通夜の席でみんなイキイキしている・・・
五木寛之著「不安の力」集英社文庫より (30)
最近では、
インターネットで仲間を募って
死のうと考える人も出てきているらしい。
そういう人は別ですが、
ふつうの人は、
有限の生命というものを肌で感じたときに、
えも言われぬ不安感というものを覚えずには
いられません。
いったい、どんなときにそれを感じるのか。
たとえば、人の死に直面したときがそうです。
ふだんは死のことなど考えていない人が、
身近な人が亡くなったという知らせを受けたり、
葬式に出席して遺族にあって話しをする。
こういうことがあると、突然、
人の死という事実について考えさせられる。
死とはこういうことなのか、と実感するわけです。
通夜の席などでは、こういう場で笑ったら不謹慎だな、
と思いながら、少しお酒を飲んで、
故人の思い出話をしながら談笑する。
そのとき、亡くなった人の友人や仲間や集まってきた
人たちのあいだには、でも、自分は生きている、
という生命の充実感みたいなものが漂っているのを
感じます。
通夜の席に集まってきた人は、
顔は沈痛な表情でも、
みんなイキイキしている気がする。
逆に言えば、そういう機会意外に、
ぼくらが日常生活のなかで死を実感することは、
ほとんどなくなりました。
いまの日本もそうですし、一般に文明社会では、
できるだけ人間の死というものをおおい隠して
見えなくしているようです。
生命の有限性を感じさせないシステムになっている、
と言ってもいいでしょう。そこでは、死というものが
あらわに見えません。
そういう日本とは対照的に、いまだに死が日常的に
ありふれたものとして存在している場所もあります。
たとえば、インドへ旅行する人は、
しばしばガンジス川のほとりに薪を積み上げて、
死体を焼いている光景を目撃するでしょう。
貧しい人の場合は、
きれいに焼いてもらえずに、
半焼けの状態のまま、崩すようにして
ガンジス川に放り込まれてしまう。
次回につづく
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インターネットで仲間を募って
死のうと考える人も出てきているらしい。
そういう人は別ですが、
ふつうの人は、
有限の生命というものを肌で感じたときに、
えも言われぬ不安感というものを覚えずには
いられません。
いったい、どんなときにそれを感じるのか。
たとえば、人の死に直面したときがそうです。
ふだんは死のことなど考えていない人が、
身近な人が亡くなったという知らせを受けたり、
葬式に出席して遺族にあって話しをする。
こういうことがあると、突然、
人の死という事実について考えさせられる。
死とはこういうことなのか、と実感するわけです。
通夜の席などでは、こういう場で笑ったら不謹慎だな、
と思いながら、少しお酒を飲んで、
故人の思い出話をしながら談笑する。
そのとき、亡くなった人の友人や仲間や集まってきた
人たちのあいだには、でも、自分は生きている、
という生命の充実感みたいなものが漂っているのを
感じます。
通夜の席に集まってきた人は、
顔は沈痛な表情でも、
みんなイキイキしている気がする。
逆に言えば、そういう機会意外に、
ぼくらが日常生活のなかで死を実感することは、
ほとんどなくなりました。
いまの日本もそうですし、一般に文明社会では、
できるだけ人間の死というものをおおい隠して
見えなくしているようです。
生命の有限性を感じさせないシステムになっている、
と言ってもいいでしょう。そこでは、死というものが
あらわに見えません。
そういう日本とは対照的に、いまだに死が日常的に
ありふれたものとして存在している場所もあります。
たとえば、インドへ旅行する人は、
しばしばガンジス川のほとりに薪を積み上げて、
死体を焼いている光景を目撃するでしょう。
貧しい人の場合は、
きれいに焼いてもらえずに、
半焼けの状態のまま、崩すようにして
ガンジス川に放り込まれてしまう。
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Comment
錬金術者さん
2007-01-30 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
通夜の席で生き生きするわけ
物質的世界に馴らされた頭では、死者はもはや帰ってこない死んだ者として認識されるじゃが、実は、死後、死者は、我々の近くにおるじゃ。
