一貫性が失われた時代
五木寛之著「不安の力」集英社文庫より (26)
高級な寿司屋とかフレンチ・レストランなどでも、
幼稚園にも行っていないような子どもを連れてくる
親がけっこういます。
子どもが寿司屋のカウンターで「ぼく、エンガワ」
などと言ったり、フランス料理店でフォアグラを
フォークでグジャグジャつぶしたりしている。
その状況を眺めていると、やはりこれはおかしい
のではないか、と思わずにいられません。
大人が集まる場所、若者の集まる場所、
子どもたちの集まる場所というのはそれぞれ分化
していいのではないか。
それとは別に、家庭のなかで団らんがあり、
一台のテレビを囲んで話をするというような
流れがあるべきではないか。
あるいは、地域のコミュニティのなかで、
世代を超えた付き合いがあるほうがいいのでは
ないか。
この〈子どもっぽいカルチャー〉ということと、
若さ志向ということを突き詰めていくと、
いろいろなことに思い当たります。
たとえば、若い世代にコミックが人気があるというと、
コミックのようなカルチャーが読者になじんでくる
ようになる。
そうすると、物語の持続力などというものを考えずに、
その場その場で瞬間的におもしろいものをつなぎ合わせ
たようなモザイク的な小説を書く、という流れも文芸の
世界に出てきます。
むかしは小説には伏線というものがありました。
あちこちに伏線を張りめぐらせてあって、それをじっと
我慢して読んでいくと、そのうちに伏線がピッと生きて
きて思いもかけぬ結末になる。
そうか、前に張られていたあれが伏線だったのか、
さすがにこの作者はすごい、と畏敬の念を持って
読んだものです。
いまは、そんな小説を書いても、じっと最後まで
読み切る人は少ないような気がします。
長いあいだ伏線をじっと我慢して、
最後の結末にいたるようなことは、
おそらくいまの読者は期待していないでしょう。
その場面場面のおもしろさがあればいい。
コラージュ的にその場その場がおもしろければ
許される。
最初と最後が矛盾していたり、
世にも恐ろしい物語が展開するといわれて最後に
ぜんぜん出てこなくても、べつに文句を言う人はいない。
小説に限らず、いまはあらゆるものが持続した一貫性や
構築性を失ってしまっている。そういうものが失われた
時代だという気がします。
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高級な寿司屋とかフレンチ・レストランなどでも、
幼稚園にも行っていないような子どもを連れてくる
親がけっこういます。
子どもが寿司屋のカウンターで「ぼく、エンガワ」
などと言ったり、フランス料理店でフォアグラを
フォークでグジャグジャつぶしたりしている。
その状況を眺めていると、やはりこれはおかしい
のではないか、と思わずにいられません。
大人が集まる場所、若者の集まる場所、
子どもたちの集まる場所というのはそれぞれ分化
していいのではないか。
それとは別に、家庭のなかで団らんがあり、
一台のテレビを囲んで話をするというような
流れがあるべきではないか。
あるいは、地域のコミュニティのなかで、
世代を超えた付き合いがあるほうがいいのでは
ないか。
この〈子どもっぽいカルチャー〉ということと、
若さ志向ということを突き詰めていくと、
いろいろなことに思い当たります。
たとえば、若い世代にコミックが人気があるというと、
コミックのようなカルチャーが読者になじんでくる
ようになる。
そうすると、物語の持続力などというものを考えずに、
その場その場で瞬間的におもしろいものをつなぎ合わせ
たようなモザイク的な小説を書く、という流れも文芸の
世界に出てきます。
むかしは小説には伏線というものがありました。
あちこちに伏線を張りめぐらせてあって、それをじっと
我慢して読んでいくと、そのうちに伏線がピッと生きて
きて思いもかけぬ結末になる。
そうか、前に張られていたあれが伏線だったのか、
さすがにこの作者はすごい、と畏敬の念を持って
読んだものです。
いまは、そんな小説を書いても、じっと最後まで
読み切る人は少ないような気がします。
長いあいだ伏線をじっと我慢して、
最後の結末にいたるようなことは、
おそらくいまの読者は期待していないでしょう。
その場面場面のおもしろさがあればいい。
コラージュ的にその場その場がおもしろければ
許される。
最初と最後が矛盾していたり、
世にも恐ろしい物語が展開するといわれて最後に
ぜんぜん出てこなくても、べつに文句を言う人はいない。
小説に限らず、いまはあらゆるものが持続した一貫性や
構築性を失ってしまっている。そういうものが失われた
時代だという気がします。
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Comment
ピンクルビー
またまた、やまんばしかわからない言葉の表現でした。形見でいただいた時、そう言われただけでそんな名前の宝石が世間にあるのかどうかも、やまんばは、知りません。でも、これはとてもやさしい色をしています。
2007-01-26 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
ろくろくさんへ
暗いテレビのところで実際にやってみましたが、はじめてなので、うまくいきませんでした。ただあきらめかけて目を閉じた一瞬、左目のほうに鮮やかな山吹色がみえました。まだ、念じることをあまりしたことがないのです。{祈ることと、念じることはちがうのかなあ?とよく思います。}
それから、やまんばもコラージュして、時々遊んでみるのですが、絵の具より、うんと、インパクトが強いので、遊んだ後はかならず、絵の具だけで表現したくなります。
それから、やまんばもコラージュして、時々遊んでみるのですが、絵の具より、うんと、インパクトが強いので、遊んだ後はかならず、絵の具だけで表現したくなります。
2007-01-25 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
