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2007年05月12日 (土) | Edit |
和尚OSHO講話 「MOJUDモジュッド」説明できない生を生きた人 
和尚エンタープライズジャパンより (32)


回教徒たちは怒っている。
ヒンドゥ教徒たちは非常に怒っている。
なぜこの人びとは私に怒るのだろう?

彼らの怒りは、私が彼らの虚構を壊しているのに、
彼らの方では、自分たちのその虚構にあまりにも
執着しすぎていることにある。

いいかね、もし真理を見たければ、
すべての虚構を壊すことができなければならない。

どのような虚構もけっして信じてはならない。
開放するのは真理だけだからだ。


そして、ヒドゥルのことを直接話すのは
だれにも許されていない。
この物語が真実でないのはそのためだ……。


そして、さあ、スーフィーたちのこのすばらしさ……
彼らは、この物語ですら真実ではないと言う。
ヒドゥルのことを直接話すのはだれにも許されていない
からだ、と。

内なるガイドは非常に微妙だから、ことばでは表現できない。
だから、なにが言われても、すべて象徴するものにすぎない。


……この物語が真実でないのはそのためだ。
これは生を言い表したものだ。

それはまさに象徴するものだ。ひとつの逸話だ。
まさになにかを指し示す。それは指し示すものだ。


これが、もっとも偉大なスーフィーのひとりの、真実の生だ。

真実の生は、比喩的に、象徴的に、隠喩でのみ言い表される。


この物語は文字通りに理解されるべきではない。
それは信頼の物語だ。それは正確にこのようには起こらなかった。
正確にこのように起こる必要はない。それは表現にすぎない。

これを覚えていたら、あなたは真の信頼の生を垣間見るだろう。
そして、私たちはここで、この逸話を生きようとしている。

これはあなたの物語だ。この物語のなかに入るがいい。
そのことばのなかにだけではなく、その意味のなかにもーー。


そして、この物語を生きるがいい。
それを生きなければ、
この物語はわからない。




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コメント
この記事へのコメント
私はもっと踊りたかったが、神は・・・
もう充分だといわれた。

私は人間を愛する狂人だ

ろくろくさん、マリアさん、ニジンスキーの詩、紹介してくださってありがとうございます。それに眠くて仕方ない猫・・いけますね~^^。
{誰かと共にいる。}
自分の好みのチェンジをニュートラルにすると、相手の波長と合わさる。これもまた、楽しい時間の過ごし方です。
2007/05/13(Sun) 09:32 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
ド演歌の世界
私も苦手!生理的に受け付けないし大っ嫌い!

情緒を通り越してベったりとした、未練がましくって女々しい「情念」だか「怨念」を感じさせる、あの独特の世界が。

淡谷のり子(大好き♪)が生前「幽霊がでそう・・・」(笑)と端的に語っていましたけれど、まさにその通りで、私、大笑いましたもの♪

まとわりつくような重さがあって、ホント鳥肌たっちゃう
2007/05/12(Sat) 23:57 | URL  | マリア #-[ 編集]
誰に教わらなくとも
こんばんは☆

私の感情は大きいので、学ばずとも自然が何かを知っている

彼(のような)人には特別の「師」は必要ないんですよね☆




2007/05/12(Sat) 23:21 | URL  | マリア #-[ 編集]
眠くて仕方ない子猫
2007/05/12(Sat) 22:00 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ひばりの佐渡情話
を ちあきなおみが唄っているのがあって
それはとても気に入っています。

ちあきなおみのポップス調のものは大好きですが
矢切の渡しとか演歌は苦手です。




2007/05/12(Sat) 21:28 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ヴァーツラフ・ニジンスキー
幼い頃から舞台でバレエを踊っていた彼は
バレエ学校卒業後に脚光を浴びるようになる。
彼をスターにしたのはセルゲイ・ディアギレフ、
若かったニジンスキーはディアギレフの愛人となり
彼の力でスターの頂点まで極めていく。

ところが、南米公演に向かう船の上で
ハンガリー人のロモラ・ブルスキーと出会い、
ディアギレフへの反抗心から彼女と電撃結婚する。
これに激怒したディアギレフはニジンスキーを解雇、
ロモラとの結婚生活もうまく行かず、
バレエ界からも孤立していき ついに精神を病んでしまう。

