ふしぎな虚空があらわれる
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(22)
今日の朝
瞑想の質は
なにもない無だった
時間も空間も
すっかり空になっていた
それは事実だ
たんなる観念ではない
矛盾した思索がおちいる逆説でもない
すべての問題の根が消えさるとき
このふしぎな虚空があらわれる
その根とは
思考にほかならない
分割し 固定する思考のことだ
心は
過去を 思考の糧としてもちいることができる
しかし 瞑想のなかでは
心から 実際に過去が消えさり
空っぽになる
これは一日中でもつづく
夜 眠っているとき
昨日のことは 空になっている
それゆえ 心は
時間をもたないものにふれている
瞑想とは
たんに身体と思考をコントロールすることではありません
息をすったり はいたりする方法ではありません
たしかに
からだは静まっていなくてはならないでしょう
健康でなくてはなりません
緊張していてはなりません
感じとる力は とぎすまされ
それが保たれなくてはなりません
おしゃべりにふけり 多くの問題をかかえ
やみくもに突きすすむ心は
すっかりやまなくてはなりません
ひとが取りくまなくてはならないのは
生きたからだではなく
むしろ 心のほうです
意見や 先入観や 利害をかかえた心が
注意深く観察されなくてはなりません
心が健全で 生きいきとし 活力にみちているとき
感じる力がたかまり
きわめて敏感になります
そのとき からだは
習慣や好みによってそこなわれていない
生まれながらの 独自な知性にもとづいて
ほんらいのはたらきをします
次回につづく
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今日の朝
瞑想の質は
なにもない無だった
時間も空間も
すっかり空になっていた
それは事実だ
たんなる観念ではない
矛盾した思索がおちいる逆説でもない
すべての問題の根が消えさるとき
このふしぎな虚空があらわれる
その根とは
思考にほかならない
分割し 固定する思考のことだ
心は
過去を 思考の糧としてもちいることができる
しかし 瞑想のなかでは
心から 実際に過去が消えさり
空っぽになる
これは一日中でもつづく
夜 眠っているとき
昨日のことは 空になっている
それゆえ 心は
時間をもたないものにふれている
瞑想とは
たんに身体と思考をコントロールすることではありません
息をすったり はいたりする方法ではありません
たしかに
からだは静まっていなくてはならないでしょう
健康でなくてはなりません
緊張していてはなりません
感じとる力は とぎすまされ
それが保たれなくてはなりません
おしゃべりにふけり 多くの問題をかかえ
やみくもに突きすすむ心は
すっかりやまなくてはなりません
ひとが取りくまなくてはならないのは
生きたからだではなく
むしろ 心のほうです
意見や 先入観や 利害をかかえた心が
注意深く観察されなくてはなりません
心が健全で 生きいきとし 活力にみちているとき
感じる力がたかまり
きわめて敏感になります
そのとき からだは
習慣や好みによってそこなわれていない
生まれながらの 独自な知性にもとづいて
ほんらいのはたらきをします
次回につづく
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Comment
孤独の道
2007-07-31 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
今回の福田恆存さん
の美醜については
醜い顔の人は美しい人を妬むなよ
ありのままの自分を受け入れよ
さすれば、心に平安が訪れるだに。
といった筋立てじゃから、錬金術者さんの
コメントとは微妙にずれておるじゃに?
まあええんじゃがぁ〜
えぐり抜いた目は新鮮なうちに、塩茹でにして
食べたらうまかったかもしれなかったじゃに〜
醜い顔の人は美しい人を妬むなよ
ありのままの自分を受け入れよ
さすれば、心に平安が訪れるだに。
といった筋立てじゃから、錬金術者さんの
コメントとは微妙にずれておるじゃに?
