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2007年06月04日 (月) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(3)



瞑想がおこっているかどうかは

頭が完全に静まっているかどうかでわかります

そのとき 頭はいっさいの活動をやめ

どんな体験もうまなくなります

しかしそれは

力づくでひきおこせるものではありません

力づくで頭を静めようとする その瞬間に

あなたは 二つに分裂してしまうからです


「わたしは すばらしい体験をしたい

だから なんとしても頭を静めなくては……」

このようなことを口にするひとは

けっして頭を静めることができません

しかしあなたが

思考のあらゆる動きーー

つまり それがどのように条件づけられ

なにを追いもとめ なにを恐れ

なにを楽しみとしているか ということを

たんねんに調べ 観察し

それらに耳を傾けるようになり

頭がどのようにはたらいているかを

見まもるようになると

頭がおどろくほど静かになってゆくことに

気づくでしょう

その静まりは

眠りではありません

とほうもなく活発で

だからこそ 静まっているのです

頭は 発電機のように

摩擦があると 騒音をだしますが

完璧に動いているときには

ほとんど音をたてず

静かになります





静けさは

空間のひろがりをともなって

おこります

静けさの無限のひろがり

それは

心の無限さにほかなりません

そのなかに

中心となるようなものは

なにも存在していません





次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
勝負視
加藤大治郎選手はオートバイのレーサーだった人ですか?

生と死の境で命をかけてオートバイに
乗っていたのですから

きっと自分をいつも冷静に観察する訓練を
していたのではないでしょうか?

彼は無意識のうちに瞑想状態になっていたのだと思います。




2007/06/04(Mon) 19:24 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
おはようございます☆
ー頭が完全に静まっているかー

私、その経験こそ少ないけれど凄くよく分る気がするし、そうなんだろうなぁ、と思います。

舞踏家、歌手、女優さんや俳優さんが舞台で神がかり的な体験を話されていたのを聞くと、まさに記事の通りであって「また、もう一度!」と、しようと思ってできるものではない、ということ。。

それは<突然>やってき、自身でコントロ-ルできるものではない「自身の気持ち」を超えたところで突如として起こるものだと思いますし。。。

以前、加藤大治郎選手のこと、触れたことがありましたよね?といっても記憶にないかもしれませんが。。

彼のコメントに、まさしく昨日、今日、の記事に当てはまる箇所があるの!

うろ覚えで、正確に記したいのですが「大ちゃん、いつも落ち着いているよね。どーして、そんなに落ち着いていられるの?」

大ちゃん「う~ん、でも、僕(基本的には)負けず嫌いですよ」
ただ、彼はそれを表だって見せもしなければ、同時に「友達ごっこ」もしなかった・・その経緯は彼が<勝負視>だったからに他ならない、と思うの。

「勝ち負け」は勝負の世界では、否が応にも避けて通れない、誤魔化しのきかない世界。

一目瞭然、「私(俺)はこっちがすき」の<趣味の問題>だけに留まらず、勝者敗者が歴然と形となって顕れる、それだけに非常に苛酷な世界、と思いますもの。




2007/06/04(Mon) 13:02 | URL  | マリア #-[ 編集]
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