碌々(ろくろく)ブログ

先哲の教え、言葉などを通して  心身の健康、真の幸福  そして人生成功の秘訣を  共に探求していきましょう

悲嘆のプロセスについて

アルフォンス・デーケン 編著「老いと死をみつめて」同文書院より(4)


Q 配偶者や身近な家族を喪うと、
だれでもきびしい悲嘆を経験するといいます。

そのようなときどう対処すればよいのか
見当もつきません。

こうした試練を乗り越えるためにも
悲嘆のプロセスについて教えてください。


事実を厳粛に受けとめ、積極的に生きる

A 人生はある意味で喪失体験の連続であり、
それには大なり小なり、失意や苦悩の錯綜した
感情が伴います。

こうした喪失体験に続く一連の情緒反応を
「悲嘆のプロセス(グリーフ・プロセス:grief process)
と言います。

心理学者は、その中でも特に大きなストレスをもたらす
体験の筆頭に、配偶者の死による悲嘆をあげています。

愛する配偶者の死は、想像を絶する苦悩であり、
そのために生ずる危機には測り知れないものがあります。

遺された者がこれを乗り越えるのにインスタントな方法は
ありません。このとき、わたしたちはフロイトが
「悲嘆の仕事」と名付けたように、

時間をかけてやり遂げなければならない人生の重要な課題
の一つに、否応なく直面させられるわけです。

この過酷な試練を乗り越えるには「死への準備教育」、
特にその中の「悲嘆教育」が、だれにとっても必要に
なってくるのではないでしょうか。


悲嘆を越えて成熟した明日へ

こうした悲嘆から立ち直るためには、
多くの困難な心理的問題を克服していかなければなりません。

私は今までの研究を通して、ほぼあらゆるケース共通して
見られるパターンとして「悲嘆のプロセス」の十二段階の
モデルを提示しました。

こうした「悲嘆のプロセス」についての理解を深めることは、
この課題を達成するために欠かせないと思います。

以下、典型的な「悲嘆のプロセス」の十二段階を
簡単に述べましょう。


次回につづく


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2007-07-22 | 癒し・ヒーリング |  コメント : 6  |  tb : 0

Comment

己を殺す

マリアさん、
ワープロ打ちありがとうございます。
マリアさんのお陰であらためて
今回読み直すことができました。


「己を殺す」と言っても、
やはり自分は生きているのだから、
自分を殺しきることなど出来たものではない。

面白いことに、その殺された部分は何らかの形で
再生してくるようである。あるいは、殺したつもりでも、
半殺しの状態でうめいているかも知れない。


人間誰しも「己を殺す」というか
「自分のほうが我慢してやっている」ことがあって
こんなにも我慢しているのだから言葉が多少乱暴に
なることなんて当然でしょ、といったことは
大いに思い当たる節があります。


マリアさん
こうした名文を読むだけでなく
ワープロ打ちするとまたより深く
理解することができるでしょ?

これからもお気に入りの文章がありましたら
是非ともお願いいたします。



2007-07-22 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

生きる

は息子が大好きな映画の一つです。

彼は好きなものは繰り返し繰り返し
観るのですが、「生きる」はもう十回位は
観たのではないでしょうか。

それだけ人の心を打つ何かかあるのでしょう



今年5月に発表された米タイム誌の映画評論家が選ぶ「ベスト映画100本」の中の1本に選出され、さらに、「50年代の最高傑作」にも選ばれた、巨匠・黒澤明の世界的名作。市役所の市民課長・渡辺(志村)は29年間11ヶ月無欠勤の役人だったが、ある日自分が胃ガンに冒され余命少ないことを悟る。渡辺は今までの人生を振り返り、人生の最後に本当に市民の役に立とうと公園建設に情熱を注ぐ…。非人間的な官僚主義に対しての批判と、人間が生きる上での哲学がストレートに表現され、志村の鬼気迫る演技が作品に深い感銘を与えている。ベルリン映画祭銀熊賞を受賞。ハリウッドのドリームワークス製作によりトム・ハンクス主演でリメイクされるという噂も流れている。



