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2007年02月08日 (木) | Edit |
A・スマナサーラ著「運命がどんどん好転する」慈悲喜捨の瞑想法 国書刊行会より(41)


この瞑想法はあくまでも個人的な
心の育成法ですから、みんなが同じ文言である
というわけにもいかないとおもいますが、

「私は幸せでありますように」

という文言に対して別に違和感もなく
受け入れられる人は、

この言葉が皆さんいっしょに行う瞑想法の
統一の言葉となっていますから、
それに従えばいいのではないでしょうか。


重要なことはあくまでもその言葉を理屈として
捉えないこと、ただ単にその言葉を念じるたびに、
自分が確実にすがすがしい心に、

清らかな心になっていくのだ、この言葉を念じる
たびに自分がどんどん良く変わっていくのだ、
という信念を持つことです。

良くなっていくのなら理屈などいらないわけですから、
「私の健康状態がよくなりますように」
と念じるたびに自分の健康状態はどんどん良くなって
いるんだと信念を持つことは大切なことです。

心の不思議なところは、清らかな気持ちで、
純粋に念じれば必ずそのとおりに自分が変わっていく
という変身のエネルギーがあるという部分です。

この瞑想はサマタ(止法)瞑想のひとつであり、
心を一つに統一しようという方法なのです。

ですから自分の心のなかが慈悲喜捨のおもいに
溢れるよう、いつでもどこでもそのおもいを
心に念じることが大切なのです。


慈悲喜捨の瞑想法の二番目は、
自分の親しい人々へ瞑想を行います。

自分の親しい人と言っただけではピンとこない人も
多いかもしれませんが、もし自分には心から幸せを
願ってあげられる人間など一人もいないという人が
いたとしたら、

それはもう最悪の人生と言うべきで、
だれでも何人かは真剣にその人の幸せを祈らずに
いられない人間が必ず存在するはずです。

……
そういう人々を、できれば私の母とか、父とか、
私のお兄さん、妹、誰々ちゃんとか何々さんという
ふうに顔などを具体的に思い浮かべ、感謝の心とともに、

「この人は幸せでありますように」
と念じるのです。ふつうは、
「私の親しい人は幸せでありますように」

という文言で念じることにしていますが、
より具体的に念じたいという人がいるのならば、
「私の母は幸せでありますように」

とか、
「私の夫は幸せでありますように」
と念じても一向に差し支えありません。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
この人は幸せでありますように
私の友人(僧侶)は朝晩のお勤めの時、
今までにご縁のあった人の顔を思い出しては
「この人は幸せでありますように」とお祈りを
しているそうです。

私の知人の母親もお寺で生まれ育ったそうですが、
その方も朝晩ののお勤めの時、
「この人は幸せでありますように」とお祈りを
しているそうなんですが、困ったことに

「私はだれそれさんのことを毎日お祈りしているのに
少しも感謝してくれない」とぼやくのだそうです。

知人の母上様はせっかくいいことをやりながら、
かえって不幸になってしまっているのです。(^。^;)






2007/02/08(Thu) 17:53 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
今日から、忙しいです
やまんばの周りには、悩み多き人がたくさんおられるので、もれがないようにリストアップして、一人ずつ、幸せを念じていきましょう。
名前があると、顔が浮かぶからです。
願わくば、その顔が笑ってくださるまで、念じてみることにしましょう^^。

2007/02/08(Thu) 09:41 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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