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2006年02月20日 (月) | Edit |
秋山さと子著「悟りの分析」朝日出版社 より


近代になって一方的に発達した
合理的な思想が行きづまるにつれて、

ただ合理的な考え方だけでは
割り切れない東洋の思想や、
近代以前のものの考え方などが
見直されるようになりました。

どうやらそこには、
ただ合理的な普通の意識だけでは
理解できない心の深層の世界に
隠されている秘密があるようです。

実はこの深層の不思議な世界こそ、
長いあいだ東洋の伝統とされてきた仏教が
説き明かそうとしてきたものなのです。




仏教はそのままでは、漢字ばかりのお経や、
古めかしい倫理観がつきまとっていて、
とてもよりつけそうにありませんが、

もし、現代の深層心理学の面から
仏教を考えてみることができれば、
あるいはもっと理解しやすいかもしれません。

そこでわたしは、これまで学んだ仏教の教理や、
悟りの体験を、人間の深層心理を解明する
ユング心理学の立場から、もう一度
考え直してみようと思いました。

仏教を学べば学ぶほど、心理学とくに
無意識的な心の動きを研究する精神分析の
考えに近い点もあると思われました。

そこで、それが実際どんなふうに
人間の心理とかかわっているのか
ということから考えてみたいと思います。


仏教はもともと人間の心の迷いである煩悩(ぼんのう)を
よく分析して考え、その正体をよく知り、自分でそれを処理して
迷いの世界からの脱出を図るという宗教です。

仏教でいう煩悩とはなにかというと、

人間はいろいろなものを見たり、
聞いたり、味わったりしながら
毎日の生活を送っているわけですが、

そういう現実の対象の知覚によって
自分にとり入れたものから、
いろいろと想像をたくましくして、

その自分の想像にとらわれてしまって
自由がきかなくなった状態のことを
いうのです。


ここで大事なことは、
仏教のこういう考え方の背景には、
われわれが現実にあると考えているものは

実は想像がつくりだしたもので、
実在ではないという考えが
含まれていることです。

目で形を見ることだけであれば、
直接的な知覚のはたらきで、
その形はたしかに見えるわけです。

しかし、そのほかにも人間は
耳で聞いたり、身体で触ったりして、
その結果を心で総合し、

そこにあるものを心の中にしっかりと
思い描くわけです。

そのときに直接的な知覚のほかに、
自分の心の中の想像が入ります。

そこで普通、五感(眼・耳・鼻・舌・身)
による知覚のほかに、六番目の意(心のはたらき)
がこの分析に入っていて、

人間はそれによって法(もの)という
観念をつくりだすのだというのです。

だからそこにあると思っているものは、
心がつくりだした観念で、
実在ではないと考えるわけです。


さて煩悩というと、
われわれはすぐに性欲的な
衝動のことを思い浮かべますが、

フロイトの考えていた
根元的な心の中から湧きあがる
エネルギーであるリビドーも、
まさに性欲的な性格を持つものでした。


次回につづく



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2006/02/21(Tue) 13:16 |   |  #[ 編集]
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