2007年06月05日 (火) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(4)



瞑想は きびしい作業です

それには

もっとも高度な規律がもとめられます

ただし それは

順応することでも

模倣することでも

服従することでもありません


その規律は

たえまない気づきをとおしてうまれてくるものです

自分の外側でおこっていることだけでなく

内側でおこっていることにも

たえまなく気づいている ということです

だから瞑想は

世間から隔絶していく行為ではなく

日常の生活のなかでおこる活動です

日常の生活のなかでは

協調性と感受性と知性が必要とされます

ただしい生活をしっかり築いていないと

瞑想は ひとつの逃げ道になり

まったく価値のないものになってしまいます

ただしい生活とは

社会の道徳にしたがうことではありません

ねたみや 貪欲さや 権力の渇望などから

自由になることです

それらはすべて 憎しみをうみだします

しかし 意志のはたらきによって

それらから自由になれるのではありません

自分を知ることをとおして

それらに気づくことによって

自由になれるのです

自分がなにをしているのか 気づくことがなければ

瞑想は 感覚の昂揚をもたらすだけの

ほとんど意味のないものになってしまいます



次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング



スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/06/06(Wed) 10:03 |   |  #[ 編集]
A.Tさん
素敵なコメントありがとうございます。

でもこのままではせっかくのコメントを、他の方や
やまんばさんへお伝えすることができません。

また、A.Tさんと同じように感じている方も
少なからずいらっしゃるとおもいます。

是非ともあなたのコメントを一般公開させてください。
お願いします。


2007/06/05(Tue) 22:30 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
病まなければ
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇蹟がある
病まなければ 聴き得ない御言葉がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある
おお 病まなければ      
私は人間でさえもあり得なかった

河野進 「祈りの塔」より


現代に生きる誰もが心や体を病んでいます。
わたしもそしてあなたも・・・

2007/06/05(Tue) 21:59 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
自分自身との闘い
「あるがままのもの」を拒否する自分自身との闘いです。

クリシュナムルティはいいます。

もしあなたが「あるがままのもの」を見るなら、
あなたは世界全体を見ます。
「あるがままのもの」を拒否することが葛藤の始まりです。
世界の美しさは「あるがままのもの」の中にあります。

そして、努力なしに「あるがままのもの」と
生きることが徳なのです。




2007/06/05(Tue) 21:37 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
瞬間瞬間を
ただ観察してごらんなさい。


ほとんどの人たちは不幸せです。そして、心に愛を持たないためにみじめです。君たちが君自身と人との間に障壁を持たないとき、人々を判断せずに、彼らに会って観察するとき、河の帆舟をただ見て、その美しさに喜ぷとき、心に愛が生じるでしょう。自分の先入観のために、ありのままの物事の観察をくもらせてはいけません。ただ観察してごらんなさい。すると、この単純な観察や、木や烏や、歩いていたり、働いていたり、微笑んでいる人々への気づきから、君の内部に何かが起きるのを発見するでしょう。このとてつもないことが君に起きず、心に愛が生じないなら、生にはほとんど意味がありません。


いまだ道遠しといえども
瞬間瞬間をただ観察し続けていきませう。


2007/06/05(Tue) 21:28 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
自分自身との闘い☆
こんにちは☆

私、自分の心から自由になりたいですわ

死ぬまで無理、と諦めてはいるのですが。。。

>彼は無意識のうちに瞑想状態になっていたのだと思います。

本当にそうなんだと思います。大山名人のお話の時にも感じたことですが、「熱く」なったら負けで、相手との駆け引き、相手の動きを2手3手先まで読む、という点においては将棋もレースも変わりないですものね。それには俯瞰から物事を眺めるような、落ち着きと冷静さは絶対必要で、結局、最終的には「自分自身との闘い」に尽きるのだわ、と思いました。

いつも淡々と落ち着いていて、選手によっては肩に力が入り、その緊張感がビンビン伝わってきて、見ているこちらまで肩がこってきそうな人もいる中にあって、加藤君の廻りだけ別世界のような、そこだけ空気が澄み切っていて、どこか「禅僧」を彷彿とさせる雰囲気があって・・・今回の「瞑想」のシリーズ拝見していると、ついつい加藤選手が思い出されてなりませんわ
2007/06/05(Tue) 14:59 | URL  | マリア #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/06/05(Tue) 12:57 |   |  #[ 編集]
正に仰るとおり
「ただしい生活とは、社会の道徳にしたがうことではありません。ねたみや 貪欲さや 権力の渇望などから自由になることです。それらはすべて 憎しみをうみだします。しかし 意志のはたらきによって、それらから自由になれるのではありません。自分を知ることをとおして、それらに気づくことによって、自由になれるのです。」

 ついつい、自分に執着し、感情を切り離せないんですじゃ。

 以前、このブログにあったような、禅のお坊さんのような、瞬間瞬間を生き、過去を忘れるような達人になれるまでは、いまだ遠しという感じですじゃ。
2007/06/05(Tue) 09:20 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック