碌々(ろくろく)ブログ

先哲の教え、言葉などを通して  心身の健康、真の幸福  そして人生成功の秘訣を  共に探求していきましょう

我々は時間を作っている

玄侑宗久著「禅的生活」ちくま新書より(19)


ところで先ほどの「焼きそば」瞑想の場面をもう一度
思い浮かべてみていただきたい。

そこに見えている光景は、必ずしも過去にどこかで
体験した場面とは限らないはずである。

たとえば焼きそばそのもののイメージは過去のいくつかの
姿だとしても、そこに居る人の顔は焼き肉パーティーを
したときのメンバーだったり、

またその背後に見えるカーテンの柄はその昔自分が一人で
暮らしていたときの柄だったりする。

つまり瞑想においてはさまざまな時間が
勝手に融合されるということなのだ。


べつな言い方をすれば、過去の無数の時間は、
本来そんなふうに無作為というか無造作に
頭に畳みこまれており、

それを時計やカレンダーにしたがって並べているのが
我々の理性なのである。

理性がじつは時間を合成しているのであって、
瞑想で見たほうがむしろ頭の奥底の中身そのままに
近い、ということもできるだろう。


禅では苦しみや悩みが、
時間によって合成されると考える。

だから時間そのものが渾然として溶けあっている
瞑想状態(三昧)では、苦しみや悩みも
棲みにくいのである。

『圜悟(えんご)禅師語録』巻十八にでてくる
「壺中日月(こちゅうじつげつ)長し」や
『五燈会元』などにある「別に是れ一壺の天」は、

こうした人為的な時間から開放された状態の
禅的表現である。


ベルグソンはその時間論の中で、
時間が流れるさまを映写機に喩えた。

つまり一々の瞬間が映写機で写されると初めて
そこに時間が流れ、物語が発生するというのだ。

仏教の時間論も基本的にはそれに近いが
もう少し厳密である。

つまり部派仏教で生まれてきた
「旋火輪(せんかりん)という考え方によれば、
それぞれの瞬間は火縄の先の火に喩えられる。

そのままではむろん点に過ぎないわけだが、
これが廻されたり動かされたりすることで
時間が線になって流れるというのだ。

映写機は流し方が一定だが火縄を手で廻す場合は
廻す人のクセによって流れ方が違ってくる。
その意味で少し厳密だと申し上げたのである。


道元禅師はその大著『正法眼蔵』の「有時」のなかで、
いやしくも仏道を志したなら、時間が過去から現在、
現在から未来へすんなり流れているなどとは
考えるべきでないとおっしゃっている。

どういうことかというと、
我々は常に瞬間に生きている。

いや、瞬間にしか生きておらず、
しかも無数の瞬間どうしには本来一貫性など
ないのだ。

しかしその無数の瞬間を、瞬時に「排列」したり
「経歴(きょうりゃく)」したりして我々は時間を
作っているというのである。


次回につづく


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2007-04-19 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める |  コメント : 15  |  tb : 0

Comment

肯定は常に否定を伴い

 道元の哲学的思索は,この有時の説において弁証の極致,転換媒介の論理の妙奥に達した観がある.
「 到それ来にあらず.不到これ未来にあらず,有時かくのごとくなり.------ 」
という如き,肯定は常に否定を伴い,而して否定は否定を否定して否定即肯定の自覚に至る,
これ時に於いて永遠を証し,相対に於いて絶対を信ずる信証一如の絶対媒介なる所以を,
ほとんどこれ以上を望む能わざる如き明瞭さを以て道破する.
                

田辺 元 「正法眼蔵の哲学私観」


2007-04-19 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

錬金術者さん、マリアさん

ご遠慮なく長々と憑依してください。^^

錬金術者さんのコメントもかならず読ませていただいて
おりますが、十分にコメントできないことが
時々あることが申し訳ないです。

できる限りより深く理解していこうとおもっています。
どうぞよろしくお願いします。





2007-04-19 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

バタフライ・エフェクト

以前DVDで観たことがあります。

私もまったく期待しないで観たのですが
途中から夢中になったのを覚えています。

私のお気に入りの映画の一つです。


2007-04-19 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

時間は私たちがつくっている

のだと思います。

それぞれの人が作り上げた時間が交錯して
「今」が新たに織り込まれている、
ということなのでしょう。




2007-04-19 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

幼児のときには

この世に生まれてきて本当によかったねと、
カルマを祝福するような教育が望まれるというじゃ。
とにかく幼児には、自らのやりたいようにさせておくのがよいというじゃ

上記錬金術者さんのコメントに賛成であります。
子どもは褒めて、認めて、重要感を高めてやることが
大切です。


2007-04-19 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

時あり

天(あま)が下のすべての事には季節があり,
すべてのわざには時がある.
生まるるに時あり,死するに時あり.
殺すに時あり,いやすに時あり.
泣くに時あり,笑うに時あり.
抱くに時あり,抱くことをやめるに時あり.
愛するに時あり,憎むに時あり.
戦うに時あり,和らぐに時あり.
神のなしたまふところは皆その時に適ひて美麗(うるわ)しかり.