まあええんじゃがぁ〜
えぐり抜いた目は新鮮なうちに、塩茹でにして
食べたらうまかったかもしれなかったじゃに〜
2007-07-31 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
「美しい」と感じる気持ち
は、私の体験で言いますれば、
精神の内にあるとか外にあるとか、
美しい記憶が展開されるとか、
そんなんではありませんでした。
美男子も美女もそんじょそこいらにいる
レベルとははっきり違っているだに。
そこだけ輝いているというかオーラが出ている
から違いがだれにもすぐ分かるだに。
その人たちが他の人たちに比べて幸せかどうかは、
なんともいえませんですね。美人でないとありえない
幸せも不幸せもあるだに。
精神の内にあるとか外にあるとか、
美しい記憶が展開されるとか、
そんなんではありませんでした。
美男子も美女もそんじょそこいらにいる
レベルとははっきり違っているだに。
そこだけ輝いているというかオーラが出ている
から違いがだれにもすぐ分かるだに。
その人たちが他の人たちに比べて幸せかどうかは、
なんともいえませんですね。美人でないとありえない
幸せも不幸せもあるだに。
2007-07-31 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
時代を超えるものー心理ー真理☆
こんにちは☆
『私の幸福論』のあとがき
「失敗したら失敗したで、不幸なら不幸で、またそこに生きる道がある。その一事をいいたいために、私はこの本を書いたのです。べつの言葉でいえば、自分の幸と不幸とは、自分以外の誰の手柄でも責任でもない、誰もが、いままで誰一人として通ったことのない未知の世界に旅立っているのです。なるほど忠言はできましょう。が、その忠言がどの程度に役立つかどうか、それはめいめいが判断しなければなりません。第一、つねに忠言を期待することは不可能です。」
「究極において、人は孤独です。愛を口にし、ヒューマニズムを唱えても、誰かが自分に最後までつきあってくれるなどと思ってはなりません。じつは、そういう孤独を見きわめた人だけが、愛したり愛されたりする資格を身につけえたのだといえましょう。つめたいようですが、みなさんがその孤独の道に第一歩をふみだすことに、この本がすこしでも役立てばさいわいであります」
というお言葉に、大変感銘を受け、ひとりで勝手に意気投合していたのですが
クリシュムナティの「不思議な虚空があらわれる」のは、福田先生いうところの「自分の孤独を見きわめた者」のことであり、ロス博士の「コントロールできないことをコントロールしようとすることをやめた」時であり、何度も瞑想の記事にでてくることですが、人や物や状況などの、外側に何かを期待したところで現実が変わるわけではなく、変わったところで一時的なもの、自分の内側が変わらないことには、とてもとても、今日の記事のような心境には至らないですよね。その道は険しくとも。。。
*記事の内容に合わせ、明日から『幸福論』を一旦中断し、また『ライフ・レッスン』の続き「明け渡しのレッスン」より引用したいと思いますので、何卒御了承下さい。
『私の幸福論』のあとがき
「失敗したら失敗したで、不幸なら不幸で、またそこに生きる道がある。その一事をいいたいために、私はこの本を書いたのです。べつの言葉でいえば、自分の幸と不幸とは、自分以外の誰の手柄でも責任でもない、誰もが、いままで誰一人として通ったことのない未知の世界に旅立っているのです。なるほど忠言はできましょう。が、その忠言がどの程度に役立つかどうか、それはめいめいが判断しなければなりません。第一、つねに忠言を期待することは不可能です。」
「究極において、人は孤独です。愛を口にし、ヒューマニズムを唱えても、誰かが自分に最後までつきあってくれるなどと思ってはなりません。じつは、そういう孤独を見きわめた人だけが、愛したり愛されたりする資格を身につけえたのだといえましょう。つめたいようですが、みなさんがその孤独の道に第一歩をふみだすことに、この本がすこしでも役立てばさいわいであります」
というお言葉に、大変感銘を受け、ひとりで勝手に意気投合していたのですが
クリシュムナティの「不思議な虚空があらわれる」のは、福田先生いうところの「自分の孤独を見きわめた者」のことであり、ロス博士の「コントロールできないことをコントロールしようとすることをやめた」時であり、何度も瞑想の記事にでてくることですが、人や物や状況などの、外側に何かを期待したところで現実が変わるわけではなく、変わったところで一時的なもの、自分の内側が変わらないことには、とてもとても、今日の記事のような心境には至らないですよね。その道は険しくとも。。。
*記事の内容に合わせ、明日から『幸福論』を一旦中断し、また『ライフ・レッスン』の続き「明け渡しのレッスン」より引用したいと思いますので、何卒御了承下さい。