2007-07-22 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

己を殺して他人を殺す

「己を殺す」ということは、ひとつの美徳と考えられている。克己という言葉もあるが、「己を殺す」方は、少し克己からずれていき、しかも、それが度を越すと、あらゆる美徳がそうであるように、他人に害を及ぼし始める。

ある女性は、幼い時から他人の言うことをよく聞き、自分のやりたいことや言いたいことは常に後廻しにして「己を殺して」生きてきた。この為に、大人しい子とか、いい子という評判ができて、そのような生き方がますます身についてきた。

高校でも教師の受けがよかったので、高校卒業後、いいところに就職することができた。暫くは良かったが、そのうちに自分が職場であまり好かれておらず、しかも、まったく驚いたことに「勝手者」だという評判がたっていることを知ったのである。
彼女にとってこれはまったく不可解なことであり、途方にくれてカウンセラーのところへ相談に来た。「己を殺して」生きているのに「勝手者」などと言われては、どうしていいかわからない、と言うのである。しかし、カウンセラーと話し合いを続けているうちに、彼女自らが次のようなことを悟ることができた。

「己を殺す」と言っても、やはり自分は生きているのだから、自分を殺しきることなど出来たものではない。面白いことに、その殺された部分は何らかの形で再生してくるようである。あるいは、殺したつもりでも、半殺しの状態でうめいているかも知れない。
とすると、本人も知らぬ間に再生してきたのや、半殺しの存在やらが、本人の気づかぬところで、急に動き出すこともある筈である。

彼女の場合、いつも自分の考えや欲望を殺して生きているつもりなのだが、他人からみると、急に途方もなく勝手なことをするように思えるのである。
皆が愉しんでいる時に、座が白けるようなことを、ぱっと言って平気でいるとか、非常な大切な仕事があるときに、それほどにも思えないのに、体調が悪いので早退します、と帰ってしまったりする。
要するに、どこかでチグハグしてきて、他人からみると、ここぞというところで勝手なことをする、ということになるし、しかも、平素は大人しくしているので、その行為が余計に目立つのである。

彼女に言わせると、いつも辛抱して生きているので、時にはたまらなくなって、少しぐらい休んだり、息抜きしても当然ではないか、ということになるが、そのタイミングは、もっとも不適切だ、ということになる。
これは、彼女の中で殺されたものが、生き返ってきて、復習をしているようなもので、こんな時は、見事に他人を殺すことをするものである。彼女の一言が、盛り上がってきた一座の気分を「殺す」とか、他人の好意を「無にする」とか、友人の窮状を「見殺しにする」とか、いろいろなことをやってくれるのである。
そして、このような時、彼女自身はその重大さを認識していないことが多いのである。
だからこそ「勝手者」などという烙印を押されてしまうことになるのだ。

己を殺していることが、知らぬ間に他人を殺すことにつながってくるので困ってしまう。とすると、己を殺すより生かすことに努力すべきだということになろう。しかし、これも話はなかなか簡単にはいかないのである。
己を生かすことによって、他人をも生かすことを考えればよいことはわかっているのだが、これも存外難しい。

己を生かそうと思って、自分のしたいことをすると、それこそ「勝手者」だということになりかねない。特にわが国では、他と協調すること、他と変わったことをしないこと、が尊ばれているので、どうしても自分を生かす生き方に難しさを感じるし、ついつい、自分を殺す生き方を選ぶのではないだろうか。
従って「己を殺す」ことが「己を生かす」ことよりも美徳として考えられることが多く、例としてあげた女性のような失敗が生じてくるのであろう。