旧約聖書 伝道の書より


2007-04-19 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

正法眼蔵の「有時」

 有時ujiー存在と時間

いはゆる有時(うじ)は,時すでにこれ有なり,有はみな時なり.時なるがゆえに時の荘厳光明あり.

 いはゆる山を登り,河を渡りし時に,われありき.われに時あるべし,われすでにあり,時さるべからず.

 しかあれば,松も時なり,竹も時なり.時は飛去するとのみ解会(げえ)すべからず.飛去は時の能とのみは学すべからず.時もし飛去に一任せば間隙ありぬ べし.有時の道を経聞(きょうもん)せざるは,過ぎぬるとのみ学するによりてなり.要をとりていはば,尽界(じんかい)にあらゆる尽有は,つらなりながら時々(じじ)なり.有時なるによりて吾有時(ごゆうじ)なり.

 山も時なり,海も時なり.時にあらざれば山海あるべからず,山海の而今(しきん)に時あらずとすべからず.時もし壊(え)すれば山海も壊す,時もし不壊なれば山海も不壊なり.この道理に明星出現す,如来出現す.これ時なり.

2007-04-19 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

フフフ。。

私もよ(笑)。。。

2007-04-19 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

マリアさまのおっしゃるとおり

 我々は、ろくろくさまのブログに憑依しているといえるじゃね。特に私などは、長々と憑依してすいませんじゃぁ、ろくろくさま。

2007-04-19 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

子供のときの感覚

 大体歯が生え変わる7歳までは、両親からもらった肉体をモデルとして、人生のカルマを果たすための肉体の原型を自らつくりあげるというじゃ。
 このとき、あくまで両親からもらった肉体は、いわば彫刻のモデルというべき存在なので、前世のときの事故死等で、前世の感覚が鮮明に残っている魂の場合、自らの魂の個性が出るために、あまり両親に似ないものとなるというじゃ。
 霊能者が説く、前世の執着とは、前世でのとくに、事故における生命的な危機に遭遇した記憶が、受肉のときに呼び起こされることをいっているのじゃろう(このような前世記憶の鮮明化は、前世が予定の寿命よりも不幸にも短くなった場合が多いというじゃ)。
 つまり、両親の遺伝的肉体に、自らの魂の個性のプラスアルファが加わり、恐らく、その感覚が、両親からもらった肉体を、ぬいぐるみのように感じさせると思われるじゃ。
 両親から遺伝された肉体を次第に模倣するうちに、その感覚は徐々に薄められるので、後には、消えてしまうじゃね。
 恐らく、両親の遺伝的肉体に馴れるために、魂が、個性的な部分を抑制し制御しようと過度に硬直することから、あまりに自己を圧迫しすぎて、かえって憑依体質を生んでしまうと考えられるじゃね。精神が緊張しやすいのと、憑依体質は似ているように思えるじゃ。
 それと、幼児期に、「何々してはいけません」とよく親から怒られて、躾られると、硬直し、憑依しやすくなる場合もあるというじゃね。これは特にチャイルドアビーズ(幼児虐待)なんかで深刻な問題、憑依体質(多重人格者)を生んでいるケースがみられるじゃ。
 だから、幼児のときには、この世に生まれてきて本当によかったねと、カルマを祝福するような教育が望まれるというじゃ。とにかく幼児には、自らのやりたいようにさせておくのがよいというじゃ。
 現代社会、特に都市社会は、幼児に悪影響を生じさせる環境に満ちているといえるじゃね。

2007-04-19 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

ひょっとして

私達、ろくろくさんのプログに憑依しているんじゃない?(笑)

2007-04-19 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

錬金術者さん

送信したらお二方のコメントが先にあって。。。

私、小学校に上がるまで「着ぐるみにはいっているような感覚があった」と書いたことがありましたでしょう?相当以前のことなので、覚えてらっしゃらないかもしれませんが。

で、前田日明さんて格闘家が、私と同じことをTVで話していて、それに対して江原さんが「魂と体が馴染んでいないという感覚があるのは、前世に執着(拘り)があって、新しい人生に対する抵抗(拒否)があるから・・・」というようなニュアンスのことを仰っていたんですね。そして、前田さん自身も憑依体質であると。(ただ、皆、誰でも強弱はあるものの憑依体質だということでしたけれど)

