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2007年01月26日 (金) | Edit |
五木寛之著「不安の力」集英社文庫より (27)


若さが失われるということを、
まったく別の角度から考えてみましょう。

人間の体には、免疫を司っている「胸腺」
というものがあります。

胸腺は人間のちょうど胸のうえあたりにある
薄い膜のようなものです。そこで、免疫を司る
細胞をトレーニングして育て、送り込む。

人体にとって非常に大事な器官であり、
いわば訓練センターのような役割を果たして
いるといえるでしょう。

ぼくはあまり好きではないのですが、
フランス料理で「仔牛の胸腺焼き」という
料理が出てくることがあります。


なぜ「仔牛」かというと、
胸腺というのは非常に早く老いてしまうからです。
年取った牛ではだめなのでしょうか。

人間でも同じです。胸腺が最も発育して、
きちんと作用しているのは、十八歳から
二十歳くらいだろうと言われている。

すでに、十代の終わりから胸腺は萎縮し、退縮して
いくのです。三十代をすぎると半分くらいに萎縮して
しまい、四十代、五十代をすぎると、四分の一とか
八分の一になってしまう。

そして、六十代、七十代になると脂肪化して、
ほとんど痕跡を残すのみ、ということらしい。
なんだか、人間の一生を象徴しているようです。

……胸腺は、十代後半から衰えていく。
考えてみれば、老いというのは、
じつはそこから始まっているわけです。

三十歳をすぎて中年になり、四十歳から老いるのでは
なく、十代の終わりから老いは始まっているのです。

そう考えると、若さを保つために奔走しても
しかたがないのではないか、という気がしてきませんか。

それでも老いていくことが不安でたまらない、
という人はいるでしょう。ぼくは、若さを失っていくと
考えずに、エージングであり、年齢を重ねることだ、
と考えたらいいと思います。

年齢を重ねていくことはプラスだと考えるのです。
いまは、大人の女性たちが、若い恰好をしても
不自然ではないと見られたい、と望んでいる。

そうではなくて、逆に若い人が絶対にできないような
恰好をするという方向へは、どうしていけないのか。
大人は若い人にジェラシーを感じさせるべきでしょう。

あの年にならなければ、
とてもあの着こなしはできないなあ、
とため息をつかせればいいのです。

自分たちのカルチャーなりファッションなりを
確立することを、いま、一人ひとりが真剣に
考えるべきだと思います。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
意志力
錬金術者さんのコメントは、いつも私が見聞きしたのとはまったく違う角度からのものがほとんど。

それが不思議にも繋がっているところが沢山あって
とても興味深いです。

「死の準備教育」で有名な、
アルフォンス・デーケンさんが面白いことを
言っています。

「憎んでいる人を許すのは“愛”によるのではない。
それは意志力の問題なのだ」

許すのは感情の問題でもない。
われわれがやろうとさえすればできる
「意志力」によるんだ、というのです。

意志力は自己をしっかり観察しつづけることによって
身についていきます。






2007/01/27(Sat) 09:35 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
鮮やかな山吹色
あきらめかけて目を閉じた一瞬、
左目のほうに鮮やかな山吹色がみえた!

