2007年08月06日 (月) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(28)



私たちは わかっていない

うるさくつきまとう快楽と

その苦しみから自由になることが

どれほど重要か ということを

そうすれば

心は 独りきりになる

まったく独りきりになっている心だけが

ひらいている


あなたは このすべてを いきなり感じた

突風が大地に吹きわたり

あなたを吹きぬけたかのようだ

あなたは そこにいた

あらゆるものが

あらわになり

空っぽになっていた

あなたは完全にひらいていた

その美しさは

言葉の中にはなかった

感情のなかにはなかった

むしろ いたるところにあるようだった

あなたのまわりにも

あなたのなかにも

水のうえにも

丘にも……


これが瞑想だ



瞑想は

なにかに集中することではありません

集中するとは

排除すること

切り離すこと

抵抗することです

だから そこには

葛藤がおこります

瞑想のなかにある心も

集中することはできます

そのとき それは

排除することでもなく

抵抗することでもありません

しかし

集中している心に

瞑想することはできません



瞑想が理解されるとき

そこには

愛があります

愛は

制度や習慣がうみだすものではありません

ある方法に従うことからうまれるものでもありません

愛は 思考によって培われるものでもありません

愛が姿をあらわせるのは

完全な静けさがあるときです

瞑想する人がすっかり消えさっている静寂のときです

心は 思考や感情として動きます

この思考や感情の動きを理解するには

それを観察しているとき

非難するまなざしがあってはなりません

そのように 非難しないで観察することは

ひとつの鍛錬にほかなりません

そのような鍛錬は

しなやかで

自由なものであり

服従を強いる訓練とはちがいます




次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
私のブログではないですじゃ
 いえいえ、いつも、ろくろくさまの学習心には感服致しますです。
 しかし、これは私のブログではないですじゃ。私は神智学では、クリシュナムルティよりも、シュタイナーなんでして!
2007/08/07(Tue) 09:16 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
完結していない気がかりな問題
死にゆく人々は人生の終わりに多くを学ぶが、
殆どの場合、学んだ教訓を生かすための時間が
残されていない。


私達ひとりひとりの中に
ガンジーとヒットラーが住んでいる。

ガンジーは人間の中にある最良のもの、
もっとも慈悲深いものをあらわし、

ヒトラーは最悪なもの、人間の中にある
否定性と卑小性をあらわしている。


人生のレッスンとは、
自らの卑小性に働きかけ、否定性をとりのぞいて、
自己の中にも他者の中にもある最良のものを
みいだす作業に関わるものだ。


私達は互いに癒しあい、
また自己を癒すために地上に生まれてきた。
それは身体症状の回復という意味での癒しではなく、
はるかに深いレベルでの癒し、
精神の、そして魂の癒しである。





私達は実は、まだ完結していない
気がかりな問題をかかえている。
それは死に関する問題ではなく、
生に関する問題である。

それは例えば
「そう、確かに私は豊かな暮らしを達成した。でも、
本当に生きるために時間を割いてきただろうか?」
といった、いちばん重要な問題のことだ。

完結していない気がかりな問題は
人生最大の問題だから、
死に直面した時にこそ緊急の課題となる。

殆どの人は完結していない気がかりな問題の
大部分を未解決のままにして終わる。
問題の一部しか解決できない人も少なくない。

人生には学ぶべきレッスンが余りにも多く、
一度きりの人生ではとても習得しきることはできない。

しかし、学べば学ぶほど未解決の問題が少なくなり、
その分だけ充実した人生となって、
本当に生きることができるようになる。

そして、いつ死ぬ事になっても、
胸を張っていうことが出来る。
「ああ、私は生きた」と。



キューブラー・ロス『ライフ・レッスン』ろくろくメモ⑩


2007/08/06(Mon) 21:43 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
生きることは死ぬこと
錬金術者さんブログ
「私=瞬間ごとの脳の知覚/認識」
ご紹介ありがとうございます。

