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2007年05月19日 (土) | Edit |
玄侑宗久著「禅的生活」ちくま新書より(27)


なんだかいろいろ聞かされているうちに、
「悟りへの関所」でいくつか示した悟ったこころの
表現も、忘れてしまったのではないだろうか。

もう一度確認しながら、
お悟り表現のシャワーを浴びていただきたい。

禅では富士山のことを「不二」と書くことが多いが、
これは今申しあげた二元に分かれる以前の「一」を
表現しようとしている。


「如是」というのは「是くの如し」としか言いようがない、
つまり表現不能を意味する表現。「真如」同様だろう。

『老子』で云われる「道」とか「太虚」あるいは「沖虚」
というのも、すべての物が名づけられる以前の全的で
カラッポな世界だから「父母未生以前の本来の面目」と
同じと考えていい。

一応まえに書いたものを列挙しておくと、
「仏心」「仏性」「法性」「本来の面目」「本地の風光」
「無心」「直心」などである。また「一円相」という表現
もあった。

ほかに「万里一条の鉄」とか「純一無雑」なども、
とりつく島がないくらい分け目がなかったり混じりっけの
ない心の状態だろう。

僧侶の墓石には卵型の無縫塔が用いられることが多いが、
この「無縫」というのもあらゆる価値判断以前の、
分断もされず縫い目もない全的心のことである。

同じことを「漏れがない」と見れば、「無漏路」という
言い方になる。「万里片雲無し」などというのも、
同じ心の詩的な表現だろう。

禅では妄想を雲に見立て、雲一つない青空を本来の心に
喩えることも多い。達磨さんの「廓然無聖」というのも
カラッと広がる青空のイメージであり、しかもそこには
聖なるものさえ存在しない。

聖が生まれれば俗という概念も同時にうまれている
からである。先にも示した「好事も無きに如かず」
というのはそういう意味だ。でっち上げの価値判断は、
好くても悪くても、無いほうがマシなのである。

『臨済録』にでてくる「無事」もそういう意味では
お悟り状態の心だろう。「求心歇む処、即ち無事」
と云われるが、外に馳求(ちぐ)する気分のなくなった
状態は完全な円満具足の心だろう。

臨済禅師の師匠てある黄檗は「無依無住」と言った。
依拠することも住することもない全き心の状態だろう。

釈尊が跡継ぎの摩訶迦葉に伝法させたときの言葉にある
「涅槃妙心」や「実相無想」なども、それぞれ煩悩が
吹き消されたあとの、なんとも言いようのない不可思議な心、
そして本質的で特定の姿をとらない心、ということだ。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
前世での出来事
わたしがこれまでまのあたりにした何千件という例を
いずれ折に触れお話ししていくとして、

水を飲んだだけの大の男が酔っ払ってしまった事実は
わたしのそれまでの人生観を根底から揺るがすものでした。

深いトランス状態に入った女性はいとも易々と
過去世に行って帰ってきました。

十円玉を手渡し「熱い!」という暗示でみるみる
水ぶくれになる人

深くあるいは強く思い込んだ人は、思い込んだとおりのことが起こるのでした。

でも、それでも本当に前世があることにはならないのです。

この世で体験したことTVや、漫画でみたこと
などをすべてつなぎ合わせて作った
ことなのかもしれないのです。








2007/05/19(Sat) 20:30 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
「養老の滝」の真実
むかしむかし、ある山里に、
たいへん親孝行な若者がおりました。
貧乏で、毎日の食べる物にも不自由する暮らしでしたが、
年とった父親のために一生けんめい働いて、
おいしいものを食べてもらい、
長生きをしてもらおうと思っておりました。

その父親は、何よりもお酒が好きでしたが、
米を買う銭さえろくにないので、
お酒などめったに買う事はできませでした。

そんな息子の苦労を知る様子もない父親は
「酒が飲みとうて飲みとうていけん。はやく買うてきてくれぇ~」
と大声で泣き叫んだ。

息子は、父親が酒を飲むときの仕合わせそうなようすを
思い浮かべると、なんとかしてあげたいと、家を後にした。

かといって酒を買う銭があるわけもなく辺りをさ迷って
いるうちに日もくれた。手ぶらで帰るわけにもいかず、
滝の水を瓢箪に入れて持ち帰り
「おとう、酒買うてきたぞ~」と手渡した。

親孝行な息子を信じきっていた父親は
「おおこれはなんと美味い酒じゃ!」
といって大喜びをしました。


とまあこんな話だったと思うのですが、
わたくしこの昔話は、ある時から事実ではなかったか
と考えるようになったのです。

以前ある「新年会」で100名位の参加者だったか
の全員にコップになみなみとお酒が振舞われました。

ある人はグテングテンに酔っ払い、多くの人がほろ酔い
のよい気分になったのでした。

ところがそのコップのお酒、実はただの水だったのです。
その会のお手伝いをしていたわたくしは、
そのことをあらかじめ知らされていたにもかかわらず
酔っ払ってしまったのでした。

2007/05/19(Sat) 20:03 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
記憶☆
おはようございます☆

ろくろくさんも、中間世の記憶をおぼろげながらに覚えていたとは!訊いてみないと分らないものですね

意外と口に出さないだけで、周りにも経験者がいるのではないか、と改めて思いましたわ。

そういうお話を伺うと思い出す人がいるんです。
去年の夏ごろネットで知り合った、中間世、前世での出来事を覚えているという、私より一回りは下であろう女性のことを。

彼女は17歳の時、受験勉強中、突如として(後にして前世だと分るのですが)大量の汗と共に、ある場面が脳裏に次々と浮ぶようになり、それも非常に実感の篭ったリアルで「夢」や「幻想」と割り切るには、生々しいほどの感覚で、まだ、当時は前世なんて今程ポピュラーでもないし、彼女も、そんな知識も興味も持ち合わせてなかっただけに、それが何を意味するのか、その時はもう訳が分らず(周りに相談したとてその『経験を体感』していない人にとってはただの「幻想」で終わるし、彼女自身、ノイローゼ?頭が変になったのだろうか!?と、悩みに悩んだそうで、それが紛れもない「前世」や「中間世」の出来事と思い出し理解し、現実(現世)の生活と分けて考え、折り合いをつけていくには十数年掛かったそう。。。

で、彼女のプログを偶然見つけ、その内容に強烈に惹きつけられ好奇心を大いに刺激された私が、彼女のプログの常連になったのは(というよりBBSは殆ど私の貸切り状態で、私と彼女の問答に明け暮れた、というのが正確なところ)いうまでもありませんが(笑)

そのプログも残念な事に今はもう存在せず、従って彼女とも、もう2度と出会うことはないでしょうけれど<貴人>という言葉の、もうひとつの意味を初めて知ったとき、その<貴人>の意味を教えてくれた別のプログの女性と共に、その彼女は、私にとっては紛れもない<貴人>であったと懐かしく思い出されたのでした。

この、ろくろくさんのプログもいつかは、当然終わりがやってくるでしょうが、そうなると、もう2度と出会うことも無いのでしょうが、その日がいつ来ようとも後悔のないよう、私なりの誠実さでお付き合いしていきたいと思っていますわ☆
2007/05/19(Sat) 13:19 | URL  | マリア #-[ 編集]
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