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2007年01月31日 (水) | Edit |
A・スマナサーラ著「運命がどんどん好転する」慈悲喜捨の瞑想法 国書刊行会より(33)


さらにこの瞑想の実践による
素晴らしい効果があります。

“喜”の瞑想をやっていると、
どんな不幸があってもいつも
ニコニコしていられる。

たとえば、自分が十万円騙されて
損をしたというときでさえ、
喜んでいられるのです。

というのも、
人の喜びは自分の喜びでもあるのだから、
自分は十万円騙されたかもしれないけれど、

その代わりその十万円でだれかが
幸福になっているのだから、
それを喜んでいられるのです。


私は騙されても、相手がそれをもらったんだから
いいじゃないかと考えるわけです。

従って、自分が損をしようが得をしようが、
自分の精神は損をしない、心は傷つかない、
心はどんなことがあろうと成長させていきますと、
そういう人間になれるのです。

では、そうならば人間はそのようにただ喜んでだけ
いればいいのだろうかという次の疑問が湧いてくるのです。

生命に対しての自分の感情で、カラスを見ても喜ぶ、
蟻を見ても喜ぶ、人間を見ても喜ぶ、
ライバルを見ても喜ぶ…… そういうふうにただ、

「ありがたい、ありがたい」
「ああ、楽しい、楽しい」

とおもって生きていてそれでいいのだろうか?
それはそれで構わないし、
別に悪いことではないのですが、

人間はそうなるとさらに進みたい、
もっと幸福になりたいと思うのが常です。
そういうときに育てなければならない感情が
さらにあるのです。

それは“ウペッカー”といって、
日本語に訳せば平安な心、
平等な心という意味になります。


これまで学んできた三つの感情、
最初の“メッター”は友情ですが、
メッターには友情という波が心にあるのですね。

次の“カルナー”助けてあげることですが、
これも人を助けてあげたいという強い衝動があって
心はかなり波立った活動を見せるのです。

また、“ムディター”も喜ぶことですから、
喜びの波で心が溢れてしまうのです。

この心が波立つという感情も消してしまわなければ
ほんとうの心というものは作れないという次元の
話になっていくのですが、

これは結構難しい実践となります。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
因果同時
唯識では、同時更互因果といい
現在一刹那だけが実在するという。

刹那に実有を保証する最後の根拠が阿頼耶識であり、
と同時に、世界に一切を顕現させている阿頼耶識は、
時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在する。

われわれが生きているということは、
阿頼耶識が活動していることである。

阿頼耶識は滝のように絶えることなく
白い飛沫を散らして流れている。

つねに滝は、目前に見えるが
一瞬一瞬の水は同じではない。

水はたえず相続転起して、
流動し、しぶきを上げている。

世親は阿頼耶識を
“恒に転ずること暴流のごとし”
と表現している。


さて、「阿頼耶識は時間の正体?」
なのだろうか??



2007/01/31(Wed) 16:38 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ウペッカー
という平安な心、平等な心で
「心が波立つ感情を消す」のは

もったいないような気がするかもしれませんが
このあとの記事を読まれたら
色々参考になると思いますです。

もう少しお待ち下さい。


2007/01/31(Wed) 16:09 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
阿頼耶識が時間の正体?
 ろくろくさまが、前回、記述されていたように、阿頼耶識(秘教探求者は、アカシャ実質と呼ぶみたいじょ)が、時間の正体に近いと思うじゃ。
 なぜなら、我々は、阿頼耶識に体験を刻みながら、時間の変化を超えて、同一視できているからじょ。阿頼耶識には、その人が人生において表した喜怒哀楽の体験が詰まっておるようじゃ。
 空間で体験したものを、時間に変換し、保存するような感じなのだろうじゃ。確かに、遺伝子のようなものじゃが、遺伝子といっては、空間部分の記録しか指定できず、時間の部分が抜けていて、片手落ちじょ。
 昨今の遺伝子操作は、人為的に、発現を起こしたり、発現を阻止したりして、空間を用いて、間接的に時間を制御しようとしておるが、特定、局所の配位は可能だが、全般的な時間の変化は不可能じゃ。たちまち、大きな流れに消されてしまうじょ。
 つまりは、空間的な体験を、時間に再変換しなければダメじゃろう。物質的言語を、霊的な言語に変える必要があるじょ。
 空間的な、体験を基にした喜怒哀楽は、ある人は喜んでも、他の人は怒る場合もあるじょ。空間的な立場によって、感じ方、見え方は変わってしまうじゃ。
 しかし、時間的な喜怒哀楽ならば、人間共通の自己同一化がなされていれば、例えば、20歳までに、基本的な道徳(常識)を身に着ければ、成人として、他の人と、共存してやっていける感情をもてる等とか。
 そのようなモラルのいわばプログラムが、時間配列で、太陽から送られておるようじゃ。太陽から、時間を超えても、自己同一化できるプログラムが逐次送られておるようじゃ。これら太陽の素の時間、つまりアカシャ実質は、空間に変換されると、太陽系の軌道を描くようにみえるというわけじゃ。それは右巻き螺旋構造で、遺伝子のDNAも右巻き螺旋なのは、この阿頼耶識の時間規則にあるようじゃ。
2007/01/31(Wed) 14:48 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
心が波立つ感情も消す
なんか、せっかく生きているのに、もったいないような気がするのです。
良い感情も悪いと思える感情も、生きていればこそ感じられるのだと思うのです。
本当の心とは何だろう?
2007/01/31(Wed) 10:46 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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