最後の舞踊公演をしたのが1919年の1月、
それからニジンスキーは手記を書き、
奇行が目立ってきて3月には入院、
その後、二度と踊らなくなった。
手記は1919年3月4日てぷっつり切れていて、
その後のニジンスキーはただ痛ましい。
あっというまの出来事だった。
まさに彗星のように出現して、流星のように消えた。

『ニジンスキーの手記』には、こんなふうなことが書いてある。

私はもっと踊りたかったが、神はもう充分だと言った。
‥私は以前は恐ろしいことをした。
神を理解していなかったからだ。
神を感じていたが、理解していなかった。
‥私の感情は大きいので、学ばずとも自然が何であるかを知っている。
自然とは生だ。生とは自然だ。猿は自然だ。人間は自然だ。
猿は人間の自然ではない。私は人間の姿をした猿ではない。

私は幸せだ。なぜなら私は愛だから。私は神を愛する。
だから自分で自分に向かって微笑む。
まわりの人は私が狂うだろうと思っている。
私の頭がおかしくなると思っている。
ニーチェは頭がおかしくなった。考えたからだ。
私は考えない。‥私は神であり、「牛」だ。私はアピス人だ。
私はエジプト人だ。私はヒンドゥ教徒だ。私はインド人だ。
私は黒人だ。私は中国人だ。私は日本人だ。私は異邦人であり、
よそから来た。私は海鳥だ。私は陸鳥だ。
私はトルストイの木だ。私はトルストイの根だ。
私はトルストイのものだ。
 
私は金のない雑誌である。私は雑誌が好きだ。私は生きた雑誌である。
‥私は証券取引所で相場を張りたい。私は泥棒になりたい。
私は金持ちを殺したい。肉体を殺すのではなく、知性を殺したい。
私は知性ではない。私は理性だ。
‥私はシェイクスピアの『ハムレット』が嫌いだ。
彼は考えるから。私は考えない哲学者である。感じる哲学者である。

私は知性なんか欲しくない。私は理性的なことを欲する。
私は知性的な人たちが好きだ。
だから彼らをピストルで殺すつもりはない。
私はピストルではない。私は神である。私は愛である。

m(_^_)m
2007/05/12(Sat) 21:16 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
人はみかけによらないのね☆
私、やまんばさんて演歌好きだと思っていました(笑)・・・

人情とか「○○してあげました」とか演歌の世界に多いので!

私、美空ひばりの『車屋さん』『真っ赤な太陽』『関東春雨傘』『愛燦燦と』は大好き♪

彼女も偉大な芸術家でしたね。非常に大衆的な☆
2007/05/12(Sat) 12:47 | URL  | マリア #-[ 編集]
異邦人
踊りたい 絵を描きたい ピアノを弾きたい

バレエをつくりたい

全ての人を愛したい

それが私の人生の目的だ

愛したい 愛したい

☆ ☆ ☆

不意に死が訪れた

望んでいたことだ

もう生きていたくないと自分にいった

人には病気だったといわれるが

私は人間を愛する狂人だ

私の狂気は人々への愛だ

     byニジンスキー
2007/05/12(Sat) 11:29 | URL  | マリア #-[ 編集]
愛する狂人
おはようございます☆

ニジンスキーも、まさしく天才にして真の大芸術家ですよね☆

『牧神の午後』は今みても斬新的かつ革新的なのには驚き!
エロチックで幻想的でバレェの表現を遥かに超えていて!

私、最初に観たとき日本の「お能」に近いものを感じたんですね。すり足や、指先をぴったりあわせたところ、ゆったりした動きに、こよなく。

バレエが陰影のついた「立体的」で曲線的な絵なら、ニジンスキーのは「平面的」で直覚的、直線的なの!

日本にも<伝説のニジンスキーの踊り>をリアルタイムで観たという幸運に恵まれた羨ましい人がいたのにはビックリ!森茉莉は当時パリで、バレエ・リュスの公演を観ているんですよねぇ。

それにしても、やはり<本物>はいつまでたっても古臭く感じない、見る者を惹き付けてやまない、時代を超越したところがあると、改めて感じたと同時に、
それ故、その余りある才能が狂気ともなり彼を苦しめ精神を病むという悲劇にも繋がっていったのは、皮肉というべきか・・・波乱万丈の「平穏」とか「平和」とは無縁の人生は<大芸術家>故の宿命なのか、最晩年の彼の映像をみた時、不覚にも涙がでてとまりませんでしたわ
2007/05/12(Sat) 11:10 | URL  | マリア #-[ 編集]
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