このことを親戚一同は、なんとなく感じでいるから、無論、言葉では表現できんが、脳ではなく、魂でイメージ等が思い浮かぶので、しばしば、身近にいるような錯覚(錯覚ではないのだが)を覚えるような気がするじゃろう。魂のつながりは、あの世でもなくならんじゃ。
だから、通夜のとき、魂は生き生きするじゃ。いってみれば、親族は魂のつながりを基にして、死者と共に、あの世を擬似体験しているじゃ。
この擬似体験は、死者のこの世に誕生する前の人生の目的なども、みせることもあるじゃ。太古の坊主などは、大体霊能者だったから、このような背景を熟知していたそうな。
死者は生前の体験を通して人生を振り返り、お世話になった人に、魂で愛撫のように触れ合うようじゃ。だから、ある意味、セックスしたくなるようじゃ。
また、こんなこと書くと、阿呆呼ばわりされるので、やめるじゃ。
このことを親戚一同は、なんとなく感じでいるから、無論、言葉では表現できんが、脳ではなく、魂でイメージ等が思い浮かぶので、しばしば、身近にいるような錯覚(錯覚ではないのだが)を覚えるような気がするじゃろう。魂のつながりは、あの世でもなくならんじゃ。
だから、通夜のとき、魂は生き生きするじゃ。いってみれば、親族は魂のつながりを基にして、死者と共に、あの世を擬似体験しているじゃ。
この擬似体験は、死者のこの世に誕生する前の人生の目的なども、みせることもあるじゃ。太古の坊主などは、大体霊能者だったから、このような背景を熟知していたそうな。
死者は生前の体験を通して人生を振り返り、お世話になった人に、魂で愛撫のように触れ合うようじゃ。だから、ある意味、セックスしたくなるようじゃ。
また、こんなこと書くと、阿呆呼ばわりされるので、やめるじゃ。
2007-01-29 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
やまんばさま、すまんぞっ!
頭をこんがらがらせてすいませんじゃ。我々人間は時間の存在といったのは、時間に対して、必ず不変な存在でいるということじゃ。
人間は普通、今日の自分は、昨日の自分とは、物質的に異なるが、同じものと認識できているじゃ。このように時間を超えて、同一視できるには、自分のなかに、時間を超えても自己同一化できる認識が必要じょ。
だから、自分のなかに時間があるじゃ。
人間は、このような時間を間接的に、体験を通して意識しているじゃ。これは間接的に空間を認識して、時間に変換しているといえるじょ。
人間の耳の三半規管では、音の空間認識を、音の時間認識に変換しているじゃ。つまり、空間を時間に帰しているじゃ。
やまんばさまは、充分に、この物理的世界を理解しているじょ。しかし、この物理的世界は、本当は、数学的には虚の複素空間からなるじゃ。
物質の背後では、時間が空間を絶えず生み出しておるじょ。ただ、視野から物質的言語感覚から、捉えているから、わからなくなるじゃ。
実は、我々は寝ているときに、時間の世界に旅出て、死者にも会っているぞな。ただ、この世の物質感覚でみるから、わからなくなってしまうじょ。死後まもなくの存在ならば、生前の思い出から、死者をみて、会話することができるじゃ。
あまり話すと頭おかしいオカルトの化けもんと馬鹿にされるから、ろくろくさんにもご迷惑なので、やめとくじゃ。
人間は普通、今日の自分は、昨日の自分とは、物質的に異なるが、同じものと認識できているじゃ。このように時間を超えて、同一視できるには、自分のなかに、時間を超えても自己同一化できる認識が必要じょ。
だから、自分のなかに時間があるじゃ。
人間は、このような時間を間接的に、体験を通して意識しているじゃ。これは間接的に空間を認識して、時間に変換しているといえるじょ。
人間の耳の三半規管では、音の空間認識を、音の時間認識に変換しているじゃ。つまり、空間を時間に帰しているじゃ。
やまんばさまは、充分に、この物理的世界を理解しているじょ。しかし、この物理的世界は、本当は、数学的には虚の複素空間からなるじゃ。
物質の背後では、時間が空間を絶えず生み出しておるじょ。ただ、視野から物質的言語感覚から、捉えているから、わからなくなるじゃ。
実は、我々は寝ているときに、時間の世界に旅出て、死者にも会っているぞな。ただ、この世の物質感覚でみるから、わからなくなってしまうじょ。死後まもなくの存在ならば、生前の思い出から、死者をみて、会話することができるじゃ。
あまり話すと頭おかしいオカルトの化けもんと馬鹿にされるから、ろくろくさんにもご迷惑なので、やめとくじゃ。
2007-01-29 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
空間は時間から生まれる?
