2007年06月30日 (土) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(12)



わたしたちは

耳を傾けることが ほとんどありません

犬が吠える声に

子どもが泣く声に

通りすがりのひとが笑う声に……

わたしたちは

あらゆるものから 自分を切り離し

その孤立したところから

ものごとを見たり 聞いたりしています


きわめて破壊的なのは

こうした分離です

というのも そのなかで

ありとあらゆる葛藤や混乱がうまれるかれです

あなたが すっかり静まって

あの教会の鐘の音を聴くなら

あなたは その音にのってゆくことでしょう

いや むしろ

音が あなたをのせて

谷をこえ

丘のかなたへとつれ去ってゆくことでしょう

音とあなたが切り離されていないとき

あなたが音の一部になっているとき

そのときはじめて

その美しさが感じられます

瞑想とは

分離がなくなることです

しかし それは

意志したり 願望することによって

おこるものではありません



瞑想は

生から切り離されてあるようなものではありません

それは生の真髄であり

日々の生活の真髄です

教会の鐘の音を聴き

妻とつれだって歩いている農民の笑い声に耳をすませ

通りすがりの少女が鳴らす自転車のベルの音を聴く……

瞑想は

そうした生の断片をとおして

ひとつひとつの断片だけでなく

生の全体を開示するものです



次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
老いらくの恋
年老いてからの恋愛。
昭和23年(1948)、68歳の歌人川田順が弟子と恋愛、
家出し、
「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」
と詠んだことから生まれた語。
ーYahoo!辞書よりー

う~~ん60年前68歳の歌人は「墓場に近き老いらくの恋」
と詠んでいますが、いまや68歳では墓場に近き印象は
あまりないのではないかなぁ~

78歳くらいにならないと「怖るる何ものもなし」とは
ならないようにおもいまする。



2007/06/30(Sat) 22:23 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
わたしたちは
耳を傾けることが ほとんどありません

犬が吠える声に
子どもが泣く声に
通りすがりのひとが笑う声に……


ほんとにその通りだなぁ~と思う
いつもいつも自分の考えにとらわれていて
耳を傾けることがほとんどありませんです。

ではどうすればいいか・・・
耳を傾けることがほとんどないことに気づくこと



2007/06/30(Sat) 21:25 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
老いらくの恋?擬似恋愛?

ネットも現実に違わぬ<人生劇場>の舞台です☆
2007/06/30(Sat) 12:07 | URL  | マリア #-[ 編集]
この世は全て舞台ですね☆
おはようございます☆

いい役者になるか大根役者で終わるかは、全て自分次第☆

人それぞれにドラマがあり、役割もあるのだし。。。

お姫様役もいれば、乳母役もいる、それぞれの「時間」に沿った「敵役」をこなさなければ

老婆になっても娘役を無理に演じる女優みたいに「役柄」を間違えると、ちぐはぐで滑稽な悲喜劇になります(笑)

まあ、それも人生、それはそれで愉快ですが。。。
2007/06/30(Sat) 10:11 | URL  | マリア #-[ 編集]
今日のブログの内容は・・・
昨日の錬金術者さんのコメント

時間とは命なりき・・・命は音や色彩つまり波が合わさったものと考えられるだに・・・

とふんわりと合わさって調和します。
生きとし生けるもの全ての音や色が光となって、尽きることのないオペラのように、人間の思惑をはるかに超えて日ごと夜ごとに繰り広げられている・・・・
2007/06/30(Sat) 09:06 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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