2007-07-31 | マリア #- | URL|[ 編集 ]
ある坊主の話
ある仲良しの坊さんたちがいた。一方の坊さんが、他方の坊さんの目があまりに美しいので、欲しいといった。欲しいといわれた坊さんは、目をえぐり抜き、くれてやった。欲しいといった坊さんは目を食べて言った。「不味い」と。
美とは何なのか?のたとえ話といえるだに。
美とは何なのか?のたとえ話といえるだに。
2007-07-31 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
美を認める意志
「美しい」と感じる気持ちは、精神の内にあるじゃ。外にある何かをみて、内にある、美しい記憶が展開されるじゃね。
精神とは、外界の刺激に反応する、これら感受の全てのエキスといえるだに。
「美しい」と感じるのは、その対象といつかどこかで、美と共感したエキスをもっていることを表すだに。
あるものをみて、それを美しいと感じるように、精神のエキスを展開するには、それを美しいと認める意志が背後に必要であるじゃ。
つまり、美しさを積極的に認めていこうという意志があるだに。この意志を高めること、どんなものにも美を認めうる精神。これが愛の精神といえるだに。
ただし、美しいからといって、所有しようとすると、途端に嘘になり、醜くなる。なぜなら、美しさは、精神の内にあり、それを美しいと感じる意志の力にあるからだに。
そう、わざわざ所有する必要などなく、既に、所有しているのである。美しいと思う心、これは既に人間の精神に予め埋め込まれている。ただ、素直に感じればいいのだが、素直に感じられずに、意志が薄弱なので、所有してみないとわからないような錯覚、幻想に陥っているだに。
だから、かえって美を感じる心が痛んでしまうだに。妬みや嫉みは、この最たるものであるだに。
人間にはどんなものをも愛する神の精神が予め埋め込まれている。ただ、それを感じようとする意志により、開発すればよいのであるじゃ。
外見に騙されてはいけない。外見は、悪魔の仕業なりき。所有してみろよ!と悪魔は誘惑するじゃ。お前のものにしなければ、意味がないと悪魔は諭すだに。しかし、それこそ偽りで、苦悩のはじまりなのであるだに。所有すればするほど、その実体が分からなくなる。これが知識の実体なりきね。知識をもてばもつほど、わからなくなる。意志薄弱な人ほど知識を所有したがるのだに。
精神とは、外界の刺激に反応する、これら感受の全てのエキスといえるだに。
「美しい」と感じるのは、その対象といつかどこかで、美と共感したエキスをもっていることを表すだに。
あるものをみて、それを美しいと感じるように、精神のエキスを展開するには、それを美しいと認める意志が背後に必要であるじゃ。
つまり、美しさを積極的に認めていこうという意志があるだに。この意志を高めること、どんなものにも美を認めうる精神。これが愛の精神といえるだに。
ただし、美しいからといって、所有しようとすると、途端に嘘になり、醜くなる。なぜなら、美しさは、精神の内にあり、それを美しいと感じる意志の力にあるからだに。
そう、わざわざ所有する必要などなく、既に、所有しているのである。美しいと思う心、これは既に人間の精神に予め埋め込まれている。ただ、素直に感じればいいのだが、素直に感じられずに、意志が薄弱なので、所有してみないとわからないような錯覚、幻想に陥っているだに。
だから、かえって美を感じる心が痛んでしまうだに。妬みや嫉みは、この最たるものであるだに。
人間にはどんなものをも愛する神の精神が予め埋め込まれている。ただ、それを感じようとする意志により、開発すればよいのであるじゃ。
外見に騙されてはいけない。外見は、悪魔の仕業なりき。所有してみろよ!と悪魔は誘惑するじゃ。お前のものにしなければ、意味がないと悪魔は諭すだに。しかし、それこそ偽りで、苦悩のはじまりなのであるだに。所有すればするほど、その実体が分からなくなる。これが知識の実体なりきね。知識をもてばもつほど、わからなくなる。意志薄弱な人ほど知識を所有したがるのだに。
2007-07-31 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
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不幸なら不幸で、
またそこに生きる道がある。
自分の幸と不幸とは、
自分以外の誰の手柄でも責任でもない
誰もが、いままで誰一人として通ったことのない
未知の世界に旅立っているのです
この孤独を見きわめた人だけが、
愛したり愛されたりする資格を
身につけえたのだといえる。
自分の内側が変わることでもなく
ありのままの自分を受け入れ
ただ気づきさえしたら
おのれが孤独の道を歩んでいることが
理解されるのであります。