瞑想は 祈りではありません
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(21)
Meditation
is the total release
of energy
瞑想とは
エネルギーを全面的に
とき放つことです
瞑想は
心のなかに輝く光です
その光は
活動にむかう道を照らしだします
そのような光がないところに
愛は存在しません
瞑想は
けっして祈りではありません
祈りや祈願は
自分を あわれむことからうまれます
あなたが祈りを捧げるのは
困ったときや
悲しいときです
幸せや 喜びがあるときには
祈願をすることはありません
このように 自分をあわれむ心情は
人間のなかに とても深く埋めこまれていて
それが分離をうみだす根になっているのです
分離しているもの
あるいは みずからを分離していると思っているものは
分離していないものと ひとつになることを
いつも追いもとめています
しかし結局は 分裂と苦痛をましていくだけです
このような混乱からのがれるために
ひとは天に嘆きをぶつけ
妻は夫に泣きつき
こころの内なる神に訴えます
このような叫びには
答えがかえってくるかもしれません
しかし その答えは
自分をあわれむ声が
分離された自己の内側で
こだましているにすぎません
言葉や祈願をくりかえし唱えると
自分を催眠にかけ
自分を閉ざし
自分を破壊することになります
孤立している思考は
すでに知られているものを超えることはありません
祈りにたいする答えも
すでに知られているものからやってくる反応にすぎません
瞑想は そのようなものから
かけ離れたところにあります
その領域には
思考が立ち入ることはできません
そこには いっさいの分離がなく
したがって
自己という感覚はありません
瞑想は ひらかれた場のなかでおこります
そこには 秘密が入り込む余地はまったくありません
あらゆるものが むきだしのまま
くっきりと あらわになっています
そのとき そこに
愛の美しさがあります
次回につづく
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Meditation
is the total release
of energy
瞑想とは
エネルギーを全面的に
とき放つことです
瞑想は
心のなかに輝く光です
その光は
活動にむかう道を照らしだします
そのような光がないところに
愛は存在しません
瞑想は
けっして祈りではありません
祈りや祈願は
自分を あわれむことからうまれます
あなたが祈りを捧げるのは
困ったときや
悲しいときです
幸せや 喜びがあるときには
祈願をすることはありません
このように 自分をあわれむ心情は
人間のなかに とても深く埋めこまれていて
それが分離をうみだす根になっているのです
分離しているもの
あるいは みずからを分離していると思っているものは
分離していないものと ひとつになることを
いつも追いもとめています
しかし結局は 分裂と苦痛をましていくだけです
このような混乱からのがれるために
ひとは天に嘆きをぶつけ
妻は夫に泣きつき
こころの内なる神に訴えます
このような叫びには
答えがかえってくるかもしれません
しかし その答えは
自分をあわれむ声が
分離された自己の内側で
こだましているにすぎません
言葉や祈願をくりかえし唱えると
自分を催眠にかけ
自分を閉ざし
自分を破壊することになります
孤立している思考は
すでに知られているものを超えることはありません
祈りにたいする答えも
すでに知られているものからやってくる反応にすぎません
瞑想は そのようなものから
かけ離れたところにあります
その領域には
思考が立ち入ることはできません
そこには いっさいの分離がなく
したがって
自己という感覚はありません
瞑想は ひらかれた場のなかでおこります
そこには 秘密が入り込む余地はまったくありません
あらゆるものが むきだしのまま
くっきりと あらわになっています
そのとき そこに
愛の美しさがあります
次回につづく
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Comment
美人だけではありません☆
2007-07-30 | マリア #- | URL|[ 編集 ]
美人は遅れて暮れる
とはいっても昔から
「美人は遅れて暮れる」と言われ
美しい人はすぐには老化しないで
いつまでも人目を引き美しいのであります。
美人は死ぬまで得をするのです。
