきた善と悪についての
図式は、祖父の無意味な死によって跡形もなく衝き崩さ
れてしまいました。

呆然とした私には、新約聖書のイエズスの教え「汝の敵
を愛せよ」(マタイ五章四四節)がまったく不可解になり
ました。

イエズスは、たった今私の祖父を撃ち殺したあの兵士を
も愛するようにと、本当に望んでおられるのでしょうか。

数十分のうちに、私は生まれて初めて現実の「敵」と顔
合わせなければなりません。激しい内心の葛藤の末に、
私はようやく次の結論に達しました。

ーーもし自分がイエズスのこの言葉をこころから受け入
れて実行することができないならば、自分はキリスト者
とは言えない。

なぜなら、愛についてのメッセージはイエズスの教えの
中心であり、それは敵への愛をも含んでいるのだから…
…。

ほどなく家宅捜索にあらわれた兵士たちを前にした私の
次の瞬間の行動が、私の信仰の試金石でした。それは私
がイエズスの愛のメッセージを身をもって実践できるか
どうかの境目だったのです。

私はあらん限りの努力で敵の兵士に片手を差し出し、
英語で「ようこそ(Welcome)」と話しかけました。

まさにそれは私の人生における決定的瞬間でした。私が
真のキリスト者になったのは、こころから「ようこそ」
の一言を発したあの瞬間だったと言えるかもしれません。

このとき私は、自らの手でキリスト者として生きる道を
選び取ったのです。

この世に完璧な人間などいるわけはないのですから、
お互いに許し合う、「許し」を与えるという生き方の意
義を、私たちはもっと幅広く考えたいと思います。

これは相手を憎んだり避難したりするよりも何倍も難し
いのですが、自分だけの立場に固執せず他人を温かく認
めようとする柔軟な精神は、信仰の有無にかかわらず人
間的な成長を遂げる上で欠かせないのではないでしょう
か。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
ブライアン・L・ワイス『前世療法』ろくろくメモ②
ここまで来る前に、
あなた方は自分の欠点に
気づかなければなりません。

もしそれを怠ると次の人生に
その欠点を持ち越す事になります。

自分で溜め込んだ悪癖は、
肉体を持っている時にだけ
取り除く事ができるのです。


私達は直感的な力を与えられていて、
その力に抵抗せずに従うべきなのです。
その力に抵抗する者は危険に遭います。

ある人々は他の人々より大きな力を持っていますが、
それは前世で徳を積んだからです。
このような視点から見れば、
人は皆平等に造られているとはいえません。



ブライアン・L・ワイス『前世療法』ろくろくメモ②


2007/08/27(Mon) 21:05 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
汝の敵を愛せ
憎しみの論理は人の目を曇らせる。
敵を憎んでいると、
闘いの構造が見えなくなり、
対応を誤る。

敵を愛することによって、
敵を私たち自身の責任の中に引き込み、
そこにまで私たちの責任範囲を広げる。

嫌いな人を憎むことで
私の権限が及ぶ範囲は縮小し、
私の人生は他人に侵食されてしまう。

自分の領域を取り返すために、
「いやなやつも自分の中に取り込みなさい」
という教えだという



2007/08/27(Mon) 20:45 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
前世療法☆
「私は自由です・・・自由を感じています」キャサリンが優しく囁いた。
「私は暗闇の中に漂っています。ただ、漂っています。周りに光がみえます。・・・そして精霊達、他の人々が見えます」

今終わったばかりの人生、クリスチャンとして生きた人生について、何か思う所があるかどうか、私は彼女に聞いてみた。

「私はもっと寛大であるべきでした。私は寛大ではありませんでした。人が私に何か悪い事をすると、絶対にそれを許さなかったのです。でも、許すべきでした。悪や過ちを許しませんでした。その気持ちを何年も自分の中に溜め込んで、ずっと恨んでいました。眼が見えます。眼が」
「眼?」マスター達が現れる気配を感じて、私は彼女の言葉を繰り返した。「どんな眼ですか?」
「マスター達の眼です。でも、私は待っていなければなりません。もっと考えてみなければならない事があるのです」張り詰めた空気のうちに何分かが経過した。
「彼らが出てくる時あなたはどうしてそれが分るのですか?」長い沈黙を破って私はワクワクしながら聞いた。
「私を呼ぶのです」更に何分か経った。
すると突然、彼女の頭が左右に揺れ始め、しわがれた自信に満ちた声に変わった。

「この次元には、数多くの魂が居ます。私だけではありません。私達は忍耐強くなければなりません。これは私とても、まだ学び切れないことです・・・ここには数多くの次元が存在します・・・」
私は彼女に、前にそこに居た事があるかどうか質問した。
「その時々によって様々な次元に行きます。それぞれが高次の意識のレベルの一つなのです。どの次元に行くかは、私達がどれくらい進歩したかによります」