錬金術者さんへ
今回の説明はなんだかわかりすかったです。なぜなら、やまんばは音を色彩に変換したらどうなるだろう?と時々実際に声を出しているのです。「あーー」ピンクルビーみたいかなあ・・「いーーー」水色がかった銀色みたい・・などといって想像していて、いつか、言葉を絵に描いてみたらどうなるだろう?と思っていたからです^^。夢はたいてい現実と同じ色がついています。テレビのハイビジョンで、高いところから展望された景色で、山やまがポコポコおもしろい形で、点在している景色をみて、夢でみた景色によく似ていたので、びっくりしたことがありました。ただで海外旅行をしたようで、機嫌がよかったです^^。
2007-01-25 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
オーラを見ることができる
暗いところ、ついていないTV画面などを背景にして
両手を合掌し、人差し指の指先を見てください。
そして「指の先からオーラが出る〜」と念じると
指の先から白い霧のようなものが見えてきます。
皆さん是非やってみてください。
オーラの色は黄色だったりピンクだったりしますよ
両手を合掌し、人差し指の指先を見てください。
そして「指の先からオーラが出る〜」と念じると
指の先から白い霧のようなものが見えてきます。
皆さん是非やってみてください。
オーラの色は黄色だったりピンクだったりしますよ
2007-01-25 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
コラージュ
わたしは絵画のコラージュの技法が大好きです。
雑誌や新聞広告、空き瓶のラベルや
展覧会のチケット(半券)、ポスター、
カレンダー、布切れ、などをはさみで切って
たくさんコラージュ作品を作りました。
雑誌や新聞広告、空き瓶のラベルや
展覧会のチケット(半券)、ポスター、
カレンダー、布切れ、などをはさみで切って
たくさんコラージュ作品を作りました。
2007-01-25 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
オーラは母音みたいなもん
やまんばさま、難しく書いてすまんじょ。イメージで捉えてほしいじょ。
言葉でいうなら、オーラは母音じょ。言葉は、母音に子音がくっついて形になるじゃ。母音だけじゃ、ほとんど意味が通じないじょ。母音だけじゃ、目にみえんじゃ。
あ、い、う、え、お、がそれぞれ色彩を表すと思えばよいじゃ。色々な言葉を、母音に戻し、イメージすると、言葉のなかから子音が抜けて、母音のイメージをもてるらしいじょ。人生は一種の言葉で、人生のなかのエキスが、母音のようじゃ。
だから、やまんばさんが、その人に感じる色彩は、ひょっとすると、その人のオーラをみているのかもしれんぞ。目でみるのではなく、精神で感じるものらしいじょ。例えるなら、夜、寝たとき夢のなかでみる色彩の感じらしいぞ。
言葉でいうなら、オーラは母音じょ。言葉は、母音に子音がくっついて形になるじゃ。母音だけじゃ、ほとんど意味が通じないじょ。母音だけじゃ、目にみえんじゃ。
あ、い、う、え、お、がそれぞれ色彩を表すと思えばよいじゃ。色々な言葉を、母音に戻し、イメージすると、言葉のなかから子音が抜けて、母音のイメージをもてるらしいじょ。人生は一種の言葉で、人生のなかのエキスが、母音のようじゃ。
だから、やまんばさんが、その人に感じる色彩は、ひょっとすると、その人のオーラをみているのかもしれんぞ。目でみるのではなく、精神で感じるものらしいじょ。例えるなら、夜、寝たとき夢のなかでみる色彩の感じらしいぞ。
2007-01-25 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
昨日のコメントは
送信した後、我ながら意味が通じず、苦笑しました。最近のブログに掲載されている現象が、やまんばの周辺にはあまりみかけないという意味です。
それから、やまんばはよく着る服が普通とちがっていると言われることが多いので、(自分では、気にいったものを着ているだけなのですが・・)やまんば自体がおかしいのかなあと思ったのです。
現代の若者の流行をみてもいやだとは思いません。既成概念がはずれて、愉快だなあと楽しく眺めています。それによく似合っています。やまんばが着たら、少し頭が変だと思われそうですが^^。
錬金術者さん、オーラのお話、やまんばは、読んでるとますます分からなくなり頭がショートして、気が変になりそうです。
時代は急速に変りつつあるのでしょうね。やまんばはついていけません。トホホのホです。
辛抱強くお話してくださり、感謝です。
それから、今日のブログの掲載で思うことは、全ての人の人生もいろいろ伏線があると思うのです。気が付くか付かないかだけで・・・。時々、本当に誰かにきちんと導かれているように感じます。
それから、やまんばはよく着る服が普通とちがっていると言われることが多いので、(自分では、気にいったものを着ているだけなのですが・・)やまんば自体がおかしいのかなあと思ったのです。
現代の若者の流行をみてもいやだとは思いません。既成概念がはずれて、愉快だなあと楽しく眺めています。それによく似合っています。やまんばが着たら、少し頭が変だと思われそうですが^^。
錬金術者さん、オーラのお話、やまんばは、読んでるとますます分からなくなり頭がショートして、気が変になりそうです。
時代は急速に変りつつあるのでしょうね。やまんばはついていけません。トホホのホです。
辛抱強くお話してくださり、感謝です。
それから、今日のブログの掲載で思うことは、全ての人の人生もいろいろ伏線があると思うのです。気が付くか付かないかだけで・・・。時々、本当に誰かにきちんと導かれているように感じます。
2007-01-25 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
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