2007年05月14日 (月) | Edit |
玄侑宗久著「禅的生活」ちくま新書より(22)


ここで、捏造される自己についてもう少し説明して
おいたほうがいいだろう。

まえに西田幾多郎先生の言葉から「自己がなくなることで
同時にそこから自己が生まれる」というのを引用したが、
その無くなるべき最初の自己のことだ。

生まれてすぐの人間も、
火を近づければ逃げるし叩かれれば痛い。
だから感覚も心もあると考えていいだろう。

しかし、たとえば饅頭が一個のった皿と
二個のった皿を出されても、
幼すぎればなんのことかわからない。


ある程度成長してくると迷わず二個のったほうを
選ぶようになるが、これを心理学では「物心ついた」
と規定している。自己の誕生といってもいいかもしれない。

ちなみに比較認知学と呼ばれる分野では、
多くの研究者たちがヒトやその他の動物に対して
自己鏡映認知という実験を繰返してきた。

つまり鏡のなかの、自分と同じように動く像を、
自己として認識できるかどうかという実験である。

アメリカの心理学者であるG・ギャラップの巧みな実験で
チンパンジーにはその能力があることが確認されたが、
人間の場合はおよそ二歳前後でその能力が発現するという。

京都大学の板倉昭二氏はニホンザルにも自己認知の
可能性を求めて実験を繰返しているが、
まあいずれにせよナムやタマには無縁なことはたしかだ。

彼らは鏡のなかの姿に吠えたり爪をたてたりして興奮するが、
どう見ても敵か仲間か識別するのに忙しく、
まさか自分だなんて思いもよらないようだ。

それはともかくそうしてできた幼い自己は、
その後も何が善いことで何が悪いことか、
何が綺麗で何が汚いのか、何が楽しくて何が苦しいのか、
だんだん経験から学んでいくことになる。

そうした価値判断が自己の輪郭を作るといってもいいだろう。
しばらくすると遠慮することを覚え、二個の皿に伸ばす手に
迷いが生まれてくるが、それを「智慧づく」とか
「分別がつく」というのである。

ウンコが汚いと思うのも、乞食に近づくまいと思うのも、
学んだ分別だ。古い歌に「幼子の次第しだいに智慧づきて
仏に遠くなるぞ悲しき」というのがあるが、

いわゆる確立されてくる自己やそれを支える知識・分別
価値判断などを、禅は根こそぎ否定するのである。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
人は人 自分は自分
人はそれぞれ、お金をかけても気にならない分野が
あるようです。

私の場合は本やCDにお金がかかっても
少しも気にならない。

服にお金をかけることにはあまり興味がないし
抵抗があります。

服もできるだけ締め付けない軽い素材のものがいいですね。

めったに買わないけど、気に入ったら値札を見ずに
買うときもあるなぁ~あらぁ~

流行のものを上手に着こなしている人を見るのも好きだし
流行に関係なくよいセンスの物を清潔にスマートに
着ているのも好ましいです。



2007/05/14(Mon) 19:45 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
河原の石が大好きな友人
石友達の続きの話
とても興味深く読ませていただきました。

病気をされてから以降本音で生きていらっしゃる
様子が大変面白いです。

演歌は人間のどうにもならない苦しみや、悲しさが
ストレートに表現されているところがありますから
無理なく同化することができるのかもしれません。

わたしも大病でもしたらいきなり演歌大好きになる
かもしれません。

このコメントを書いている間中流れていたのが
サイモンとガーファンクルの「ボクサー」
でした。僕の大好きな曲の1つです。

The Boxer
P. Simon, 1968
_________________________________________________

 I am just a poor boy
 Though my story's seldom told
 I have squandered my resistance
 For a pocketful of mumbles Such are promises

 こんな若造の身の上話を聞こうなんて、
 あんたも変わってんな。
 そりゃ俺だって、どこにでもある様な
 ささやかな暮らしってやつを
 追い求めた事もあるんだ。

 All lies and jests
 still a man hears what he wants to hear
 And disregards the rest

 ああ、せいぜい面白おかしく、
 あんたが聞きたいように聞いてくれればいいよ・・

***********************************

 When I left my home and my family
 I was no more than a boy
 In the company of strangers
 In the quiet of the railway station Running scared

 俺が家を捨てて、故郷を離れたのは、まだほんのガキの頃さ
 見知らぬ人たちの中
 静まり返った駅のホームで、不安に怯えていた

 Laying low,
 seeking out the poorer quarters where the ragged people go
 Looking for the places only they would know

 そりゃ、ひどい暮らしだった。
 ボロをまとった人達が、吸い寄せられるように集まる貧しい街の中で、
 「いつかここを出てってやる!」
 って、そればかり考えてたんだ。

***********************************

 Asking only workman's wages I come looking for a job
 But I get no offers

 少しでもマシな賃金が欲しくて、こっちに来て職を探し回ったけど
 どこからもお呼びはかからずさ・・

 Just a come-on from the whores on Seventh Avenue
 I do declare, there were times when I was so lonesome
 I took some comfort there