彼女は再び沈黙した。進歩する為に何を学ばなければならないのかと、私は彼女に質問した。

「私達の知識を他の人々と分かち合わなければならないという事です。私達は皆、今活用している能力よりもずっと大きな力を持っています。ある人々はこのことを、他の人達よりずっと早く学びます。
ここまで来る前に、あなた方は自分の欠点に気づかなければなりません。もしそれを怠ると次の人生にその欠点を持ち越す事になります。自分で溜め込んだ悪癖は、肉体を持っている時にだけ取り除く事ができるのです。
マスター達が代わりにやってくれるわけではありません。もしあなたが争いを選び、しかもその癖を取り除こうとしなければ、それは他の転生に持ち越されます。そして、自分はその癖を克服する事ができると自分で決めた時には、もはや次の転生に持ち越す事はありません」

「又、私達は自分と同じバイブレーションを持つ人とだけ付き合っていれば良いというわけではありません。
自分と同じレベルの人に魅かれるのは当たり前のことです。しかし、これは誤りです。
自分のバイブレーションと合わない人と付き合う事も必要なのです。この様な人を助けることが大切なのです」

「私達は直感的な力を与えられていて、その力に抵抗せずに従うべきなのです。その力に抵抗する者は危険に遭います。
私達は同じ能力を持って、各段階から物質界に送り返されて来るわけではありません。
ある人々は他の人々より大きな力を持っていますが、それは前世で徳を積んだからです。
このような視点から見れば、人は皆平等に造られているとはいえません。
しかし、結局は皆平等になるところまで行き着くのです」

キャサリンは一息ついた。今の話が彼女のものではない事を私は知っていた。
彼女は物理学も哲学も学んだことはなかった。段階とか次元とかバイブレーション等のことは、何も知らなかった。しかしそれよりも、彼女の言葉や思想の美しさ、その哲学的な言葉は、キャサリンの能力を遥かに超えていた。
こんなに簡単に、しかも詩的に物事を言い表せる筈が無かった。彼女とは違う次元の高い力が、彼女の心に働きかけ、言葉を選ばせて思想を言語化し、私に理解させるようにしているに違いないと、私は感じていた。
これはキャサリンではなかった。彼女の声は夢見るような感じだった。

「昏睡状態の人は・・宙ぶらりんの状態に居ます。彼らはまだ、他の次元に行く準備ができていません。
自分でこちらの世界へ行くかどうか、まだ決めかねているのです。でも自分でしか、これを決めることはできません。自分はもう・・肉体を持った状態で・・学ぶべき事は学んだと思えば・・・こちら側に来ることができます。
しかし、まだ学ぶ必要があれば、たとえ戻りたくなくとも戻って来なければなりません。
昏睡状態は一種の休み時間です。精神力を休ませる時なのです」

『前世療法』 ブライアン・L・ワイス PHP文庫  ¥562(税別)


2007/08/27(Mon) 16:53 | URL  | マリア #-[ 編集]
許すということ☆
こんにちは☆

喜び楽しみだけではなく、受け入れ難い、怒り哀しみの部分をも含め全て受け入れること

それが「許す」ことだと思うようになりましたわ

自分の人生を受容すること=「許し」であると。その第一歩ではあると思います。

それさえもなかなか受け入れ難い、実に難しいことなのに、それが出来ていない人間がましてや「敵を愛す、許す」なんて芸当、何万年経とうとできるわけがありませんもの。。。

と、私は思います☆
2007/08/27(Mon) 14:44 | URL  | マリア #-[ 編集]
ようこそ、新しい自分!
 「御心のままになりますように」も、「ようこそ」も、自らを高める呪文だと思うじゃ。

 長く生きていれば、とても受け入れられない出来事に出くわす。どうしても赦すことができない人に巡り合う。そのときが信仰における試練といえるじゃろうね。

 そんなときは、古い思いや、古い自分を捨てるしかないだろう。古い思いや古い自分を抱えては、めまぐるしく変わるなかでは、生きていけない。

 雨の日が嫌だからといって、晴れの日も傘を持ち続けていたら、不自由だに。昨日の敵は、今日の友ともいうじゃね。

 確かに、敵を愛するのは、難しいし、敵を恨み、憎む方が、思いが集中できて、気が楽じゃね。しかし、それでは、自分のなかの、心の統一が損なわれるじゃろうね。

 敵を憎むことで、自らのなかの統一感、心の平安が損なわれ、毒が生じる。この毒を解毒しなければいけないじゃ。

 敵にみえ、恨みがつのる相手は皆、精神年齢の上で、赤ちゃんだと思い、赦せばいい。これがなかなかできないのだけどね。

 そんなとき、心のなかで、「神よ、御赦しください!この人たちは自分が何をしているのかわからないのです。」とでも祈ればいいと思うじゃね。そうすれば、自分のなかにも、欠点があることにきづくだろう。
2007/08/27(Mon) 11:04 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
[
「御心のままになりますように」
2007/08/27(Mon) 10:27 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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