「身心脱落」「脱落身心」
玄侑宗久著「禅的生活」ちくま新書より(5)
江戸時代の盤珪禅師は庶民への布教に尽瘁(じんすい)
した方だが、よくおっしゃったのは「嫁・姑」の
不仲のことだ。嫁がなにをした。姑がなにをした。
今なにかをしたから憎いんじゃなくて、
これまでの記憶が憎いんじゃろ。
あんたがあんたのなかの記憶を憎んでいるだけ
じゃないか、と繰り返しおっしゃったのである。
……
本来の一物もない心は、よく鏡に喩えられる。
かがみのまえに現れた物が鏡に映るのは当然だから、
喜怒哀楽は自然な感情だと云えるだろう。
しかし人間は鏡の前から物が消えても、
その姿が好ましければ永く残像を残しておきたいと思い、
また憎けりゃ憎いでいなくなってからも記憶を反芻して
まで嫌がる。
だから鏡が曇ってしまい、
ありのままには映らないというのである。
禅が目指すのは「明鏡止水」の澄んだ
鏡面のような「心」である。
…禅は本来の「心」が清らかであることを信じている。
「仏心」とか「仏性」「法性」とも云われる。
「本来の面目」「本地の風光」「真如」「主人公」
「無位の真人」なども同様の意味を表現しており、
単に「無心」とも云う。
いずれもさまざまな理由で曇っていた本来の自由で
清らかな心が剥きだしになった状態の呼び名である。
本来の心を覆っていた残像やさまざまな思いの束縛
が抜け落ちることを、道元禅師は師匠の天童如浄から
「身心脱落」と表現され、その言葉をきっかけに
悟ったと伝えられる。
心だけでなく、体にも我々を束縛する残像は潜んでおり、
それを座禅瞑想によって意識化しておとなしくさせ、
澄んだ鏡面のような心に到達しようというのが禅なのである。
釈迦はその末期に、「自らを拠り所とせよ。それ以外を
拠り所としてはならない」とおっしゃったが、
むろんそこでいう「自己」とは、「身心脱落」した自己であり、
「自性清浄心」や「本来の面目」に到達した自己に違いない。
そうした曇りの晴れた身心を道元禅師は「脱落身心」と反転
させておっしゃった。曇りが晴れても体はあるし心もある。
しょせん我々は、この身と心を使って生きていくしかない
のだから、その身心に質的な大転換を迫るのが禅なのである。
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江戸時代の盤珪禅師は庶民への布教に尽瘁(じんすい)
した方だが、よくおっしゃったのは「嫁・姑」の
不仲のことだ。嫁がなにをした。姑がなにをした。
今なにかをしたから憎いんじゃなくて、
これまでの記憶が憎いんじゃろ。
あんたがあんたのなかの記憶を憎んでいるだけ
じゃないか、と繰り返しおっしゃったのである。
……
本来の一物もない心は、よく鏡に喩えられる。
かがみのまえに現れた物が鏡に映るのは当然だから、
喜怒哀楽は自然な感情だと云えるだろう。
しかし人間は鏡の前から物が消えても、
その姿が好ましければ永く残像を残しておきたいと思い、
また憎けりゃ憎いでいなくなってからも記憶を反芻して
まで嫌がる。
だから鏡が曇ってしまい、
ありのままには映らないというのである。
禅が目指すのは「明鏡止水」の澄んだ
鏡面のような「心」である。
…禅は本来の「心」が清らかであることを信じている。
「仏心」とか「仏性」「法性」とも云われる。
「本来の面目」「本地の風光」「真如」「主人公」
「無位の真人」なども同様の意味を表現しており、
単に「無心」とも云う。
いずれもさまざまな理由で曇っていた本来の自由で
清らかな心が剥きだしになった状態の呼び名である。
本来の心を覆っていた残像やさまざまな思いの束縛
が抜け落ちることを、道元禅師は師匠の天童如浄から
「身心脱落」と表現され、その言葉をきっかけに
悟ったと伝えられる。
心だけでなく、体にも我々を束縛する残像は潜んでおり、
それを座禅瞑想によって意識化しておとなしくさせ、
澄んだ鏡面のような心に到達しようというのが禅なのである。
釈迦はその末期に、「自らを拠り所とせよ。それ以外を
拠り所としてはならない」とおっしゃったが、
むろんそこでいう「自己」とは、「身心脱落」した自己であり、
「自性清浄心」や「本来の面目」に到達した自己に違いない。
そうした曇りの晴れた身心を道元禅師は「脱落身心」と反転
させておっしゃった。曇りが晴れても体はあるし心もある。
しょせん我々は、この身と心を使って生きていくしかない
のだから、その身心に質的な大転換を迫るのが禅なのである。
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2007-03-18 | 仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 | コメント : 2 | tb : 0
Comment
嫁・姑問題
2007-03-18 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
おはようございます☆
「嫁・姑」問題って永遠のテーマですよね(笑)
最近、全然見ていないけれど、かつて、みのもんたさんの「おもいっきりテレビ」の中のコーナー(1時25分前後に始まる)「おもいっきり生電話」に、その時間になると、チャンネル合わせていましたw
「嫁・姑」当人より、板ばさみになる「旦那・舅」のほうが大変そうで同情しましたわあ〜
「針のむしろ状態ね・・・」って。。。
へたに、どちらかの肩をもったり、うっかりしたこと言おうものなら「火に油」になりかねない、一触即発状態。周りこそいい迷惑で、戦々恐々としているんじゃないかしら・・・とか「私ならこうするけど」と、我が身に重ねて考えてみたりと、いろいろ思いながら視聴していましたっけ。
懐かしい〜(笑)久しぶりにみてみたくなりましたわ(笑)
ろくろくさんも「嫁・姑問題」で板ばさみになったことあります?
「嫁・姑」問題って永遠のテーマですよね(笑)
最近、全然見ていないけれど、かつて、みのもんたさんの「おもいっきりテレビ」の中のコーナー(1時25分前後に始まる)「おもいっきり生電話」に、その時間になると、チャンネル合わせていましたw
「嫁・姑」当人より、板ばさみになる「旦那・舅」のほうが大変そうで同情しましたわあ〜
「針のむしろ状態ね・・・」って。。。
へたに、どちらかの肩をもったり、うっかりしたこと言おうものなら「火に油」になりかねない、一触即発状態。周りこそいい迷惑で、戦々恐々としているんじゃないかしら・・・とか「私ならこうするけど」と、我が身に重ねて考えてみたりと、いろいろ思いながら視聴していましたっけ。
懐かしい〜(笑)久しぶりにみてみたくなりましたわ(笑)
ろくろくさんも「嫁・姑問題」で板ばさみになったことあります?
2007-03-18 | マリア #- | URL|[ 編集 ]
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我が家もご多分にもれずいろいろありましたです。
いまは、お互いの接触時間を最小限にすることで
小康状態になっています。(^.^ ;
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