「美人は遅れて暮れる」と言われ
美しい人はすぐには老化しないで
いつまでも人目を引き美しいのであります。
美人は死ぬまで得をするのです。
2007-07-30 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
幸福のつかみかた
自他ともに許す「精神的なる」女性が、
映画女優など、顔の魅力で得をしている「肉体的なる」
女性に示す意地のわるさ、これほどいやなものはない
まず自分の弱点を認めること。
そして、それにこだわらぬよう努めること。
そのすなおな努力そのものが
あなたの長所を形づくっていく。
自分で努力して得た成績より
生まれたときからもっている美貌のほうを
高く買う社会が現実にある
生まれながらにして、どうにもならぬことがある
いくら努力をしても徒労に終わるひともあり、
難なく出世するひともある
不公平のない社会はこない
それがこようと、こまいと、
そういうことにこだわらぬ心を養うことこそ、
人間の生き方であり、
幸福のつかみかたであるといえる
美人なるがゆえに大損をする例が非常に多い。
男に持て、ちやほやされていい気になっているうちに、
いつの間にか年を取ってしまった元美人は、
それまで外面の美に寄り掛かっていたため、
中身は何もなく、心が貧しくなってしまっていて、
年輪の美しさが少しも感じられない。
親からもらった遺産で居食いしていたため
一文なしの乞食になってしまった。
長い眼で見れば、美人に生まれついたことも
また不幸のもとになりうるのです。
映画女優など、顔の魅力で得をしている「肉体的なる」
女性に示す意地のわるさ、これほどいやなものはない
まず自分の弱点を認めること。
そして、それにこだわらぬよう努めること。
そのすなおな努力そのものが
あなたの長所を形づくっていく。
自分で努力して得た成績より
生まれたときからもっている美貌のほうを
高く買う社会が現実にある
生まれながらにして、どうにもならぬことがある
いくら努力をしても徒労に終わるひともあり、
難なく出世するひともある
不公平のない社会はこない
それがこようと、こまいと、
そういうことにこだわらぬ心を養うことこそ、
人間の生き方であり、
幸福のつかみかたであるといえる
美人なるがゆえに大損をする例が非常に多い。
男に持て、ちやほやされていい気になっているうちに、
いつの間にか年を取ってしまった元美人は、
それまで外面の美に寄り掛かっていたため、
中身は何もなく、心が貧しくなってしまっていて、
年輪の美しさが少しも感じられない。
親からもらった遺産で居食いしていたため
一文なしの乞食になってしまった。
長い眼で見れば、美人に生まれついたことも
また不幸のもとになりうるのです。
2007-07-30 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
宇宙のものは、共有の財産
そうなんですよね。
自分のものなどありはしないのに・・・
「自己のものなど、この世には一切ない」
はずなのに現実は固有財産あり、
持てる者と持たざる者が明らかにある。
なんということでしょう。
自分のものなどありはしないのに・・・
「自己のものなど、この世には一切ない」
はずなのに現実は固有財産あり、
持てる者と持たざる者が明らかにある。
なんということでしょう。
2007-07-30 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
宇宙から求められている役割☆
おはようございます☆
「娘さんたち」が『出鼻をくじかれ」「寄るとさわると」大騒ぎ?しているというのが、正直で凄く可愛い♪と思いませんでした?
なんて「娘さん」らしい正直で素直な反応だろうと(笑)
それでこそ真の娘!眼に浮かぶようで、微笑ましくて?思わず笑っちゃう、私♪
美貌であろうと、コネであろうと、正直「面白くない」って気持ち、ムッとくるのもまた、自然な反応だけに凄く素直で可愛いくて(笑)
でも、思えば、その「娘さんたち」も今や70前後で、私の母と同じ世代なんですよね。。。
☆ ☆ ☆
これは ジョージ3世の治世
その時に生き 争った人々の物語
善も悪も 美しい者も醜い者も 富む者も貧しき者も
今は同じ すべてあの世
『バリー・リンドン』よりエピローグから☆
>自己のものなど、この世に一切ない。
錬金術者さん、私もそう思いますわ。
「娘さんたち」が『出鼻をくじかれ」「寄るとさわると」大騒ぎ?しているというのが、正直で凄く可愛い♪と思いませんでした?
