碌々(ろくろく)ブログ

先哲の教え、言葉などを通して  心身の健康、真の幸福  そして人生成功の秘訣を  共に探求していきましょう

「廓然無聖(かくねんむしょう)」

玄侑宗久著「禅的生活」ちくま新書より(15)


あらゆる感情が自信をなくして消滅したあとの
何も映ってない鏡のような心の在り方を、
達磨さんは「廓然無聖」(かくねんむしょう)と表現した。

それは粱の武帝に「如何なるか是れ聖諦第一義」と
訊かれたときの答え。つまり最も大切な聖なる真理は
なんですか、と訊かれ、

達磨さんは「ひろびろ〜として、そこには聖も俗もなにも
ありゃしませんよ〜」と答えたわけだ。

価値判断をするはずの左脳が休んでいるのだから
当然のことだろう。


ちなみにギリシャの懐疑派の哲学者とされるピュロンは、
平静な心を獲得するためには「エポケー」が大事だと
主張したが、これはウパニシャッド伝来の「判断停止」
と同様の考え方である。

ピュロンはエポケーによって得られる平静な心を
「アタラクシア」と表現したが、これも「廓然無聖」に
近く、これこそ人生最高の目標だとピュロンは述べている。


うすらぼんやり見る練習

うすら寒いとかうすらバカなどというが、
「うすら」というのはあまり積極的に
認められている言葉ではなさそうである。

しかしこの「うすら」が俄然脚光を浴びてくるのが
禅なのである。

見るともなく見る、と申し上げたが、それは「うすらぼんやり」と
言い直すこともできるだろう。べつにわざわざ言い直すことでもないが、
脚光を浴びさせないことには前言が無駄になるから
この際お許しいただきたい。

ところで「うすらぼんやり」見ることで何がどうなるのか、
話しておかなければならない。理由も解らずただ「うすらぼんやり」
しているだけでは「うすらバカ」変わらないからである。

まず試しに、目の前に人差し指をたてた手を置いていただきたい。
距離は三十センチくらいだろうか、手の長さに自然に任せればいい。

その上で、普通にその指を見てください、といえばおそらく指に
焦点を合わせるだろうから、当然指は一本に見えるはずである。

それでは次に、その指を含んだ景色ぜんたいを「うすらぼんやり」
眺めていただきたい。しばらく「うすらぼんやり」していると、
指が二本に見えてこないだろうか。

これはもともと左右の眼に見えている二つの像が、
「うすらぼんやり」することで統合されずに見えている状態
であるから、べつに驚くほどのことではない。

しかもその指の像は、よく見ると向こう側の物を透かして
半透明になっていると気づくだろう。

また試しにその状態を保ったまま、腹を立てよう、
あるいは不安を感じようとしてみてほしい。


次回につづく


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2007-04-15 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める |  コメント : 5  |  tb : 0

Comment

ステレオ写真

あら〜人差し指の実験
私はすぐできたけど・・・

こういうのは昔から大好きでよくやりました。
ステレオ写真ご存知ですよね。
この立体写真の見方を訓練するとすぐできるようになります。^^なるはずです(^。^;)

●ステレオ写真館kobatetu http://www8.plala.or.jp/kobatetu/


わたしはステレオカメラも持っていて
むかしはよく風景などを楽しんでました。


2007-04-15 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

中村不析の「廓然無聖」

http://www.momat.go.jp/Crossing/SAKUHIN/TO086.html

中村不析(なかむら ふせつ)
1866-1943
《廓然無聖(かくねんむしょう)》
1914年/油彩・キャンバス/193.5×142.5cm
東京国立近代美術館蔵

不析は、東洋的な禅の精神を、最も西洋的な
油絵という媒体によって表そうとした。

その努力は買わねばなるまい。



2007-04-15 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

私、瞑想できないのよね。いつの間にか寝ちゃって。。。

2007-04-15 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

うすらぼんやり

おはようございます☆

人差し指の実験、早速やってみましたが、2・3分じゃ、やはり無理でした(汗)・・・
今度、時間のある時にでも、ゆっくりトライしてみますね☆

同じ目的で、ろうそくの炎や水晶玉、鏡や透明感のあるものなんかを使う方法もありますね。

時間をかけて、意識や焦点がぼやけて定まらなくなるまで見続けるのがコツですよね!意識が変容し、通常では意識できない、潜在意識にあるものが浮かび上がってくるのは、実に面白そうで試してみる価値は充分ありますし、「見続ける」ことをクリアできれば(我慢できれば)誰でも見えるらしいですし♪

2007-04-15 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

沈黙の練習

この前の続きなのですが、沈黙してなおも忙しく動きまわる思考をどうすればだまらすことができるのか?
その次に行ったことは、感覚を意識することでした。
「音」を聞く。
「におい」を嗅ぐ
「体の感覚」を意識する。頭のてっぺんから、かく器
            官に順次にうつって感覚を
            意識する
「呼吸」を意識する。  鼻の下の呼吸の出入りの時
            の感覚を意識する
などという訓練をしました。その時の注意は、感覚から、思考や判断に移ってはならないということでした。最初はその回路になれていないので、まごつきましたが、次第にできるようになりました。たぶん、
それが完全にできたら、思考のない世界になるのだと思います。思考にはかなりエネルギーを使っているのだと、気がつきました。これらの訓練をした後は気持ちよくなったからです。若い時の一度だけの参加でしたが、とてもおもしろい実験でいまでも鮮明に覚えています。。
絵をかいたり、なにかに夢中になるのも、この思考がストップすることだと、思います。集中出来ると、すごく気持ちよいので、雑事に追われていると、あの感覚に入りたくなり、絵を描きたくなるのです。
     

2007-04-15 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]

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