2007年02月18日 (日) | Edit |
五木寛之著「不安の力」集英社文庫より (38)


ぼくは、いまこの時代に、
不安を抱えていないということは、
それこそ非常に不安なあぶない状態ではないか、
と思うことがあります。

人間は環境とともに生きている。
環境がバランスを失って不安定になっているときには、
人間のこころと体も不安定になる。

その不安定な状態が、
不安につながっているわけです。

極端にいえば、不安定な環境にいて
不安でないということは、
異常な状態であるとさえぼくには思えます。


ですから、いまは人間が不安になることは、
まったく自然なことです。

こころのやさしい人ほど、柔軟な人ほど、
あるいは素直な人ほど、自然に不安を抱えている。
その不安をどうしようもなく持て余している。
そんな時代なのです。

とすれば、不安であるということは、
その人がまだ人間的である、ということでしょう。

逆に、まったく不安を感じずに生きているということは、
その人が非人間的な生き方をしているということです。


振り返ってみると、ぼくにもずいぶんいろいろな心身の
トラブルがありました。腰痛でも悩んできました。
右手が腱鞘炎で全然利かなくなったときもあった。

力を入れて書くため、頭を右に傾けるのが原因で、
頚椎がむち打ち症のような状態になったこともあります。

不整脈があったり、心臓の鼓動が急に早くなったり、
しばらく下血がつづいたり、そうしたこともいろいろ
起こりました。

でも、それをとりあえず受け入れるというような
気持ちでいたので、あまり不安はなかったのです。

目の前で、くも膜下出血で人が倒れる現場に立ちあった
こともあります。昨今は親しい仲間や友だちもずいぶん
亡くなりました。

けれども、そういうことに対しても、いまのぼくは
それほと不安は感じていません。

不安が訪れてきても、
玄関のドアを閉めて不安を追い出そうとか、
何とかこの不安を除こうとかそんなふうには
考えないようにしています。

歓迎はしませんが、
来るものを拒むことはできない。
むしろ、珍しいお客さんが来た、
と受け入れるようにするしかないだろう、と考える。

それというのは、不安はなにかの便りを運んでくる
大事なメッセージだからです。

それは、あなたの心身はもう限界だよ、
これ以上無理な仕事はしないほうがいいよ、
というこころと体からの忠告かもしれません。

そういう忠告をはこんで訪れてくれるのが
〈不安の使者〉だとぼくは思っています。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
たまたまの送信ミス
を、ちゃっかり利用して、すてきなコメントになっています。

いつくるかわからない死に焦点をあてて、
その不安を利用して、エネルギーとして使うのは、
とても効果的な方法だと思います。

私もちょくちょく利用させていただいています。

2007/02/18(Sun) 17:17 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
失敗しました。
まだ、コメントの途中なのに、操作をまちがえたようで、私の意に反して、そっちにいってしまいました。あれまあ、{死}もそんなタイミングでやってくるのでしょうね^^。続きは無し。たまたまの送信ミスが、大切なことを教えてくれました。
2007/02/18(Sun) 11:15 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
私たち、地球人は同じ乗り物に乗ってしまってる。
途中下車は絶対出来ない。(死以外は)乗り物の中でどう過ごすかは自由。やまんばがどんなに一人になり、松の木の上に逃げようとも、所詮乗り物の中でしかない。いつくるかわからない死に焦点をあてて、不安のエネルギーを使うより、とにかく、今ある全ての機能を使って、出来るだけ生きるほうが
2007/02/18(Sun) 11:04 | URL  | やまんばさん #uHvCVaCs[ 編集]
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