ただ、私の場合はその「感覚」は小学校に上がると同時に消えたのに対し、前田さんは今でも、その「感覚」があるそうですわ。

2007-04-19 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

映画のお話です☆

おはようございます☆

私、最近ますます時間の観念が無くなってきましたわ。。

>・・・無数の瞬間どうしには本来一貫性などない・・
>その無数の瞬間を、瞬時に「?列」したり「経歴」したりして我々は時間を作っている・・・

そう、映画の「編集」みたいな感じで、過去のことは「順不同」なの。

*「?列」の中の字が分りませんでしたわ。今、手元にルーペがなくて(汗)

話は変わりますが、昨日、スカパーで『バタフライ・エフェクト』を観ました

「小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏側で台風をおこすこともあるーカオス理論」何とも意味深なメッセージから始まるこの映画のことは、知ってはいたけれどイマイチ興味が湧かなくって、たまたま放映しているのを別に期待もせず見ていたのですが・・・

ところがどっこい!予想に反して引きこまれるように魅入ってしまって。いや〜面白かった♪

主人公は特殊能力の持ち主で、自分の日記を読んでいると、その時その瞬間その当時の自分に戻れることを知り、幼馴染(初恋?)の女の子が自分のせいで自殺したことで、「彼女を救いたい!」その一心で、昔に戻って運命を変えようとするのだけれど。。。

観終わって余韻に浸りつつも思ったのが、テーマでもあるんでしょうけど、「運命」と「愛」と「縁」と人間の「自由意志(選択肢)」の問題。

どんなに愛する相手であっても相手を助けようとしても、神ならぬ人間にはおのずと、限度、限界があり、コントロールしようとしても、どこかに無理が応じて、そのつけは違う形で、のっぴきならない状況で現れてしまう以上、最後の主人公の選択は、あれがベストのように思えました。悲しいけれど、愛する人たちの人生をめちゃくちゃにしないためには、あれが最良であると。。

ラストについては、ハッピーエンドとアンハッピーエンドに、受け止め方が分かれるところで、実際、私が見た映画レビューでも両方の意見がありましたね。

それとオアシス(私、オアシスってマッチョで嫌いなんだけれど)の曲も、ラストにぴったりマッチしていて切なさを一層盛り上げて?いたし、機会があったら是非、ご覧になって下さいましな☆

ろくろくさん御免なさい!記事とずれてしまって(笑)












2007-04-19 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

点と線・映写機

やまんばの頭に衝撃が走りました。時間は私たちがつくっているのですか。
我々は常に瞬間に生きている。いや瞬間しか生きていない。無数の時間どうしに一貫性などない・・・?。
今日のブログの内容は、やまんばは頭の中身をリセットして新たに組み替えねばならないようです。
あせらないで、ゆっくりとやらねばなりません。

2007-04-19 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]

我々は皆一種のタイムマシン

 時間とは、成長や進化の多様性から生じるというじゃ。早熟の人もいれば、晩成の人もいる。その成長、進化度合いの差が時間を生み出すというじゃ。
 人間は、誕生する前に、自らの人生を予めみるという。予め、人生の課題と克服に対する成長度合いを、前世のカルマからみるという、そのとき、自分の人生にあまりに尻込みすると、うまく受肉できずに、精神障害児のようになるというじゃ。
 つまり、予め、自分がなるべき未来をみせられるじゃ。未来から自分の方へと課題を通して、時間がやってくるじゃ。命(時間)が宿るから宿命じゃね。前世の生き方がよくよく吟味され、カルマとして紡ぎ出される。
 そして、受肉の際に、これまでの何回もの前世において、開発してきた魂の能力を、人生に運びこむという。過去から自分の方へと時間が命を運ぶから、運命じゃね。
 すると、未来の自分と、過去の自分が、今生において肉体のなかで出会うので、現在という瞬間に命が立つから、立命というじゃ。
 本来、6次元存在の人間が、3次元空間でおち合うわけじゃ。未来に向かう時間の方向を右、過去に向かう時間の方向を左とすれば、左右対称性、つまり鏡像対称性を通して、3次元空間のなかで、時間を含めた4次元時空を認識できるというじゃ。
 カルマは、非対称性から対称性を生み出すものじゃ。完全対称性になれば、過去も未来も現在において、同等になるじゃね。
 これがアルファであり、オメガである、光の源泉の秘密の働きというじゃね。 

2007-04-19 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

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