2007年07月25日 (水) | Edit |
アルフォンス・デーケン 編著「老いと死をみつめて」同文書院より(7)


④罪意識とルサンチマンの克服ーー許しの意義
相手が生きているうちにもっとこうしてあげればよかったと
後悔し、罪悪感に苦しむのは「悲嘆のプロセス」の代表的な
反応です。

また逆に、医師の診断が間違っていたとか、故人の生活態度
を非難するというように、やり場のないやり場のない苦悩の
原因を他人のせいにして、ルサンチマン(うらみ)に陥ること
もしばしばあります。


病的な罪悪感やうらみを解消するには、カウンセラーなどの
助けを借りることも必要でしょう。また「許し」の持つ意味
を深く考えてみることも大切です。

この世に完璧な人間など一人もいないのですから、他人の
過ちを許し、自分だけが不幸だと思い込まないことです。

他人の立場も認めようとする精神の柔軟さは、苦悩を超えて
成長するための一つの大きな鍵ではないでしょうか。


⑤ 宗教の意義
苦しみとの出会いによって、自分の価値観や宗教の意義に
ついて真剣に考え出したいという体験は、よく耳にする
ところです。

私の恩師でもあったフランスの実存哲学者ガブリエル・マルセルは、
最愛の夫人を亡くしてから愛と永遠性についての考察を深め、
真の愛が相手の不死を願うものである以上、

生命は永続するに違いないという確信に達しました。
後に、カトリックに帰依したマルセルは、
愛する夫人との天国での再会に大きな慰めを見出していました。


⑥ ユーモア感覚のすすめ
ユーモアは人生のあらゆる局面に必要な要素です。もちろん、
喪失の悲嘆を越えるためにもユーモアは欠かせません。
ユーモアと笑いは神が人間だけに与えられた贈物です。

たとえ自分は悲しみや失意のどん底にいても、相手のために
こころ暖まる雰囲気を作ろうとしてほほえみかけるやさしい
愛情のしるしがユーモアであり、それはそのまま自分のこころの
緊張を和らげる安全弁ともなるのです。

また、自分自身を客観的に見て笑い飛ばす自己風刺のユーモアは、
ストレスの多い喪失体験から健康を守り、孤独の苦しみを越えて
新しい人間関係を築く上で、大きな助けとなります。


⑦ 新しい自分の発見へ(新たなアイデンティティの探求)
特に女性の場合、夫の死後「だれだれの妻」という今までの
肩書きはもう通用しません。

これは人生における一つの大きな挫折ですが、見方を変えれば、
新しい自由の獲得であり、もう一度だれのものでもない一人の
人間としていき始める出発点にもなります。

過去にとらわれず、今まで気づかなかった能力の可能性を、
自分の手で掘り起こしてみようとする積極的な態度から、
社会への視野も広がり、人間的な成熟への道が開けます。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
人は必ず癒える
かならず全体性に戻っていく。


悪のない善がなく、影のない光がないように、
喪失体験のない成長がありえないのも確かだ

奇妙に思われるかもしれないが、
成長を伴わない喪失もまたありえない


★中年になると髪の毛が薄くなるが、
おかげで内面が外面に劣らず重要であることに
気づくようになる。

★定年退職すると収入はへるが自由がふえる。

★老年になると多少なりとも独立性を失うが、
与えてきた愛の一部を受け取ることができる。



エリザベス・キューブラー・ロスの自信にあふれた
言葉にはげまされます。

人は必ず癒える。
かならず全体性に戻っていく。


2007/07/25(Wed) 20:34 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ショートケーキのイチゴsan
来るもの拒まず、去るもの追わず
が基本です。

またコメント書きたくなったら
いつでもどうぞ



2007/07/25(Wed) 20:14 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
喪失のレッスン☆ーNO3
おそらく、喪失に関して確実にいえるのは、時間がすべてを癒すということだけであろう。残念ながら、癒しは必ずしも直線線的に進行するものではない。折れ線グラフのように、まっすぐ上昇して全体性に到達するというわけにいかない。それどころか、ジェットコースターのように、全体性に向かっていたかと思うと、とつぜん急発進する。そして気がついたら、そもそもの出発点に戻っていく。それが癒しである。