己を生かすにしろ殺すにしろ、どちらも難しいことで、どちらがいいなどとは簡単に言えない。
大切なことは、どちらか一方を美徳と規定してやり過ぎをしないことであろう。

「己を殺す」生き方の好きな方は、自分が殺したはずの部分が生殺しの状態で、うめき声をあげて近所迷惑を生じていないか、とか、自分の殺した部分が、思いがけずに生き返って、他人を殺すために活躍していないか、などと考えてみることが必要であろう。

自分を見事に殺し切って、それが新しい自分として再生してくるのを明確に知るのは素晴らしいことではあるが。

『こころの処方箋』 河合隼雄 か 27 4 新潮文庫 ¥400

抜粋するつもりが、殆ど全文掲載してしまいましたわ(汗)
いいこと、為になること請け合い!皆様、是非買ってお読みくださいね☆

2007-07-22 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

河合隼雄さんの死を悼んで・・・

河合隼雄さん亡くなられたんですね!今、知りました。。。

河合さんの著書は考えさせられることが多く、また「ご尤も!」なご意見ご見解で、読む度感銘していましたのでとても残念ですわ。

で、記事の内容とはずれますが、この場をお借りしまして『こころの処方箋』の中の「己を殺す」から、とりわけ心に残った部分を抜粋させて頂き、氏のご冥福をお祈りしたいと思います。

ろくろくさん、何卒宜しくお願い致します。

2007-07-22 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

事実を厳粛に受け止め積極的に生きる☆

こんにちは☆

それ(事実)を厳粛に受け止められる人こそ、真に素直で謙虚な賢い人ー悟りにちかいかもーと思います☆

しかし、悲しいかな。。。

人間て(私も含めて)傲慢で我がままなので(自覚症状の全くないおめでたい手合いもいますが)自分の願望、希望ーこうでなければいけない!−に拘り、現実をありのままに受け入れようとない部分がありますでしょう?

自分の理想に無理やりあわせる為に、事実を捻じ曲げてまで自己流に解釈するようなところが、往々にして!

で、先日書いた「市民大学」の講義のなかで、デーケン氏お勧めの映画、黒澤明監督の『生きる』を取り上げられていたんですね。

今更ストーリーを紹介するまでもなく、余命何ヶ月の宣告を受けた初老の紳士(特に何をしたという訳でもない、奇跡が人生のなかで起きた訳でもなく淡々と生きてきた、ある意味どこにでもいる極々普通の人)が、今までの人生を振り返り、最初はショックに打ちのめされるものの、今までの自分とは縁のない経験を試してみるうちに「生きているうちにしておかなければならない」ことに気付き、その時から主人公が生き生きとしだすんですね。「生きている実感」を、心身ともに感じているのがこちら側にも伝わってきて。。。
『ゴンドラの唄』が効果的でいいんですよねぇ、また♪

「死」と直面した時の多くの人間が辿るプロセス(心理)を見事に描いていますし「事実を厳粛に受け止め積極的に生き」たお見本(その一例)がここにはありますので、さすがデーケン氏のお勧めの「是非見ていただきたい一本」だけのことはある、と納得でしたわ

2007-07-22 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

悲嘆のプロセス☆

おはようございます☆

「悲嘆」は愛する人との別れの後にはつき物の感情ですから、上手くそのハードルをクリアいきたいですよね。誰でも。

どういう形にしろ「別れ」は、この世に生まれてきた以上なにびとも避けては通れない、必ずや経験しなければならない通過儀礼ですので、「悲しいのは淋しいのは自分だけではない」と、認識することがまずは第一歩なのでは?

無論、認識したからといって「悲嘆」が綺麗さっぱりなくなるものでも割り切れるものではないのは当たり前で(理屈と感情は別物ですゆえ)やはり、それなりの時間とそこに行き着くためのプロセス、人によっては心理的ケアが必要不可欠と思います。

ただ・・・最終的には「時間が解決する」しかないことはーそれ以外に方法がないことー皆だれでも心の底では理解しているのでしょうけれど。。。

「そんなこといったら実も蓋もないではないか!」といわれそうですが(汗)・・・

2007-07-22 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

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