なんて「娘さん」らしい正直で素直な反応だろうと(笑)
それでこそ真の娘!眼に浮かぶようで、微笑ましくて?思わず笑っちゃう、私♪
美貌であろうと、コネであろうと、正直「面白くない」って気持ち、ムッとくるのもまた、自然な反応だけに凄く素直で可愛いくて(笑)
でも、思えば、その「娘さんたち」も今や70前後で、私の母と同じ世代なんですよね。。。
☆ ☆ ☆
これは ジョージ3世の治世
その時に生き 争った人々の物語
善も悪も 美しい者も醜い者も 富む者も貧しき者も
今は同じ すべてあの世
『バリー・リンドン』よりエピローグから☆
>自己のものなど、この世に一切ない。
錬金術者さん、私もそう思いますわ。
2007-07-30 | マリア #- | URL|[ 編集 ]
二 ふたたび美醜について(続き)
もちろん、長所のない人間などいるわkうぁありません。
しかし弱点をとりかえそうとして、激しい気もちで長所の芽ばえにすがりつき、それを守ろうとすれば、かならずそこに歪みが生字増す。自分は顔がまずい。だから、ひとに指一本さされぬよう、立派に生きようという心がけは殊勝ですが、そういう意気ごみから育てられた長所というものは、なるほど外見はしっかりして頼もしそうにみえますが、内側は案外もろいものです。また、そういう立派さには、他人にたいする不寛容のつめたさがあるのがつねです。
あたしは自分の才能と実力とで、世のなかを生きてきたと自他ともに許す「精神的なる」女性が、映画女優やお妾や、その他、概して顔の魅力で得をしている「肉体的なる」女性に示す意地のわるさ、これほどいやなものはありません。
御当人は、自分のマイナスを棄ててプラスを助長せしめたとおもいこんでいるかもしれませんが、じつは、これこそ逆さにされたひがみにほかなりません。ひがみは、現実に敗北した不平家を生むと同時に、頑ななつめたい勝利者も生むのです。人間の心理というのは、自分のことながら、いや、自分のことであればこそ、よほどうまく操らないと、姉妹には自分でも操りきれぬ手に負えない存在と化してしまうものです。はじめの出発点が大事です。
まず自分の弱点を認めること。また、たいていのひとは、自分の長所よりはさきに弱点に気がつくでしょう。そしたら、それをすなおに認めること。そして、それにこだわらぬよう努めること。そうすれば、他に埋め合わせの長所を強いて見つけようとあがかなくても、そのすなおな努力そのものが、いつのまにか、あなたの長所を形づくっていくでしょう。むりに長所を引っぱりだそうとしなくても、現実の自己に甘んじるすなおさそのものが、隠れた長所をのびのびと芽生えさせる苗床となるでしょう。
弱点をすなおに肯定するということは、それをなおす努力を棄てることを意味しはしません。
しかし、誰にでも、生まれ変わってこなければ、どうにもならないというような弱点があるものです。また、その弱点が外に出るのをいくぶんおさえることはできるにしても、それもある程度までのことです。どんな人間にも限界があります。
現代は自由平等の時代ですから、誰も自分に限界があることを認めたがらない。ことに若いうちはそうです。そして、それはいいことなのです。若い時代は、自分にたいする信頼の念が強く、時には自分を買いかぶることさえあるでしょう。それはいいことなのです。そうしなければならない。が、すぐ自分の限界にぶつかるでしょう。私が心配するのは、その時期です。そのときに、若々しい魂がひねくれてしまうのを見るのが、私はいやなのです。
ある娘さんから聴いた話ですが、自分のクラスのものが2人、ある出版社の試験を応募した。ひとりはクラスで一番の成績をもった子で、もうひとりは大して、できない子だったそうです。ところが第一次の書類写真との審査で、できる子のほうが落第で、できない子のほうがパスしてしまった。その子が美貌だったからです。クラスのものたちは、最近、寄るとさわるとその話をしている。これから世のなかへ出ていこうとする娘さんたちは出鼻をくじかれた気もちになっているというのです。
その娘さんのことばを借りれば、「社会が信用できない」というのです。
それでは困ります。若いときの理想主義、いやこのばあいはむしろ世のなかを甘く見た空想というべきでしょうが、ひとたびそれが破れると、今度は社会を呪うようになる。それがひがみでないと誰がいえましょうか。