 声をかけてくれんのは七番街の娼婦だけだよ・・
 あんまり悲しくて、寂しかったから、
 その温もりにすがった事もあったよ、アハハ・・・

***********************************

 Now the years are rolling by me 
 They are rocking evenly

 俺の周りで時間はどんどん流れていく
 ずっと変わる事無く季節を刻んでいく

 I am older than I once was
 But younger than I'll be
 That's not unusual
 No, it isn't strange
 After changes upon changes
 We are more or less the same
 After changes we are more or less the same

 俺は以前より年をとった。
 これからも時間を積み重ねていくだろう。
 色んな事があってさ、人生って変わっていくもんだろ?
 いつまでもずっと同じなんて事無いはずだろ?
 それって、おかしな話じゃないだろう?
 そうだろ・・・?

***********************************

 Then I'm laying out my winter clothes 
 And wishing I was gone.Going home

 こんなコートを脱ぎ捨てて、故郷に帰りたいよ。

 Where the New York City winters aren't bleeding me,
 Leading me, going home.

 ニューヨークの冬は、寒くて寂しくて耐えられないよ。
 ここには、俺なんか居ちゃいけねえってさ・・
 さっさと帰れってさ・・・

***********************************

 In the clearing stands a boxer And a fighter by his trade
 And he carries the reminders of every glove that laid him down
 or cut him till he cried out

 そう言うと彼は、寂れた拳闘場のリングに上った。
 その日の暮らしのために。
 彼を叩きのめそうとする、敵のグローブをじっと見つめながら、

 In his anger and his shame "I am leaving, I am leaving"
 But the fighter still remains

 「ちくしょう!なんてザマなんだ・・」
 「もういやだ、もうたくさんだ!」
 でも、彼の殴り合いの日々が終わることはない・・




2007/05/14(Mon) 19:24 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
☆最近のコメントを参照☆
フフフ・・・何かオセロみたいじゃない?(笑)
2007/05/14(Mon) 13:27 | URL  | マリア #-[ 編集]
何がダサいか・・・
って、人に好み、好き嫌いを振り回される人ほどダサいものはないと思う。

信じられないのが「隠れ何とか」の存在!

○○が好きだから逆に○○が嫌いだからダサいのではなくて

「人は人自分は自分」と割り切れないこと。

「好み」の基準が(自分自身にあるのではなく)トレンドや廻りや人の基準にあること。

流行廃りに関係なく、流行っていようがいまいが、ダサいと思われようが思われまいが、関係なく「私はこれが好き!」といえる人はかっこいいし、素敵と思う。
2007/05/14(Mon) 13:03 | URL  | マリア #-[ 編集]
捏造される自己。。経験。。。
おはようございます☆

今日の記事を読んでいて感じたことのひとつは、人間、やはりその時その時の年齢に応じた経験をしてこなきゃダメだな、ということ。

自我が芽生え、第一次反抗期に入り、幼稚園や学校という団体行動を強いられる社会に入り、協調性や我慢を体験し、やがて第二次反抗期に入り、親や社会に反発し葛藤し「自己を確立」しあちこちぶつかりながら経験し体験し、それらを通して初めて<大人>になり『智慧付き』『分別を知る』わけですから。

<大人>になる成長過程として、誰もが1度は通る道、と至極当然のよう思っていた私でしたが(実際には)この成長段階を皆が必ずしも経験するわけではない、という事実に気がついたのは迂闊にも二十歳を少し過ぎてから。

反抗期の無かった人がいますでしょ。親の言われるまま、先生や目上の人に言われるまま「疑問」も抱かず、抱いても「反発」するわけでもなく<自己>や<自我>の何たるかを(言葉として観念として「分っているつもり」でも)知らない人が!いくつになっても精神的に<大人>になりきれずにいる人が!

勿論、反発、反抗することだけが<自我>ではないのは、百も承知の上ですし、無理に反抗する必要もないのは言うまでも無いですが。

人間の自然な感情をある程度、自身で経験していないと、例え子供の頃はいい子でも、どこか歪みが生じて、その後遺症、つけ?が成人後に表面化してくる場合が多いし(今話題の麻疹と同じで)成人してから罹るのは精神的にも肉体的にも辛いでしょうし、何よりも、その段階を踏まないことには『自己がなくなることで同時にそこから自己が生れる』ことに行き着くこともできませんので、前述した「その時その時の経験・・・」を身に沁みて感じた次第です。







2007/05/14(Mon) 12:25 | URL  | マリア #-[ 編集]
石友達の続きの話
演歌の女王を聞かせてくださった友人、その病気にかかる以前は演歌は見向きもされなかったそうです。声楽を学ばれた奥さんがそう言われてました。全ての価値観が消えていったとき、そのむせび泣くような声が彼の心を捉えたようです。記憶が消えていく「いらだち」「悲しさ」「いきどうり」そんな様々な感情が演歌の女王の歌声と合わさったのだろうか・・・
2007/05/14(Mon) 08:05 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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