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2007年04月17日 (火) | Edit |
玄侑宗久著「禅的生活」ちくま新書より(17)


悟りの世界を「うすらぼんやり」などと表現したら、
お怒りになる方も大勢いらっしゃることと思う。

ただこれは、解りやすく極端に申しあげていることを
ご理解願いたい。

詮ずれば、これまで申しあげてきたのは、
本来清浄な心を認めた上で、
それを見えなくしてしまうさまざまな迷いのことだ。


練り上げられた感情がなにより迷いであり、
言葉や文字がさらにそれを確固たるものにしてしまい、
同時に迷いはその器としての身体症状を求める、
ということだった。

だから禅は、その言語表現をバカにし、
さらにはその身体状況を奪うのである。

迷いや苦しみが棲みにくい身体状況を「うすらぼんやり」
と表現してみたにすぎない。

ただ初心者の入り口として「うすらぼんやり」が有効だと
いうだけで、立派な禅の老師が物事を「うすらぼんやり」
見ていると思うのはやはり不穏当だろう。

もっと「はっきりすっきり、しかも大局的に」とでも
言い直しておかなければいけないと思う。

大局的に見るために、あらゆる「考え」とそれに見合った
身体症状を排除し、身心をニュートラルに戻そうというのが
禅なのだ。

もう一度別な例で確認しておこう。

たとえば今、眼を閉じて焼きそばを思い浮かべてみていただきたい。
どんな焼きそばでもいいが、はっきり脳裏に浮かぶ焼きそばの姿を、
もう一度確認していただきたい。

人によってさまざまだと思うのだが、多くの人は焼きそばの載った
皿や鉄板を上から見たように思い浮かべたのではないだろうか?

そして一部の人だけが、その焼きそばの置いてある部屋の様子、
テーブルの大きさやテーブルクロスの柄、場合によっては部屋の
内部装飾や何人かの人の顔まで想像したかもしれない。

上から見たように思い浮かべた人は、
じつは焼きそばのことを「考えた」のである。やがてその中に
入れる具のことなどを考え出すかもしれない。

一方の焼きそばのある風景全体を思い浮かべた人は、
イメージの世界に遊んだのであり、
別な言葉でいえば「瞑想」したということになる。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
ミーゴレン
以前バリ島に行ったときに
朝から食べていたのがインドネシア風焼きそばの
ミーゴレンでした。
http://cookpad.com/mykitchen/recipe/281638/

ほかに食べる物が見当たらなかった(^。^;)
ということもありますが、これは甘くてなかなか
美味しかったです。



2007/04/17(Tue) 22:42 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
むかしむかし
曹洞宗のお坊さんをトランス状態に・・・

誘導したのはいいが、
数時間にわたって覚醒させることができずに、
肝を冷やしたことがありました。

相当に修行をされた方でもありましたし
心配はしていませんでしたが

これが素人の方でしたら双方とも
パニックになっていたかもしれません。

ほとんどの人は自分がどのくらい
被暗示性(感受性)が高いかわかりません。
ですから注意が必要です。




2007/04/17(Tue) 22:30 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
コリオリの力
は高校地学の最難関と言えるでしょう。どうにも難しい。・・・