一見、正義の名による社会批判のように見えても、それは自分を甘やかしてくれぬ社会への、復讐心にすぎないのです。なにより困ることは、それによって傷つくのは、社会のほうでなく、自分自身だということです。
そういうと、自分で努力して得た成績より生まれたときからもっている美貌のほうを高く買う社会がまちがってはいないか、そんな世のなかでは、努力をする張り合いがなくなりはしないか、そう反問するかたがいるかもしれません。
だから、私は、生まれながらにして、どうにもならぬことがあるといっているのです。
いくら努力をしても徒労に終わるひともあり、難なく出世するひともあるといっているのです。
そういう社会を徐々によくすることも必要ですが、いくらよくなっても、程度問題で、不公平のない社会はこないし、また、それがこようと、こまいと、そういうことにこだわらぬ心を養うことこそ、人間の生き方であり、幸福のつかみかたであるといえないでしょうか。
それにもう一つ考えておかねばならぬことは、美人なるがゆえに大損をする例が非常に多いということです。男に持て、ちやほやされていい気になっているうちに、いつの間にか年を取ってしまったこの元美人は、それまで外面の美に寄り掛かっていたため、中身は何もなく、心が貧しくなってしまっていて、年輪の美しさが少しも感じられない。親からもらった遺産で居食いしていたため一文なしの乞食になってしまったようなものです。
長い眼で見れば、美人に生まれついたこともまた不幸のもとになりうるのです。
『私の幸福論』 福田恒在 ちくま文庫 ¥640+税
しかし弱点をとりかえそうとして、激しい気もちで長所の芽ばえにすがりつき、それを守ろうとすれば、かならずそこに歪みが生字増す。自分は顔がまずい。だから、ひとに指一本さされぬよう、立派に生きようという心がけは殊勝ですが、そういう意気ごみから育てられた長所というものは、なるほど外見はしっかりして頼もしそうにみえますが、内側は案外もろいものです。また、そういう立派さには、他人にたいする不寛容のつめたさがあるのがつねです。
あたしは自分の才能と実力とで、世のなかを生きてきたと自他ともに許す「精神的なる」女性が、映画女優やお妾や、その他、概して顔の魅力で得をしている「肉体的なる」女性に示す意地のわるさ、これほどいやなものはありません。
御当人は、自分のマイナスを棄ててプラスを助長せしめたとおもいこんでいるかもしれませんが、じつは、これこそ逆さにされたひがみにほかなりません。ひがみは、現実に敗北した不平家を生むと同時に、頑ななつめたい勝利者も生むのです。人間の心理というのは、自分のことながら、いや、自分のことであればこそ、よほどうまく操らないと、姉妹には自分でも操りきれぬ手に負えない存在と化してしまうものです。はじめの出発点が大事です。
まず自分の弱点を認めること。また、たいていのひとは、自分の長所よりはさきに弱点に気がつくでしょう。そしたら、それをすなおに認めること。そして、それにこだわらぬよう努めること。そうすれば、他に埋め合わせの長所を強いて見つけようとあがかなくても、そのすなおな努力そのものが、いつのまにか、あなたの長所を形づくっていくでしょう。むりに長所を引っぱりだそうとしなくても、現実の自己に甘んじるすなおさそのものが、隠れた長所をのびのびと芽生えさせる苗床となるでしょう。
弱点をすなおに肯定するということは、それをなおす努力を棄てることを意味しはしません。
しかし、誰にでも、生まれ変わってこなければ、どうにもならないというような弱点があるものです。また、その弱点が外に出るのをいくぶんおさえることはできるにしても、それもある程度までのことです。どんな人間にも限界があります。
現代は自由平等の時代ですから、誰も自分に限界があることを認めたがらない。ことに若いうちはそうです。そして、それはいいことなのです。若い時代は、自分にたいする信頼の念が強く、時には自分を買いかぶることさえあるでしょう。それはいいことなのです。そうしなければならない。が、すぐ自分の限界にぶつかるでしょう。私が心配するのは、その時期です。そのときに、若々しい魂がひねくれてしまうのを見るのが、私はいやなのです。
ある娘さんから聴いた話ですが、自分のクラスのものが2人、ある出版社の試験を応募した。ひとりはクラスで一番の成績をもった子で、もうひとりは大して、できない子だったそうです。ところが第一次の書類写真との審査で、できる子のほうが落第で、できない子のほうがパスしてしまった。その子が美貌だったからです。クラスのものたちは、最近、寄るとさわるとその話をしている。これから世のなかへ出ていこうとする娘さんたちは出鼻をくじかれた気もちになっているというのです。
