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2007年08月09日 (木) | Edit |
五木寛之・帯津良一 著「健康問答」平凡社より(11)


五木 コーヒーのカフェインは、どうでしょう。

帯津 コーヒーは、最近、評価されていますよね。

五木 いろんな説がありまして、コーヒーは良くないという人も、
いまだに非常に多いんです。

帯津 ええ。

五木 だけど、最近は、コーヒーは体にいいという説も出てきた。
コーヒー業界が、バックアップしているということもあるんじゃ
ないのかな(笑)。


ともかくコーヒーは、非常に古くから、人類に薬として使われて
いますね。そもそもアラブ・イスラム圏から、薬として発生して
いるわけです。

だからたんなる嗜好品ではない。私もコーヒーの香りが好きなので、
コーヒーを淹れて、すぐには飲まずに、鼻のあたりまで持ってきて、
匂いをかいだだけで、もういいなと思うんです。

だけど、それだけではもったいないから、つい飲んじゃうんですね。
飲まずにお金を払って帰っちゃうのも惜しいから(笑)

帯津 そうそう。最近では、ガンの予防にもいいという説も出て
いますし。

五木 へえー、そうですか。

帯津 血液をさらさらにするとかね。

五木 コーヒーは、体を冷やすから良くない。紅茶のほうがいい。
生姜や黒砂糖を入れて飲むと、体が温まるから、紅茶をのみなさい
という人もいますね。私はときどき蜂蜜を入れて飲むんですけれど、
コーヒーにレモンを入れると旨いですよ。私の勝手な飲み方なんで
すが。

帯津 両極端がありますよね。それは、どんな研究でもありますから。
コーヒーは長いあいだ、世界中で愛飲されていて、それほどの問題は
ないようですから、まずは安全な嗜好飲料と考えてよいでしょうね。

もっとも大量にとれば、なんらかの害があるようですが、これは、
どんなものにもいえることで、とりあえずは論外といってよいでしょう。

コーヒーといえば、なんといってもカフェインです。
カフェインは交感神経を刺激し、血液の循環をよくし、疲労を癒し、
頭脳の働きを活発にしたり、消化液の分泌を促進したりしますから、
基本的には健康には良いと思います。

たしかなことはこれだけですが、先にもいいましたように、
制がん効果や、血液をさらさらにする効果もあるとすれば、
心強いですね。

五木 まあ、コーヒーの飲みすぎはもちろんいけないでしょうけれど。
胃が荒れるような気もするし、カフェイン中毒も、
なんとなく気になるし。

帯津 ガン予防とか考えずに、気分転換のため、嗜好品として飲むのが
いいのではないでしょうか。

五木 そういうことなんでしょうね。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
神秘体験を得るのに
山の頂上に行ったり、
隠遁したりインドに行ったりする
必要はないのです。


人間には誰にも、
肉体の部分と、
感情の部分と、
知性の部分と、
そして霊的な部分があります。

自分の不自然な感情や感覚、
憎しみや苦悩、未解決の悲嘆、
海のように溜め込んだ涙を、
表に出すことさえできれば、
本来の自分に戻ることができます。


人間は4つの部分からできていてます。
その4つの部分が調和を保つためには、
どうしたらいいのでしょうか。

まず、自分の肉体的存在を受け入れ、
愛する事です。
そして自然な感情を、たとえば自然な怒りを、
重荷として背負うのではなく、
表に出して人と分ち合うのです。

自然な嫉妬を覚えれば、
ほかの人の才能を懸命に見習うでしょう。

自然な恐怖は二つしかない、
落下の恐怖と大きな音に対する恐怖だ
ということを理解すればいいのです。

そのほかの恐怖はみんな、
大人から与えられたものに過ぎず、
大人は自分達の恐怖を子供に投影し、
それが世代から世代へと受け継がれてきたのです。

そして、4つの部分の調和が保たれるためには、
私達が無条件に愛し、
愛されることを学ばなくてはならない、
ということです。
これがいちばん大事なことです。



キューブラー・ロス『死ぬ瞬間と死後の生』ろくろくメモ①


2007/08/09(Thu) 20:49 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ペダンチック
pedantic 学問や知識をひけらかすさま