我々は実は時間なんじゃ。えーっ。なんてなんて?えーと、この世には固まりなんてないのですね。硬さや形ある世界は脳がつくりだした感覚で捉えているだけなのですね。は〜・・フムフム?空間には粒子しかないのですか。粒子のグループみたいなものがあってそれぞれ振動をしていると感覚すればいいのでしょうか。グループとグループはさまざまな波ででつながり、空間を構成してると思えばいいのでしょうか。
やまんばは今、やまんばなりのイメージで世界を置き換えています。死は空間から時間に帰ること・・?。も〜だめだ。やまんばの頭は、完全ショート。しばらく、使用不可能。。。プシューーー
だ だ 誰か賢い人とバトンタッチしてくださいませえええ〜〜錬金術者さん、哀れなやまんばに、白いバラを送ってください。貴方はどなたなのですか?バタン!
やまんばは今、やまんばなりのイメージで世界を置き換えています。死は空間から時間に帰ること・・?。も〜だめだ。やまんばの頭は、完全ショート。しばらく、使用不可能。。。プシューーー
だ だ 誰か賢い人とバトンタッチしてくださいませえええ〜〜錬金術者さん、哀れなやまんばに、白いバラを送ってください。貴方はどなたなのですか?バタン!
2007-01-29 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
死の秘密
我々は実は時間なんじゃ。この世では、時間は、空間的なものの変化でしか捉えられんじゃ。いわば、空間の意識でしか、時間を捉えることができんじゃ。太陽の位置や天体の位置、電子の出す振動等の空間的な目安から、時間を計っておるじゃ。
人間自体が時間の存在なんで、人間は空間の変化から、体験を通して、自らを定義づけるじゃ。人間は、この世では、時間を空間から切り離すことができんじゃから、空間によって代償的に定義しておるじゃ。
実は、ニュートンの絶対時間とは、空間に依存しない、つまり空間を生まない時間なので、この世に生まれてこない存在を意味するじゃ。
アインシュタインは、時間を光速度に帰して、光をもとに、時間を定義したじゃ。光から時空間が生まれるとして、光量子の概念ができたじゃ。
しかし、宇宙の真の秘密とは、空間は時間から生まれるということなんじゃ。
人間は、本来時間の存在じゃが、この世に生まれて、空間の存在となるじゃ。空間のなかで、自由になる。空間のなかで、空間の変化を通じて、体験を共有できるじゃ。
そして、人間は再び、空間から時間に帰っていくじゃ。太陽は、時間の素を宇宙に放出しているじゃ。
死の秘密とは、空間から時間に帰ることを言うじゃ。死の瞬間に、時間意識を忘れると、そのまま空間に閉じ込められてしまうじゃ。
人間自体が時間の存在なんで、人間は空間の変化から、体験を通して、自らを定義づけるじゃ。人間は、この世では、時間を空間から切り離すことができんじゃから、空間によって代償的に定義しておるじゃ。
実は、ニュートンの絶対時間とは、空間に依存しない、つまり空間を生まない時間なので、この世に生まれてこない存在を意味するじゃ。
アインシュタインは、時間を光速度に帰して、光をもとに、時間を定義したじゃ。光から時空間が生まれるとして、光量子の概念ができたじゃ。
しかし、宇宙の真の秘密とは、空間は時間から生まれるということなんじゃ。
人間は、本来時間の存在じゃが、この世に生まれて、空間の存在となるじゃ。空間のなかで、自由になる。空間のなかで、空間の変化を通じて、体験を共有できるじゃ。
そして、人間は再び、空間から時間に帰っていくじゃ。太陽は、時間の素を宇宙に放出しているじゃ。
死の秘密とは、空間から時間に帰ることを言うじゃ。死の瞬間に、時間意識を忘れると、そのまま空間に閉じ込められてしまうじゃ。
2007-01-29 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
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