2007年03月12日 (月) | Edit |
和尚OSHO講話 「MOJUDモジュッド」説明できない生を生きた人 
和尚エンタープライズジャパンより (8)


ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』のなかに、
このすばらしい一節がでてくるーー。

女王はアリスに、
信じられない世界のなかに立っているアリスに言った。

「あえて言わせてもらいましょう。
あなた、あまり慣れていないようね。
なぜって私、ときには朝ごはんの前ですら、
ありえないことを六つは信じたものよ!」


その通りだ、それがこの物語の秘密だ。
ルイス・キャロルはここでなにか途方もなく貴いものを
分け与えている。

その物語の秘密は、信じることのアート、
信頼することのアート、
存在に「イエス」と言うことのアートだ。

不可能なことを信じることで、
その不可能なことが可能になる。
それはどうやって起こるのだろう?

事実、ものごとが不可能なのは、
信じるだけの勇気があなたにないからにすぎない。
ひとつひとつの思考がそれぞれ物になりうる。

そして、意識のなかで起こるすべてのことが、
外側で現実のものとなりうる。

外側で起こるすべてのことは、
まず内側で起こらなければならない。
種は内側に吸収され、木が外側に表れる。


信じるハートがあなたにあれば、
不可能なことはひとつもないーー
神ですら不可能ではない。


だが信じるハートを持つことが必要だ。
信じるマインドでは役に立たない。
マインドは基本的に信じることができないからだ。

マインドに信仰は無理だ。
マインドは疑うことしかできない。
疑いはマインドにとっては自然だ。

疑いはマインドにもともと備わっている。
頭は疑うことしかできない。

だから、もし信じることを頭に強制し始めたら、
その信仰はあなたの疑いを隠すだけだ。
そこからはなにひとつ起こらない。

が、回教徒やキリスト教徒、ヒンドゥー教徒や
ジャイナ教徒たちはまさにそこに存在している。

彼らの信仰はマインドのものだーーが、
マインドに信仰は無理だ。

マインドは信じることができない。
マインドは疑うことしかできない。

木から葉が生えるように、
マインドからは疑いが生じる。

信仰はハートから育つ。
ハートは疑うことができない。
信じることしかできない。


次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
信仰宣言
わたしは、毎夜、夜毎に「信仰宣言」し、
翌朝には「信仰宣言」を撤回しているようなところが
あります。^^

どちらが本当の自分かと問われれば、
どちらもわたしです。

つまり「ありえないことを六つ信じてしまう」自分と
「ありえないことを六つも信じてしまうことなんて
ありえない」自分とが、共生している。

そんなこと・・・ありえないですよね。
でもあるんです。

これぞ「説明できない生を生きている人」です。(^.^ ;





2007/03/13(Tue) 18:22 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
「感じる」だけじゃ弱いんじゃない。

「信仰宣言」にしては・・・
2007/03/13(Tue) 12:45 | URL  | マリア #-[ 編集]
不思議なこと
やまんばは、未だもって鏡の国に住んでいるのだろうか・・・・
「見えないものを信じろというのは無茶な話」
こういう言葉が出ることのほうが、首をかしげるほど
不思議なことのように思えます。

ろくろくさん、やまんばがえらそうなことを言うといっておこらないでください。
貴方のコメントの
   想像する
   洞察する
   受け入れる
という言葉を
   感じる
という言葉に変換するなら、このコメントは
りっぱな{信仰宣言}となるのではないでしようか?
2007/03/13(Tue) 06:18 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
信じろというのは、無理
かもしれませんね。

しかし、人間の目には見えないものが、
沢山あると言うことを想像することはできますし、
そうした目に見えないものによって
この世も、わたしたちも、支えられている
ということを、洞察することもできる。

信じることではなくても、
それらを受け入れることならできそうです。



2007/03/12(Mon) 18:18 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ありえないことを六つは信じたものよ
と女王はアリスに言った。

ここでは「信じることのアート」が語られている。

ここでは「すべてを疑い、否定することが自由である」
といったクリシュナムルティを登場させることは、
差し控えなければなりません。

しかしながらバグアンの語る「信じることのアート」
の魅惑的なこと・・・危うくはまってしまいそうです。



2007/03/12(Mon) 18:07 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
信じるアート
おはようございます☆

>その物語の秘密は信じることのアート、信頼することのアート、存在に「イエス」ということのアートだ。

このフレーズいいですね♪ここだけ浮き上がって見えました☆
2007/03/12(Mon) 11:06 | URL  | マリア #-[ 編集]
みえないものを信じろというのは無茶な話
 目に見えない神様を信じろというのは、無理な話じょ。目にみえないのは、頭を使うからであるじゃ。だから、頭では神を感じる事はできんじょ。
 頭で感じる物事は、多種多様じょ。どれも是も皆、自由ぞな。思想は自由ぞな。
 だから、思想を信じることはできんぞな。現代の宗教は皆、思考過多じゃ。だから、教団がこの世から全て無くなったときに、真の信仰が芽生えるじゃ。いまの時代には、組織は必要ないじゃ。
 思考でははっきりと神をみることはできんが、心(ハート)でなら、ある程度できるようだじょ。勿論、思考でも、瞑想によって、自分の人生から思想を統一し、イメージを形成してやればみえるというじゃ。しかし、心には及ばないじょ。なぜなら、心は、バランスでなっているからじゃ。心は平等じゃ。
 心は、目に見えないものを感じ取る力を秘めておるじゃ。生命は、心で感じるじゃ。心眼じゃ。イメージ力が、目に見えないものを感じ取ると、霊感力のような直感が働くじゃ。神の姿がみえてくるらしいぞ。
 そして、これが万事に渡ると、予言力となり、神の意図がわかるようになるというじゃ。すると、全ての物事の内面に、神の精神的な意志を感じ取ることができるというじゃ。神通力じゃ。行動は博愛じゃ。
 思考を自由な無にし、感情を平等のもとに浄化し、善の意志の愛を感じること、それは組織をつくらなくとも、いまでは、一人一人のなかで、行えることだというじゃ。
2007/03/12(Mon) 09:09 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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