碌々(ろくろく)ブログ

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疑いは恐怖から生じる

和尚OSHO講話 「MOJUDモジュッド」説明できない生を生きた人 
和尚エンタープライズジャパンより (9)

 
初めのうちは、信頼はひとつのフィーリングだ。
その最後の開花においては、実存だ。

いわゆる信仰は頭のなかにとどまる。
それはけっしてあなたのフィーリングにはならない。
そしてあなたの実存にはなれない。

が、なにかがあなたの「実存」にならないかぎり、
それは観念的な夢にすぎない。
それはエネルギーの浪費だ。


だが、信じるには危険を冒すことが必要だ。
このことを知ったらあなたは驚くかもしれないが、
疑いはとても臆病だ。

普通、あなたがたは、勇気のある人は疑い、
臆病な人は信じると聞かされてきたにちがいない。
それもある意味では真実だ。

頭での信仰は臆病だ。
それに、あなたがたは頭での信者たちしか知らない。
だからそれは現実にかなっている。

モスクや教会や寺院に入ってみると、
臆病者でいっぱいなのがわかる。

だがほんとうの信仰は臆病ではない。
ほんとうの信仰は大いなる勇気、雄大だ。

疑いは恐怖から生じる。
それがどうして勇敢になれるだろう?
疑いは恐怖に根づいている。

疑いが生じるのは、自分を防御したい、
自分を守りたい、安全でいたいという憧れがあるからだ。

不安定ななかに入っていく用意ができて初めて、
未踏の領域に入っていく用意ができて初めて、

どんな地図も持たずに自分の舟を未知のなかにすすめる
用意ができて初めて、あなたは信頼することができる。
信頼とは途方もない勇気のことだ。

そして、勇気ある人物しか宗教的にはなれない。
宗教的な人物しか「イエス」とは言えないからだ。

疑いは防御だ。
そして、たとえそれで守られているにしても、
あなたは行き詰まったままだ、動くことはできないーー
動きのひとつひとつが恐怖をもたらすからだ。

動きのひとつひとつが未知へと、
不慣れなものへと入っていく動きだからだ。
疑いは恐怖の副産物だ、それを覚えておくがいい。


次回につづく


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2007-03-13 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める |  コメント : 5  |  tb : 0

Comment

疑いや恐怖の無い人なんて

いないと思います。

「絶対」とか「確実」とか、この世にはありませんし。

基本的に私、人生はギャンブルだと思いますし、丁か半か、時に「待ったなし!」で選択しなければならないことがありますので、それだけに、何の保障もないのに全てを投げ出し、自分の「信じることを信じた」モジェットの決断と勇気のお話には、深いものが感じられたんだと思いますわ。。

結果論で、別に彼が「偉人」になったからではなくて、彼が勇気ある
「大ギャンブラー」(素敵!w)だったから、感銘もひとしおなのかしれません(笑)





2007-03-13 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

やまんばさん

昨日の私のコメント「信じろというのは、
無理かもしれませんね」は、

錬金術者さんのコメント「見えないものを信じろというのは無茶な話」
に対してのコメントのつもりで書いたものでした。

ですから、やまんばさんのコメントととはちょっと
ズレているというか、私の意見が「信じろというの
は、無理かもしれませんね」というのとは違うので
す。

錬金術者さんのコメントに続けて読んで頂けたら少し
はお分かり頂けるかもしれません。


2007-03-13 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

疑いや恐怖

のない人なんているのでしょうか?

私の一日は疑いと恐怖の連続(^.^ ;ですけど。
それと、ほんの一時のくつろぎ。

みなさんはいかがですか?




2007-03-13 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

4次元の世界

 我々は4次元の存在といえるじゃ。なぜなら、3次元の立体を捉えることができるからじゃ。もし、我々が3次元の存在ならば、立体を捉えることはできんじゃ。それはもし2次元の存在なら、1次元しか捉えることができないのと同じじゃ。つまり、2次元、平面に住む人間がいたとしたら、線、つまり1次元しか把握することができんじゃ。
 では、我々4次元人は、どうやって立体を把握しているかというと、鏡像対称性を使って把握しているというじゃ。鏡像とは、鏡の国の左右対称性を用いているじゃ。
 つまり、鏡の国とは、こちらの世界とはアベコベの世界のことじゃ。こちらでの小さな点は、あちらでの巨大な球となるじゃ。そして、こちらとあちらをあわせると無になるというじゃ。
 こちらで死んだら、あちらで生きることになるじゃ。
 だから、あちらの少なくとも4次元を超える神様の存在は、普通の感覚では、こちらからでは捉えることができんじゃね。

2007-03-13 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

信頼とは途方もない勇気のこと


「愛する」「信じる」というのは、口でいうほど簡単ではないですものね。

逆に言うと、すぐ「愛する」だの「信頼」だの、安っぽく口にする人って、私敵には「?・・・」でちょっと信じられないといいますか。。

記事にあるあるように、リスクなくして「愛する」ことも、ましてや「信じる」ことも有り得ない、と私自身、思っていますので。

信仰でも愛でも、『見返り』を期待している人って多いですよね?当然といえば当然で、まっ、別に私が文句?をつける筋合いではないですけれども。。。

>本当の信仰(愛)は大いなる勇気、雄大

だと、私もそう思います。




2007-03-13 | マリア #- | URL|[ 編集 ]

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