http://georoom.hp.infoseek.co.jp/7old/2atmos/2Coriolis.htm

私も、上のコリオリの力の説明を半ばまで読んで
理解することを断念しました。^^
みなさん是非チャレンジしてみてください。

私の歩き方がつい最近までしらふでも、
フラフラしていたのはコリオリの力を受けていたんだ
ということはわかった(^。^;)だす。




2007/04/17(Tue) 22:18 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
焼きそばの思い出
やまんばは小さいときのことを思い出しました^^。
町の大きな河のふもとにしがみつくようにたっている簡単な小屋にそのおいしい焼きそばを食べさせてくれる店がありました。やまんばは姉に手をひかれてそこに入ったのですが大きな鉄板に湯気が立ちジャージャー音をたてて、威勢のいいおじさんが一度にたくさんの焼きそばをつくってくれるのです。その手際の良さにやまんばは目をみはり、釘付けになったのです。それにその焼きそばのおいしかったこと。まるで店全体がお客も含め、リズムで踊ってるようでした。
2007/04/17(Tue) 19:55 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
魂は完全球体を目指している
 人間は、3次元の世界を、鏡像関係、つまり左右対称性を用いて、時間的に把握しているというじゃ。人間は、大まかに見ると、左右対称性だが、厳密にいえば、左右非対称性じゃ。ここに人間の秘密があるというじゃ。
 人間は、3次元世界に生きる中では、左右どちらかに偏っているじゃ。右利き、左利きがあるじゃ。思想も同じく左翼、右翼とあるじゃ。非対称は、現実として存在するじゃ。
 また、人間は、本来、現在だけでなく、過去と未来の存在じゃ。過去と、未来の非対称性から、現在、偏った存在として断片的に浮かび上がっているじゃね。
 過去と未来が成長に対して、完全に対称的であったなら、現在はなく、生まれてこず、生も死もないじゃね。過去と未来を照らし合わせ、偏った部分が、自分となり、生まれてくるじゃね。この未来と過去を照らし合わせ、その過去と未来の天秤が釣り合うように、偏った分の分銅をのせることがカルマの働きといえるじゃ。
 だから、人間は、非対称性から、対称性をみつける存在だといえるじゃ。人間のなかには、このような天秤があるじゃ。
 もし、誰かに嫌な思いをさせたら、この天秤は、大きく一方に傾くというじゃ。そして、将来、その天秤が、再び釣り合うように、自らがその嫌な思いを経験するようなカルマを紡ぐというじゃ。
 そのようにして、魂は、最初、宇宙から与えられた原始の完全球体を再び取り戻すというじゃ。人生は、この天秤に釣り合うように、体験カリュキュラムとして一人一人予定されているというじゃ。
 だから、本来人生をそのまま自主的に生きれば、天秤が釣り合うようになっておるそうな。なかには、他者に害悪ばかり与え、完全球体どころか、虫食い状態の、偏った歪な堕落した魂になるものもあるというじゃ。このような魂は、死んだ後、まるで動物の魂のようになるので、動物に生まれ変わると昔ではよくいわれたというじゃ。
 しかし、カルマにおいては、人間は、決して、動物には輪廻転生しないじゃ。それは、現世において、動物と人間が明らかに異なった形態をもつことからもわかるじゃ。また、長々と書いてすまんじゃ。
2007/04/17(Tue) 17:07 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
現代人は覚醒意識が基本
 ろくろくさまの仰るとおり瞑想は、正しい指導者がいないと、危険であるじゃ。霊現象は、物質にならない精妙な波動領域のものなので、少なくとも、粗い物質領域を、覚醒意識として体得していないと邪道に走り易いというじゃ。
 夢遊病者や霊媒が、辺りをうろついたり、身体をくねらせたりするのは、覚醒意識の外界情報を得ようとする葛藤といえるじゃ。幽体離脱した状態では、外界情報は得ることができないのに、それを求めようとするから、動き回ってしまうじゃ。
 このうろつき現象は、酔っ払ったときの目が回るのと似ているじゃ。酔っ払いの場合は、自我が統御し損ない、覚醒意識が保たれず、足が地にしっかりついていないので、地球の自転つまり、コリオリの力を自然と受けて千鳥足になるというじゃね。
 ここから、修行者は、禁酒という戒律を守る必要の所以となるじゃ。酒飲んで瞑想すると、非常に危険ぞな。つまり、酒とは、憑依を生じやすくさせるもんじゃね。だからスピリットと呼ばれたのだろう。
 ろくろくさまの仰るとおり、赤ちゃんは、いわばトランス状態にあるといえるじゃ。しかし、赤ちゃんの場合は、エーテル体(気)が、未完成で、肉体に収まりきってないので、夢遊病や霊媒のようにはならんじゃね。いわば、秘儀参入者といえるじゃ。だから、真の霊能者が赤ちゃんをみると、天使のように頭の上に光る環がみえるというじゃね。
 赤ちゃんは、確かに覚醒意識をもってはいないが、前世の経験から、覚醒意識を想定して、カルマとしてつくり出しているというじゃ。だから、赤ちゃんのときに、自分の人生を既に、前もって計画という形で、みているというじゃね。
 ここらへんの話は、カルマの研究として、いま独学中ですので、はっきりしたことはいえんじゃがね…。
2007/04/17(Tue) 11:01 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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