人は必ず癒える。かならず全体性に戻っていく。失ったものは戻らないかもしれないが、それでも人は癒える。そして、人生のある時点で、その喪失を嘆いている当の相手である人やものが、本当は自分のものではなかったことに、少なくとも、自分が思っていたような意味での自分のものではなかったことに気づくのだ。
それに気づいた時、失ったと思っていた人やものが、それまでとは違った意味で、いつまでも自分のものであることを理解するようになる。

我々は全体性を希求している。人や物に、いつまでも今のままでいて欲しいと望んでいる。
しかしそれが不可能であることも知っている。喪失は人生でもっとも難しいレッスンのひとつである。
なんとかその困難を回避しようと、時にはロマンティックな空想をしてみても、好きだった人やものとの別離が人生最大の苦痛であることには変わりない。愛する人や物の不在が自動的に心の成長をうながすわけではなく、悲しみや孤独、虚しさを感じるのがむしろ当然の反応なのだ。

しかし、悪のない善がなく、影のない光がないように、喪失体験のない成長がありえないのも確かである。奇妙に思われるかもしれないが、成長を伴わない喪失もまたありえない。そこが理解しにくいところであり、だからこそ、我々はこんなにも喪失に捉われてしまうのだろう。

その両義的なしくみを、がんで子供を失った両親のケースから学ぶことができる。
当然のことながら、喪失の直後、両親は「この世の終わりだ」といって嘆いた。ところが何年かの後、両親はその悲劇を通じて人間的に成長を遂げていた。勿論、子供を失う経験など、できることなら絶対にしたくはなかった。だが、両親は喪失体験のおかげで、思ってもみなかった境地に到達することになった。

すなわち「あの子が最初から生まれてこなくて、一度も愛したことがない人生よりも、あの子を愛し、そして失った人生のほうがよかった」と思えるようになっったのである。愛する対象を持った経験がないことと、1度はそれをもち、失う経験をしたこととでは、比べ物にならないほど大きな違いがある。

喪失による成長は、外からみてすぐ分るようなものではない。しかし確実に成長している。
喪失の痛手を味わった人は、いずれ強くなり、より全体性に近づいていく。

★中年になると髪の毛が薄くなるが、おかげで内面が外面に劣らず重要であることに気づくようになる。
★定年退職すると収入はへるが自由がふえる。
★老年になると多少なりとも独立性を失うが、与えてきた愛の一部を受け取ることができる。
★大切な所有物を失うと、しばらくはがっかりするが、やがて自由になったことに気づき、身軽に生きるほうがいいと思えるようになる。
★人間関係が破綻したとき、真の自己を知るチャンスが訪れる。
★なんらかの能力が失われたとき、残された能力に感謝するようになる。

『ライフ・レッスン』 エリザベス・キューブラー・ロス 角川文庫 ¥705(税別)
2007/07/25(Wed) 09:58 | URL  | マリア #-[ 編集]
みなさん、ありがとうございました。
やまんばはここ数日、絵筆をもちながら、コーヒーをがぶ飲みし、ショートケーキのでっかいイチゴをよく噛みもせず飲み込み、目を白黒しながら、ようやく一つの結論に達しました。
やはり、やまんばのような人間は自然の中で、絵筆を握り、黙って絵を描くのが一番良いということがわかりました。
その前にろくろくさん、マリアさん、錬金術者さん、みなさんに、心からの感謝の言葉を伝えてここを去りたいと思いました。一年半くらいでしたが、やまんばは本当にお世話になりました。ありがとうございました。朝になると、ろくろくさんがいろんなことをブログで紹介され、やまんばは狭い世界のヘンテコなコメントを書き、文字で自己の世界を築き上げることが楽しくて絵を描くこともおろそかになるほど夢中になりました。「画家よ絵を描け!」ダリの言葉が再び蘇りました。これが終わってパソコンのスイッチを切ると「ろくろくブログ」のない世界に戻ります。とてもさみしいけど、反面自由さも感じることでしょう。
ショートケーキのイチゴの部分で終わりますが、かって一度も味合ったことのない味覚で、それは忘れがたいものになることでしょう^^。それでは、みなさん、さようなら。そしてたくさん たくさん、ありがとうございました!
2007/07/25(Wed) 07:32 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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