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2006年02月14日 (火) | Edit |
岸田秀著「ものぐさ精神分析」中公文庫より

自分は「人によく騙されやすい」という
セルフ・イメージをもっている者は、
その理由として、

「自分は人が好過ぎるから」とか、
「人をすぐ信用するので」
ということを挙げたがるけども、

相手に対する彼の期待と、
彼が相手から得る現実の利益との間に
大きな落差があるということだけである。


世の中に人を巧妙に騙す悪い奴がいるとして
そういう悪い奴とめぐり合う確率は、
各人だいたいおなじだろうから、

自分のことを
「とくによく人に騙されやすい者」
と思っている者とは、

人に不当に過大な期待を持ち、
かつ、自分の期待は正当であると
頭から決めてかかる傾向の強い者
であると言って間違いない。

「一生けんめいやるわりには人によく思われぬ人」
というのも、
その主観的要素をぬぐい取ってみれば、

「人に評価される以上に
自分は一生けんめいにやったと思いたがる人」
である。

彼の「一生けんめい」な努力に関する
彼自身の評価が正しいか、
人の評価が正しいかは、
また別問題である。

そもそも、
自分は「人が好い」「人を信じやすい」
「気前がよい」「気が弱い」
「寛大である」「生きるのが下手だ」
といった判断は、

自分は背が高いとか
低いとかの判断とは本質的に違う。

背丈の高低ならば、集団の平均をとって
自分は一般に比べて背が高いか
低いか言うことができる。

しかし、性格の判断に関して
一般基準は存在しない。
というより、当人の欲するいかなる点にも、
一般基準をおくことができる。

周りのほとんどの人から、
あんなけちなしみったれた奴は
いないと思われているのに、

当人は、自分は気前がよすぎて
いつも損ばかりしていると
思っている場合が間々ある。

おそらく彼は、そのけちな傾向を
100%は発揮しておらず、
おおいに抑えているつもりなのだろう。

その「抑えた分」が、
「気前が好過ぎた分」であり、
抑えずに蒙った損失が
「いつも損ばかりしている」
ということなのだろう。

自分は
「気前がよすぎていつも損ばかりしている」
と思っている者は、
自分のことを「気前が好い」と
思いたがっているということである。

しかし、それが、
彼が気前が好いことのなんの
裏づけにもならない。


(ろくろく)よく他人をけちだと言いふらす
人を見かけるが、欲張りな者ほど、
人をけちだと判断する傾向がつよいということ。
「いたたたたたたたたたたた~、けど気持ちいい」



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コメント
この記事へのコメント
はじめまして。面白い記事ですね。楽しく読ませてもらいました。

この二つの主張に対して個人的な感想を言わせてもらうと、両方とも話が極端な方向へ走り過ぎている気がします。「どちらの方が欲張り」というより、同じような欲望を持ちつつも片方は正直でもう片方はそれを行動に移すのを自ら規制している、というだけの話だと思います。

また来ますね(^^)
2006/02/25(Sat) 16:07 | URL  | コウジュン #-[ 編集]
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2006/02/15(Wed) 08:00 |   |  #[ 編集]
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