というのはオーラだとおもいます。
黄金色というか、指の先にボーッと見えたり
消えたりしています。

慣れてくると全身を覆うようにオーラが
出ているのが見えるときがあります。

オーラに関しては他にもすごい体験がありますが
別な機会にお話できたら・・・とおもいます。


2007/01/27(Sat) 09:13 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
若者文化に憧れるのは知性の時代の証
 現代は知性の時代といわれるじょ。皆、あまりに利口すぎるんじょ。子供のときから、あれこれと知識を詰め込まれ、独自で判断しようと訓練されるから、皆、利口になってしまうんじょ。
 古代人は、一部の人だけが賢く利口で、大部分は、その人のいうことを聞いていたじゃ。だから、自分で判断せずに、長老とかに相談して決めるじゃ。いまでもその風習は、未開民族に残っているじゃ。
 いうまでもなく、知性は、記憶力に負っているじゃが、記憶力は、頭部を中心とした神経の発達、成長に関わるじょ。魂の悟性力が、頭部を司り、記憶力、つまり、知性を、子供のとき、大体21歳まで、準備させ、発揮させるじゃ。実は、魂のこの悟性力は、前世のカルマに負っておるようじゃ。だから、子供のときは、知性の時期といえるじょ。
 14歳から、知性に、感情が加わり、思春期になり、肉体的に発情し、子供を産める体になるじゃ。21歳に、魂の悟性力は、強い感情力により隠され、感情力中心の時期が35歳まで、続くじゃ。だから、青年から成人を経て大人のときを、芸術の時期といえるじゃ。この時期は、カルマの実現に負っているようじゃ。
 幼き、若き頃よりの、何らかの天才的才能は、35歳をすぎると、途端になくなって、普通の人になるというのは、子供のときの知性が21歳を期に退き、芸術の感性が、35歳に退いてしまうからじゃ。
 代わりに、28歳から、魂の意志力が前面に出てくるじゃ。28歳から35歳の7年間は、感情と意志が共同活動をする、人生の独立に関わる重要な時期といえるじゃ。この時期に意志が弱いと、他に依存したり、利己主義になって、悪徳に流されてしまうじゃ。つまり罪深い時期といえるじゃ。
 35歳を過ぎると、意志のみが働きかけるので、もはや、いままで通用していた知性も、感情もなくなってしまうじゃ。記憶力は大幅に減退し、感動も失ってくるじゃ、ただあるのは悪に負けない強い意志のみじゃ。だから、この大人の時期を、道徳の時期と呼べるじゃ。
 だから、35歳を過ぎても、道徳、モラルがない人間は、悪人といえるじょ。この時期に、何らかの精神性のものを取り入れないと、魂は硬くなって、干からびていくようじゃ。35歳をすぎると、あまりに知性的な人は、その反動で、何らかの硬化症にかかっていくるじゃ。硬化症の人は、意志の弱さゆえ、若者の感情の柔軟さ、子供の知性の溌剌さに無い物ねだりで憧れてしまうじゃ。
 これはつまり、一種の懐古趣味であり、反動じゃ。過ぎ去ったときは、二度と戻らないじゃ。それを求めるのは、魂のなかの意志の弱さにあるじゃ。
 35歳をすぎたら、意志の強化、道徳に従う率先して善を行う勇気が必要とされるじゃろうね。知性の時代になっているのは、大人が弱くなった証拠じゃ。大人が、勇気がなく、意志が弱いため、子供や若者に媚を売っているだけじゃ。だから、益々、次世代が軟弱になるじゃ。
 目指すべきは、モラルある逞しい老人になることじゃ。そして、知性の時代から、道徳の時代への転換が必要じゃ。
2007/01/26(Fri) 10:31 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
老い
老いを最初に感じたのは20代。目元の皺でした。今の皺からみたら、なんて可愛い皺でしたでしょう。何歳になってもその比較はおきるでしょう。
とにかく、今より、明日は確実に老いる。
今を大切に生きる、自分の気持ちに正直に生きる。
洋服も、持ち物も、その日に直感で感じた色を着る。
これがやまんばの流儀です^^。

今日のやまんばのセーターは着古してはいるけど、オレンジ色です。直感で感じた色はかならずなにか、どこかに身につける。行き先にふさわしくない色を、感じたら見えない部分に身につける。

そうしたら、一日が落ち着くのです。

若い人の格好を真似たかったら、まねてもいいのではないでしょうか。そのうち、自分が本当に着たいものが見つかってくると思います。がまんしたら、そこにたどり着けないかもしれません。
互いにやさしい目でみてあげたら、世の中楽しいですね。
2007/01/26(Fri) 09:53 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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