その娘さんのことばを借りれば、「社会が信用できない」というのです。
それでは困ります。若いときの理想主義、いやこのばあいはむしろ世のなかを甘く見た空想というべきでしょうが、ひとたびそれが破れると、今度は社会を呪うようになる。それがひがみでないと誰がいえましょうか。
一見、正義の名による社会批判のように見えても、それは自分を甘やかしてくれぬ社会への、復讐心にすぎないのです。なにより困ることは、それによって傷つくのは、社会のほうでなく、自分自身だということです。
そういうと、自分で努力して得た成績より生まれたときからもっている美貌のほうを高く買う社会がまちがってはいないか、そんな世のなかでは、努力をする張り合いがなくなりはしないか、そう反問するかたがいるかもしれません。
だから、私は、生まれながらにして、どうにもならぬことがあるといっているのです。
いくら努力をしても徒労に終わるひともあり、難なく出世するひともあるといっているのです。
そういう社会を徐々によくすることも必要ですが、いくらよくなっても、程度問題で、不公平のない社会はこないし、また、それがこようと、こまいと、そういうことにこだわらぬ心を養うことこそ、人間の生き方であり、幸福のつかみかたであるといえないでしょうか。
それにもう一つ考えておかねばならぬことは、美人なるがゆえに大損をする例が非常に多いということです。男に持て、ちやほやされていい気になっているうちに、いつの間にか年を取ってしまったこの元美人は、それまで外面の美に寄り掛かっていたため、中身は何もなく、心が貧しくなってしまっていて、年輪の美しさが少しも感じられない。親からもらった遺産で居食いしていたため一文なしの乞食になってしまったようなものです。
長い眼で見れば、美人に生まれついたこともまた不幸のもとになりうるのです。
『私の幸福論』 福田恒在 ちくま文庫 ¥640+税
2007-07-30 | マリア #- | URL|[ 編集 ]
美は自己理解にあり
自分がいま宇宙から何を求められているのかを的確に理解できる人は賢者といえるだに。すなわち、自己理解が、自己存在を生むじゃね。
しかし、残念ながら、ほとんどの人間は、自分をみることなく、自己を知らず、自らのエゴから、自己をみること、死をみつめることを恐れ、逃げ、他を求めているだに。
自己を仮装しようとしているだに。他を着飾って、これは自分だ!と誇示したがるだに。
しかし、宇宙のものは、皆、1つとして自分のものではなく、共有のもの、いわば共有の財産だに。自分のものがあるとしたら、いまだ、宇宙の共有理念から外れた部分だに。つまり虚だに。
宇宙から求められている役割に忠実ならば、自分のものなど1つもないだに。求められている役割と逸脱した部分が自己のものとなるだに。繰り返しいうが、自己のものなど、この世には一切ない。
だから、死は、宇宙の無への融合で、自己の解放といえるだに。
醜には醜の役割、美には美の役割が求められている。美は醜で生かされ、醜は美に感謝しなければならないといえるだに。
しかし、残念ながら、ほとんどの人間は、自分をみることなく、自己を知らず、自らのエゴから、自己をみること、死をみつめることを恐れ、逃げ、他を求めているだに。
自己を仮装しようとしているだに。他を着飾って、これは自分だ!と誇示したがるだに。
しかし、宇宙のものは、皆、1つとして自分のものではなく、共有のもの、いわば共有の財産だに。自分のものがあるとしたら、いまだ、宇宙の共有理念から外れた部分だに。つまり虚だに。
宇宙から求められている役割に忠実ならば、自分のものなど1つもないだに。求められている役割と逸脱した部分が自己のものとなるだに。繰り返しいうが、自己のものなど、この世には一切ない。
だから、死は、宇宙の無への融合で、自己の解放といえるだに。
醜には醜の役割、美には美の役割が求められている。美は醜で生かされ、醜は美に感謝しなければならないといえるだに。
2007-07-30 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
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いい女、いい男に年は関係ないのです☆