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2007年05月03日 (木) | Edit |
和尚OSHO講話 「MOJUDモジュッド」説明できない生を生きた人 
和尚エンタープライズジャパンより (23)


「ほんとうのところは自分でもわからない」

が、彼は嘘はついていない。知らないのだ。
知った上で何かをするとしたら、それは勇気ではない。

知った上で何かをするとしたら、それは信頼ではないーー。
あなたは自分の知識を信頼している。

ここには二種類のサニヤシンがいる。

ひとりは、私が彼に、あるいは彼女に飛び込みなさいと
言ったとき、流れに飛び込んだ者。

もうひとりは、考え込み、熟考し、賛否を考えて、
それからある日、決心する者。
その決断は彼のマインドから出て来る。


その決断は彼自身の過去、彼自身の条件づけからの
ものにすぎない。私はその人にはきびしく働きかけ
なければならない。

彼は自分に与えられた最初の機会を逃しているからだ。
彼は自分のエゴに執着する。最初の機会はそこにあった。

それに、ジャンプさえしていたら、
ものごとは途方もなく単純だっただろう。
こうしたタイプの人びとはここにもいる。
大多数はこのタイプだ。

私のワークは、基本的に、ただジャンプした者たちで、
「なぜ」とは聞かなかった者たちで、
ただ私の目に見入って、私とともに行きたい、

どこでそれが終わるのかは知らなくても、
私とともに行きたいという狂おしい欲望を、
狂おしい憧れを感じた者たちで成り立っている。


「お前は狂っているんだ」と漁師は言った。
「だが、お前を河の向こうにある、葦で葺いた私の小屋に連れて行こう。
お前に何をしてやれるかは、それから決めよう」

漁師はモジュッドが言葉遣いが巧みなことを知って
彼から読み書きを学んだ。

それと交換にモジュッドは食事を与えられ
漁師の仕事を手伝った。

二、三か月すると、ヒドゥルが再び、
今度はモジュッドのベットの足もとに現れて言った。
「さあ、起きて、この漁師のもとを去るがいい。必要なものは与えられる」


いまやものごとが変わり始めている。
モジュッドは信頼している。
そして、内なるガイドさえも敬意を表わしている。

今度は、彼はモジュッドのベッドの足もとに現われた。
これは敬意を表わしている。
今や、モジュッドはもはや普通の人間ではない。

信頼が彼を変えた、彼を変容させた。
彼は勇気ある人間、雄々しく、勇敢だ。
「なぜ」とは少しもたずねずにーー。

彼は愛し方を知っている。
過去の重荷を背負わずに、
どうやって未来を見抜くかを知っている。
内なるガイドは敬意を表わしている。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
ほんとうのところは
自分でもわからない のだとおもいます。
「分かる」と思うことは錯覚なのだと・・・

ですから「ほんとうのところは自分でもわからない」
けど、やっている。

「こうすれば絶対!」と思いたい気持ちはあったけど
「こうすれば絶対!」だったことはありませんでした。

わたしの場合「無私無欲」の人などではなく
「無謀」とか「がむしゃら」といった印象だった
と思う。

最近のわたしは、というと熟するまで待てるように
なったというか、あわてなくなったように思う。




2007/05/03(Thu) 19:58 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
へそまがり
のわたくしは、「心配しなくていい」といわれると
もうそれだけで心配になります。(^。^;)

体験的に安心したままでよかったことはないからです。
どんな状態も長くは続きません。無常だからです。

「心配しなくてもいい」が
「心配してもいい」どちらかに限定すると
かえってそれに囚われて苦しくなるように
思うのです。


2007/05/03(Thu) 19:42 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
無私無欲
おはようございます☆

ー知った上で何かをするとしたら、それは勇気ではない。
知った上で何かをするとしたら、それは信頼ではないー

深いわあ、まさに宗教的!。。そして「その通り!」と(宗教的でもない)私も思う。
 
今までの知識や経験から出した結論「こうすれば絶対!」「今までがそうだったから」的な安易で楽な判断(ある程度の結果や予測がつくような)から出たものではない、理屈や損得勘定や下心を遥かに越えた感情、結果がどうこう以前の、ただただ「そうせずにはいられない」自分自身にもわからない衝き動かされるような感情、それに素直に従ったわけですからね~。

打算や計算抜きの、ましてや何の保障も見返りも期待もせずに、ただひたすらに。
確かに、誰にもできそうで、なかなか、な~かなか出来ることではないですね。

その「無私無欲」の人が「愛し方を知っている」のも至極当然な、自然なことに感じます☆
2007/05/03(Thu) 11:07 | URL  | マリア #-[ 編集]
心配しなくていいと思います
心配なのは最初だけ。わけがわからないのも最初のころだけ。飛び込みさえすれば、そしてその結果をみていくと、自然と信頼が生まれるし、むしろ、流れに身をまかすことのおもしろささえ感じるようになります。無責任ではないのです。最初の決断・・これは「出来る」「出来ない」で人生が がらり と変るとおもわれるからです。自分に執着した生き方は、限度があるけど、この生き方は境目がないので、無限に形を変え、感動します。おもしろいのです。だからといって周囲からみて劇的に生き方が変るのではなく、内部に変化があるのです。やまんばの場合は「平凡」が「真の平凡」に変化していってるように思われます。
2007/05/03(Thu) 08:52 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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