以下に興味深いところをコピペさせて
頂きました。



生と死は一つの運動であって、
孤立した状態ではありません。

生きることは死ぬことであり、
あらゆるのものに対して死に、
毎日生まれ変わることなのです。

これは理論的な陳述ではなく、
実際に生きられ、
経験されるべきことです。


単純に「在る(being)」ことをまったく
不可能にしてしまうのは、
意志(何かであろうとするこの絶えざる願望)です。

この「在る」ことは、
満足や達成による眠り同然の状態、
あるいは理性の結論とはまったく別ものです。

この「在る」ことには自意識がありません。
薬物、関心、一心不乱、完全な「同一化」は
所望の状態を引き起こすことはできますが、
それはなお自意識です。

真に「在る」ことは意志がやんだ状態です。
これらのことに思いをめぐらし、
楽しく実験してみてください。


(しなやかに生きるために/若い女性への手紙:p42:クリシュナムルティ:コスモス・ライブラリー)より引用
http://plaza.rakuten.co.jp/kotobanuki/diary/200706070000/


2007/08/06(Mon) 21:12 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
「一生」とよばれるこの時間の間には、学ぶべきさまざまなレッスンがある。
とりわけ死に直面した人達と共に入る時、そのことを痛感する。
死にゆく人々は人生の終わりに多くを学ぶが、殆どの場合、学んだ教訓を生かすための時間が残されていない。

1995年にアリゾナの砂漠に移住した私は、ある年の「母の日」に脳卒中で倒れ、麻痺状態におちいった。それから数年間は、死の淵に立たされたままだった。すぐにも死がやってくるだろうと、幾度となく覚悟した。そして幾度となく、それが訪れてこないことに失望した。準備はできていたからである。でも、死ななかった。何故なら、私にはまだ学ぶべきレッスンが、最後のレッスンがあったからである。

そのレッスンの数々は人間の生に関する究極の真実であり、命そのものの秘密である。私はもう一冊、本を書きたいと思うようになった。今度は「死とその過程」についてではなく、「生とその過程」、つまり人生と生き方についての本を。

私達ひとりひとりの中にガンジーとヒットラーが住んでいる。勿論、象徴的な意味でだ。
ガンジーは人間の中にある最良のもの、もっとも慈悲深いものをあらわし、ヒトラーは最悪なもの、人間の中にある否定性と卑小性をあらわしている。人生のレッスンとは、自らの卑小性に働きかけ、否定性をとりのぞいて、自己の中にも他者の中にもある最良のものをみいだす作業に関わるものだ。
人生の暴風にも似たそのレッスンは、私達を本来の私達に立ちかえらせてくれる。
私達は互いに癒しあい、また自己を癒すために地上に生まれてきた。
それは身体症状の回復という意味での癒しではなく、はるかに深いレベルでの癒し、精神の、そして魂の癒しである。

人生のレッスンを学ぶことについて語るとき、私達は実は、まだ完結していない気がかりな問題の解決について語っている。完結していない気がかりな問題とは死に関する問題ではなく、生に関する問題である。
それは例えば「そう、確かに私は豊かな暮らしを達成した。でも、本当に生きるために時間を割いてきただろうか?」といった、いちばん重要な問題のことだ。多くの人は、確かに存在はしてきたが、本当には生きてはこなかった。そして、その人達は完結していない気がかりな問題の所存を隠しておくために、莫大なエネルギーを費やしてきた。

完結していない気がかりな問題は人生最大の問題だから、死に直面した時にこそ緊急の課題となる。
殆どの人は完結していない気がかりな問題の大部分を未解決のままにして終わる。問題の一部しか解決できない人も少なくない。
人生には学ぶべきレッスンが余りにも多く、一度きりの人生ではとても習得しきることはできない。
しかし、学べば学ぶほど未解決の問題が少なくなり、その分だけ充実した人生となって、本当に生きることができるようになる。

そして、いつ死ぬ事になっても、胸を張っていうことが出来る。「ああ、私は生きた」と。

『ライフ・レッスン』 エリザベス・キュブラー・ロス 角川文庫 ¥705(税別)
2007/08/06(Mon) 19:08 | URL  | マリア #-[ 編集]
とあるブログ紹介
クリシュナムルティ考察の興味深いブログhttp://plaza.rakuten.co.jp/kotobanuki/
2007/08/06(Mon) 13:57 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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