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2007年03月14日 (水) | Edit |
和尚OSHO講話 「MOJUDモジュッド」説明できない生を生きた人 
和尚エンタープライズジャパンより (10)


では、信じることとはなんだろう?
信じることは愛の副産物だ。

愛し方を知っている者にしか、
どうやって信じればよいのかはわからない。
愛はハートから湧き起こる。信仰もそうだ。

疑いは頭のなかで生じる。恐怖もそうだ。
頭のなかで生きる人物は臆病者でありつづける。
実際には、臆病だからこそ頭のなかに住んでいる。

ハートに向かって動くのを恐れている。
ハートが自分をどこに連れて行くのかは
誰にもわからないからだ。


ハートはひとりの冒険者だ。神秘の探検家、
隠されているものすべての発見者だ。
ハートはいつも巡礼の旅に出ている。

それはけっして満足しない。
それにはもっとも内奥の不満、
スピリチュアルな不満がある。

けっしてどこにも落ち着かない。
動きを、原動力をとても愛している。

ハートは、そこから先はゴールのない究極に
自分が行き着いて初めて満足する。
世俗的なものでは満足できない。

ハートはけっして型にはまらない、
ハートはつねに革命のさなかにある。
ひとつの境地から別の境地へとつねに飛翔している。

つねに手探りしている、
つねに危険を冒している。

持っているものはなんでも未知のために賭ける用意が
つねにある。ほんとうのところを知りたいというのが
ハートの欲望だ。それが〈神〉とはなにかのすべてだ。

ハートは冒険を待ち焦がれている、
危険を待ち焦がれている、
未踏のもの、未知のもの、
安全ではないものを待ち焦がれている。

大海のよう(オーシャニック)な体験を渇望している。
溶けたいと望んでいる。
全体へと消えていくことを望んでいるのだ。

頭は恐れている、
死ぬことを恐れている、
消えることを恐れている。

……
信頼すると、あなたの無意識が多くのものごとを明かし始める。
それが自らを現わすのは、信頼するマインド、信頼する実存、
信頼する意識に対してのみだ。

宗教はこの信頼の芳香だ。
非の打ちどころがなく、絶対だ。

無神論は弱さから、無力から生じる行為だ。
それは退廃的だ。社会が無神論になるのは、
その社会が死にかけていて、活力と若さを失ったときだけだ。

若く、生き生きとして、活気に満ちていると、
その社会は未知を強く求め、危険なことに憧れる。

危険を冒して生きようとする。
生きる道はそれしかないからだ。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
マリアさん、それだけはちがいます。
ただ、心で感じたことを、素直に行動に移すだけです。
2007/03/15(Thu) 06:07 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
マリアさん
今回はマリアさんは、そんなには関係ないかも
しれませんね~。あまり気になさらずに、
コメントできるときは、どうぞ~

やまんばさんは、そっとしてあげていてください。


2007/03/14(Wed) 21:39 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
やまんばさん
は、ちょっと調子が落ちているかもしれませんね^^

あまり気にせず、コメントできるときは、
いつでもどうぞ~~


2007/03/14(Wed) 21:34 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
恐怖
私たちは、財産や人や信念に依存しております。

恐怖は私たちが依存し、執着してやまないものが、
なくなるかもしれないと想像することから生じる
のではないでしょうか?

信念には宗教や信仰も含まれるでしょう。


2007/03/14(Wed) 21:31 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
また?
何か、私、帰ってこなかったほうが良かったみたいね。。。
2007/03/14(Wed) 10:47 | URL  | マリア #-[ 編集]
おはようございます☆

>けっしてどこにも落ち着かない、動きを原動力を、とても愛している
>ハートは決して型にはまらない、つねに革命の最中にある
>ひとつの境地から別の境地へとつねに飛翔している

>つねに手探りしている
>つねに危険を冒している

私のことかと思いました(笑)身につまされますわぁ

2007/03/14(Wed) 10:43 | URL  | マリア #-[ 編集]
やまんばはどこかおかしいかも。
マリアさんも帰ってきてくださったし、やまんばは少しコメントを控えて、学んでみることにします。そうすることで、見えてくるものがあるかもしれません。
2007/03/14(Wed) 10:14 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
恐怖は無知、無理解からくる
 未知なるものに遭遇すると人間は恐怖を感じるじょ。では、人間が感じる恐怖とは何じゃろか?
 恐怖は、人間の歴史のなかで、過去の戦争によって起こされたものといえるじょ。戦争は、戦いによってもたらされたものじょ。戦いとは、無知、無理解からはじまるじょ。
 思想というのは四次元空間の捉え方だから、魂の経験量からくる、人の感覚により異なり、十人十色で、自由のもんじゃ。だから、経験量が足りない分、無知や無理解を生むといえるじょ。
 天災、人災は、過去の人間の錯誤から生じる恐怖心が、悪魔の支配に利用され、地上での経験量の不足を誘発し、恐怖心を高め、錯誤を煽っているぞな。物質主義に走るのはその反動ぞな。
 見えるものと、見えないものはお互い補完しあって存在し、見えるものだけに囚われていると、見えないものに恐怖心を感じるじゃ。だからして、鏡像の感覚が必要じゃね。見えない鏡の世界を考えることじゃね。あちらの世界にいる自分の鏡像存在を考えるじゃ。我々は、いまも見えない悪と戦っておるじゃ。
2007/03/14(Wed) 09:11 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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