「クリシュナムルティとシュタイナーは、
共に、瞑想を語っている点で同じといえる」

なるほど~

「シュタイナーは瞑想からわかることを
知識体系化した
クリシュナムルティは瞑想に拘っている」



クリシュナムルティにとって、
「瞑想からわかることを知識体系化」
することはありえません。

何とならば知識の体系化そのものが
非瞑想なわけですから・・・

あらゆる苦悩の原因は思考であり
知識の体系化にあると言っているように
思います。


私にとって
クリシュナムルティとシュタイナーは
まったく異質な存在です。



2007/08/09(Thu) 19:58 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
私の神秘体験☆
ここで、私自身の神秘体験を少しお話させてください。その体験は私に教えてくれました。

科学の理解を超えた世界が確かにあり、それは真実であり、現実であり、人間なら誰しも体験できる、ということを。はっきり言っておかねばなりません。私は若い頃、高次の意識といったものには何の関心もありませんでした。グルに師事したこともありません。
瞑想は、東洋だけでなく、西洋でも特に最近は、多くの人にとって大きな平穏と理解の源ですが、じつは私は一度もちゃんと瞑想をしたことがありません。でもいっぽう、死の床にある患者さんと接する時には、私のなかのスィッチが切り替わることも確かです。私は何千時間も患者さん達のそばで過ごしました。その間は、何物も私達の邪魔をするものはありませんでした。
あれは一種の瞑想かもしれません。模しそうだとしたら、私は何千時間も瞑想してきたわけです。

私は心から思うのですが、神秘体験を得るのに、山の頂上に行ったり、隠遁したりインドに行ったりする必要はないのです。人間には誰にも、肉体の部分と、感情の部分と、知性の部分と、そして霊的な部分があります。
自分の不自然な感情や感覚、憎しみや苦悩、未解決の悲嘆、海のように溜め込んだ涙を、表に出すことさえできれば、本来の自分に戻ることができます。人間は4つの部分からできていて、その4つが調和と全体性を保ちながら協力しあっているのです。

その4つの部分が調和を保つためには、どうしたらいいのでしょうか。まず、自分の肉体的存在を受け入れ、愛する事です。そして自然な感情を、たとえば自然な怒りを、重荷として背負うのではなく、表に出して人と分ち合うのです。自然な嫉妬を覚えれば、ほかの人の才能を懸命に見習うでしょう。また、自然な恐怖は二つしかない、すなわち落下の恐怖と大きな音に対する恐怖だけだ、ということを理解すればいいのです。そのほかの恐怖はみんな、大人から与えられたものに過ぎず、大人は自分達の恐怖を子供に投影し、それが世代から世代へと受け継がれてきたのです。

そして、その4つの部分の調和が保たれるためには、私達が無条件に愛し、愛されることを学ばなくてはならない、ということです。これがいちばん大事なことです。

私達の殆どは、「もし・・・したら愛してやろう」と言われ、娼婦のように育てられました。この地球上で、いちばん多くの人を台無しにしてきたのは、この「もし」という言葉です。
この言葉のせいで、私達は娼婦になりさがり、いい振る舞いをしたりいい成績をとれば愛してもらえるのだと思い込み、自分自身を愛し大切にすることを忘れてしまったのです。

また、4つの部分の調和が保たれるためには、罰ではなく、愛情の篭った、筋の通ったしつけによって育てることが重要です。魂の師たちは教えています。ー無条件の愛としつけによって育てられれば人生の嵐を恐れないだろう。人間の唯一の敵である恐怖と罪悪感と不安をもたないだろう、と。
渓谷に、嵐を避けるための覆いをかぶせてしまったら、素晴らしい景色もみえなくなってしまいます。

だから私はグルを探しもせず、瞑想しようとも思わず、高次の意識を獲得しようという努力もしませんでした。しかし、人生のある状況や患者が私自身のなかにあるマイナスの感情に気づかせてくれる度に、私はそれをできるだけ表に出してきました。おかげで、肉体的部分、感情的部分、知的部分、霊的部分の4つがだんだん調和してきました。
宿題をこなし、練習に励みながら、私はあちこちで教壇に立ちました。
そうするうちに、だんだん神秘体験、つまり、自分自身の霊的・直感的側面との接触を体験できるようになりました。それと同時に、無限の世界からやってくる守護霊とも接触できるようになりました。

