2007年02月05日 (月) | Edit |
A・スマナサーラ著「運命がどんどん好転する」慈悲喜捨の瞑想法 国書刊行会より(38)


愛情といっても異性間の、
男女の愛はどうなのだという
疑問もあるでしょう。

でもだいたいの場合、
異性間の愛は欲望であって奪う世界、
取る世界、自分のものにする世界なのです。

映画や小説の世界で男女の愛を美しいもの
のように描いては女性から涙をしぼり取り、
高揚とした精神的な感動を与えているようですが、

よく観察してみると男女の愛も、
自分のおもいどおりになってほしいという欲求が
根底にある、自己願望的な関係になっているのです。


それに対して友情は与える世界です。
カルナーで言っている抜苦も自分で与えるもの
であって、喜びも与えるものである。

他人の幸福だから自分も喜ぶ。それでその周りの
人はすごく楽しくなっていくのです。
「ああ、私の幸福に対して嫉妬もされていないのだ」
と気持ちよくなっていくのです。

もしほんとうの愛を言うならば、
愛という感情は与えることしかないはずなのです。

この世の法則というのは、何かを取ろうとすれば
そうはされまいとして相手は逃げていってしまうのです。

泥棒がいると分かれば、
鍵をしっかりと掛けて用心するでしょう。
何か盗られるなと感じれば、
その人から離れていくでしょう。

愛情も同じです。
我々が人間から愛情を盗もうとすれば、
みんなは心に鍵をかけて盗まれまいとするのです。

あの人とつき合うと何か取られてしまうと
その人を敬遠しはじめるのです。

しかし同じ友情と言っても、
自分が淋しいから友人をつくろうということになると、
これはどんなに一所懸命努力しても友だちはできません。

みんな逃げていってしまう。
自分のためだけにやっているだけですから、
そんな自我は相手にもすぐ伝わってしまい、
相手は喜びもしなければ、心を開こうともしません。


いいですか、与えることこそが幸福であって、
貰おう、奪おう、自分のおもい通りにしよう
という感情は不幸なのです。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
与えることこそが幸福
親切の押し売りにならないように、
「やってあげているのに失礼な!」という気持ちに
ならないように、心がけます。

こうしてブログを通して情報を与えることができるのが喜び!

たとえコメント投稿がなくても(^.^ ;
見知らぬ誰かの生きるうえでのヒントになったり、
少しでも支えになれば、よいのです。




2007/02/05(Mon) 17:54 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
与えること
頼まれごとを、やっていくことはなんとかできるのですが、「与える」ことは本当にむつかしいです。
相手を理解していないと、できません。
特に寡黙な人。感情表現をあまりしない人。素直でない人。などなど・・
わずかな変化を読み取り、やまんばなりに解釈していくのですが、むつかしいです^^。
 
「与える」ことで喜ばれると、なんだかすごくうれしくなります。

まあ、これからの楽しみな課題です^^。



2007/02/05(Mon) 09:34 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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