--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2007年08月07日 (火) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(29)



その朝 海は

まるで湖か 大河のようだった

波がなく

あまりにもおだやかだったので

夜明けまえには

星が映っているのがみえた


夜はまだ明けておらず

星や

岸壁のかたちや

遠くの街の灯が

水面に映っていた

太陽が水平線に姿をあらわし

雲ひとつない空にのぼっていくとき

金色の道がうかびあがった

そのカリフォルニアの陽光が

大地に

木の葉のひとつひとつに

草の葉に

ふりそそいでいるのを見るのは

たとえようもなかった



それを見ていると

大いなる静けさが

あなたのなかに しのびこんできた

頭のなかが とても静かになった

どんな反応もおこらなかった

なにかがうごく気配もなかった

このはかりしれない静けさを感じるのは

ふしぎな感じだった

“感じる”というのは

言葉の世界にはない

あの沈黙の質

あの静けさの質は

頭で感じられるものではない

それは頭の世界を超えている

頭は 概念をつくりだしたり

定式をうち立てたり

将来の計画をうみだせる

だが この静けさは

頭がおよびうる限界を超え

想像できるすべてのものを超え

願望できるすべてのものを超えている

あなたが とても静まっていたので

からだは

すっかり大地の一部になっている

静まりかえった森羅万象の一部になっている



丘から そよ風がふいてきた

木の葉をゆらし

この静けさをゆらしたが

このたとえようもない静寂が

乱されることはなかった

その家は

丘と海のあいだにあった

海がみわたせるところにあった

あなたは海をみていた

とても静かで

あなたは ほんとうに万物の一部になった

あなたは あらゆるものだった

光だった

愛の美しさだった

いや「あなたは万物の一部だった」

という言いかたもまちがっている

“あなた”という言葉は ふさわしくない

あなたは 実際 そこにいなかったのだから……

あなたは存在していなかった

存在していたのは

あの静けさ

美しい

たとえようのない

愛の感じだけだった




次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング



スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
人間は、耳だった
家内は視力障害者です。

目は見えないですが、声を聞くだけで
初めて会った人でも年齢や容姿
その人の性格まで当ててしまいます。

耳が目の役割を兼ねているのです。

私は普通に見えるだけに、服装や容姿に
騙されて?なかなかその人の内面までを
初対面で掴み取ることはできません。

こと人間の本質を洞察するのには
耳の方が優れているといえるのでは
ないでしょうか?



2007/08/07(Tue) 19:03 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
神智学協会
は、ロシア帝国生まれのブラヴァツキー夫人が興した神秘思想結社。


ルドルフ・シュタイナーは
1902年に神智学協会のドイツ支部を設立し事務総長に就任したが

神智学協会第2代会長のアニー・ベザントが
インドの少年ジッドゥ・クリシュナムルティを世界教師、
キリストの再来とする動きに反発し、
1912年に神智学協会を脱会し新しく、
人智学(アントロポゾフィー)協会を設立した。

クリシュナムルティも、
1929年「真理は集団で追求するものではない」
との考えからベザントが彼のために設立した
「星の教団」を解散する宣言を行った。



シュタイナーとクリシュナムルティは
実際に出会って言葉を交わしたことも
あったのでしょうね。
なかなか因縁浅からぬお二人のようです。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6%E5%8D%94%E4%BC%9A
http://www7.ocn.ne.jp/~aeon-ms/booksalon/bs_63.htm
http://home.att.ne.jp/apple/world/miroku3.htm



2007/08/07(Tue) 18:19 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
太古人間は耳だった!
 その昔、人間は、耳だった。神々の言葉を聞く耳だったという。だから、神々が言葉を発すると、全身が耳なる人間は、言葉が全身に行き渡り、全身が、神々の言葉を通して、存在した。
 「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」は、この耳なる人間の立場を表しているじゃ。つまり、人間は耳だった!
 神々の母音、例えば、「あ」から、人間、「あ」が存在した。母音は7音以上あるのは、人間に関わる神々が7つの階層からなったからである。これは7音階の音符に受け継がれている。
 耳なる人間は、神々の言葉を聞き、幸せに満ち、生き(死は存在しない)、楽園の生活を送った。神々の言葉は耳なる人間には愛そのものだった。人間は天空の愛の音楽を聞く鑑賞者だった。
 そこへ、悪魔の蛇がやってきた、「いつまでも、言葉だけを聞く耳の存在でいいのか? そんなんじゃ第一、つまらんじゃないか? 体験し、自ら行動したくはないのか? お前が望むなら、俺が自由をあたえてやるぞ。」
 「それもそうだな」と人間は思い、耳、つまり、聴覚の感情から、視覚力の思考、そして意志力の行動を悪魔の誘惑の幻影の下に、神々から離れ、自由を発展させた。悪魔は、人間に物質製造の基である、血を与えた。人間の血は穢れたものとなった。
 人間の血は、天空の音楽を聞くだけでなく、天空を見て、掴みたいと思った。血は大地に堕ち、広がった。
 人間は、楽園から堕ちて、闘牛の牛になった。闘牛士は悪魔である。赤い布は、人生である。人生を掴もうとするが、掴めない。やがて、力尽きて、死んで、悪魔に殺される。
 闘牛は、思考と行動を、感情でくるんで、赤い布の人生を追いかける。しかし、赤い布は、表面でしかない。闘牛士は、人間である牛の欲望を煽り、赤い布に突進させる。牛は段々と体力を失っていく。そして、闘牛士の矢により、死を迎える。 
 死後、人間は、自らが闘牛であったことを悟る。赤い布を追いかけながらも、その浅はかさを知るのである。
 生きている間に、自由なる欲望を抑え、思考や行動を、感情から切り離した者は、闘牛をやめることができる。
 真の自由とは何か? それは自ら捨てることである。謙譲の精神である。金銭やモノ、形あるものを捨てることで、はじめて精神の自由が得られる。
 悪魔が語る形ある自由に騙されてはいけない。それは闘牛の赤い布なのである。思考と、感情と、意志を物体として、捨てることである。瞑想に自由への解放がある。
2007/08/07(Tue) 10:28 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。