彼らはいつでも私達を取り巻いていて、私達が自分の運命をこの一生の間に全うするように、この世にいるうちに合格できなかった科目をまた履修するために戻ってくるなどということがないように、私達に知識と方向を与えてくれ、さらに、人生とは何か、自分個人の運命はどういうものかを理解する手助けをしてくれているのです。

『死ぬ瞬間と死後の生』 エリザベス・キュブラー・ロス キ52 中公文庫 ¥762(税別)
2007/08/09(Thu) 13:46 | URL  | マリア #-[ 編集]
HELLO☆(笑)・・・
今、ロス博士の『死ぬ瞬間と死後の生』を読みふけっています☆

彼女の講演を編集した内容なのですが、これがまたユーモアと感動的なエピソードに満ちていて、面白くて。。。

いつものことながら、博士の話に惹き込まれ、魅了されて気がつくと時間を忘れて没頭している状態でした(笑)

ところで、私はシュタイナーもクリシュナムルティも、本一冊まともに読んだ事はありませんので、あくまでプログを通して、クリシュムナルティの、まるで詩のような象徴的な言葉や、錬金術者さんのシュタイナー的解説を読んだに過ぎず、それだけで言い切っちゃうのも非常~に僭越ではあるものの、いっていることに(本質的な部分では)たいして変わりはないと思って読んでいましたね。本当、錬金術者さんじゃないけれど、「表現方法が違うだけ」だな、と。

宗教がどんどん枝別れし、いろいろな宗派に分かれていっても、根本的な根っこの部分では、どの宗派もどの宗教も何ら変わりは無いように(と、私には思えますのでそれと同様)。

それは今回、ロス博士、デーケン氏、福田先生の本を平行して読んだことで、一層、その感を強くしました。

少なくとも、私的には、クリシュナムルティの記事の内容とデーケン氏、ロス博士、福田先生の主張には、非常に共通点が感じられましたし、実際、より理解が深まったように思えました。

「ああ、そういうことをいいたかったんだな」と。。。
(それが当たっているかどうかは別にして(笑)・・)

時に象徴的な、詩的な表現ゆえに分りにくいところを、平行して読むことによって、思わぬところで、具体的で明快な事例に補なわれたり、思いもかけず、共通点や接点をみつけ謎が解けていったり、それまで気づかなかった新たな発見があったりで、こういう読み方もありだなと、ちょっと感動しましたね☆

そんな訳で、今日も『死ぬ瞬間と死後の生』から「私の神秘体験」を抜粋させていただきたいと思いますので、ろくろくさん、どうぞ、宜しくお願い致しますね☆
2007/08/09(Thu) 12:27 | URL  | マリア #-[ 編集]
興味深いページ
 非常に面白いページをみつけました!
http://www8.plala.or.jp/KgnosisAC/sub3-music.html#アカシックレコード
2007/08/09(Thu) 09:58 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
コーヒーと紅茶
 何度も書いておりますが、今回も書きますじゃ。シュタイナーによると、コーヒーを飲むと、ペダンチック(知識をひけさかす)な思考を誘発するといいます。対照的に、紅茶は、ファンタジーな思考を誘発するといいますじゃ。
 よくアカデミックな場でコーヒーが愛飲されるのも、知識をひけらかす場であることを物語っておりますね。対して、外交の場では、紅茶が愛飲されるのは、幻想的な場(かつては貴族の社交場)であることを物語っておりますじゃ。
 ここからわかるように、体に善いか悪いかというよりも、どのような思考を見て、どのような場で、いかなる体験を積むかだと思いますじゃ。

 クリシュナムルティとシュタイナーは、共に、瞑想(秘儀参入法)を語っている点で同じといえるわけですじゃ。ただ、シュタイナーは瞑想からわかることを知識体系化した点で、クリシュナムルティとは異なりますじゃ。クリシュナムルティはあくまで瞑想に拘っているようですな。
2007/08/09(Thu) 09:40 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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