他人の幸せは自分の幸せ
A・スマナサーラ著「運命がどんどん好転する」慈悲喜捨の瞑想法 国書刊行会より(26)
突然に、「よし、きょうから人を助けることに
専念しよう」と町へ出たところで、そうそう
助けを求めている人には出会いません。
たまに苦しんでいる人がいて、
「よし、助けてあげよう」と近づいていっても、
迷惑がられるか不審におもわれて、
「いいえ、結構です」と断られるのがオチです。
電車に乗って足の悪い人がいて、
「よし、しめた、いいことができる」
と勇んで席を譲っても、断られる場合も多いのです。
なぜこんなにも親切にしているのに断るのかと
肚が立ちますけれど、こういう人が断られるのには
れっきとした理由があるものなのです。
それは助けようとしている側の人間の心がきれいでは
ないからなのです。ほんとうに心の底から助けようと
願ったのではなく、どこか高慢な心でやっているのでは
ないですか。
そういう行為は、相手に嫌がられます。
そういう自己満足的な行為は、
相手の方から確実に断ってくるのです。
そういう行為は、抜苦ほんとうの愛情ではありません。
愛の実践とはとても言えません。愛の実践というのは、
たとえば自分の家のだれかが病気になったとする。
そういうときに、
「じゃあ、いい行為をしてあげましょう」
といちいち考えてやりますか?
そんな打算的な感情なんて少しも持たないでしょう。
当たり前の行為として自然発生的に何か役に立ちたい、
病気を治すために自分ができることなら何でもやりたい
とおもうはずです。
それこそが抜苦の行為です。
抜苦のほんとうの愛情です。
抜苦のほんとうの愛情を実践したい人は、
そこのところをよく考えてみてください。
自分の親族、家族、親友、そうした人々が大変なときは、
ごく自然に助けてあげたいと考えるでしょう。
子どもが受験勉強で夜遅くまで起きて勉強していれば、
自分もまた遅くまで起きてつき合ってあげて、
それが喜びに感じる、そういう行為こそ愛の実践なのです。
人から感謝してもらいたいとか、自分はいい行為を
してあげていることを見せようなどというような
売名行為や第三者の評価など一切気にすることなく、
自然に助けてあげたいとおもう心が大切です。
次回につづく
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突然に、「よし、きょうから人を助けることに
専念しよう」と町へ出たところで、そうそう
助けを求めている人には出会いません。
たまに苦しんでいる人がいて、
「よし、助けてあげよう」と近づいていっても、
迷惑がられるか不審におもわれて、
「いいえ、結構です」と断られるのがオチです。
電車に乗って足の悪い人がいて、
「よし、しめた、いいことができる」
と勇んで席を譲っても、断られる場合も多いのです。
なぜこんなにも親切にしているのに断るのかと
肚が立ちますけれど、こういう人が断られるのには
れっきとした理由があるものなのです。
それは助けようとしている側の人間の心がきれいでは
ないからなのです。ほんとうに心の底から助けようと
願ったのではなく、どこか高慢な心でやっているのでは
ないですか。
そういう行為は、相手に嫌がられます。
そういう自己満足的な行為は、
相手の方から確実に断ってくるのです。
そういう行為は、抜苦ほんとうの愛情ではありません。
愛の実践とはとても言えません。愛の実践というのは、
たとえば自分の家のだれかが病気になったとする。
そういうときに、
「じゃあ、いい行為をしてあげましょう」
といちいち考えてやりますか?
そんな打算的な感情なんて少しも持たないでしょう。
当たり前の行為として自然発生的に何か役に立ちたい、
病気を治すために自分ができることなら何でもやりたい
とおもうはずです。
それこそが抜苦の行為です。
抜苦のほんとうの愛情です。
抜苦のほんとうの愛情を実践したい人は、
そこのところをよく考えてみてください。
自分の親族、家族、親友、そうした人々が大変なときは、
ごく自然に助けてあげたいと考えるでしょう。
子どもが受験勉強で夜遅くまで起きて勉強していれば、
自分もまた遅くまで起きてつき合ってあげて、
それが喜びに感じる、そういう行為こそ愛の実践なのです。
人から感謝してもらいたいとか、自分はいい行為を
してあげていることを見せようなどというような
売名行為や第三者の評価など一切気にすることなく、
自然に助けてあげたいとおもう心が大切です。
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2007-01-15 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 5 | tb : 0
Comment
娘が高校の頃
2007-01-15 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
天国からの贈り物
錬金術者さんの今日のコメントに
感銘を受けているところです。
「この世は音楽からなる」というのもとても素敵な
表現ですね。私にとって音楽のない世界は
考えられません。
大学時代の友人に数学のすきな人がいましたが
彼は大のクラシックファンでした。
感銘を受けているところです。
「この世は音楽からなる」というのもとても素敵な
表現ですね。私にとって音楽のない世界は
考えられません。
大学時代の友人に数学のすきな人がいましたが
彼は大のクラシックファンでした。
2007-01-15 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
助けてあげたい
これが意外と難しい。
人から感謝してもらいたいとか、
自分はいい行為をしてあげている
などというような気持ちが結構根深く潜んでいる
のです。
自分ではそんな気持ちがすこしもないつもりでも
受取る側はまったく違います。針の穴の先くらいな
傲慢な気持ちもキャッチします。
わたしはこのことで何度失敗したことか(^.^ ;
人から感謝してもらいたいとか、
自分はいい行為をしてあげている
などというような気持ちが結構根深く潜んでいる
のです。
自分ではそんな気持ちがすこしもないつもりでも
受取る側はまったく違います。針の穴の先くらいな
傲慢な気持ちもキャッチします。
わたしはこのことで何度失敗したことか(^.^ ;
2007-01-15 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
この世は音楽からなるじゃ
なんでも、この世は音楽からなるという。音楽を聴いて、心が愉しくなったり、落ち込んだりするのが、その証拠だという。
我々の耳は、空間を音に変換しているぞな。耳の三半規管は、空間把握を行っているというぞ。だから、三半規管が優れている者は、数学者に相応しいというじゃ。
困っている人がいたら、同じ気持ちを分かち合って、愉しく唄ってあげるだけでもよいかも。
世にある音楽は、実は、辛く大変な世の中を生きるのに彩を与える天国からの贈り物だということじゃ。
我々の耳は、空間を音に変換しているぞな。耳の三半規管は、空間把握を行っているというぞ。だから、三半規管が優れている者は、数学者に相応しいというじゃ。
困っている人がいたら、同じ気持ちを分かち合って、愉しく唄ってあげるだけでもよいかも。
世にある音楽は、実は、辛く大変な世の中を生きるのに彩を与える天国からの贈り物だということじゃ。
2007-01-15 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
自然に助けてあげたい
やまんばは、助けていただいた幸せな思い出をいただいたので、いつか、自分もそんなチャンスに巡り合えたら、いいなあと思っています。その時のやさしさを思い出すとき、いつも心の中に月見草がさいてるような、やさしい気持ちになります。
2007-01-15 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
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かならず、同じ音楽をかけていたのです^^。
次回からは、そんな感じになりそうな時には、楽しい音楽に変えたものでした。
娘の雰囲気が、音楽を変えると自然と明るくなっていくのをみて、音楽の影響は大きいと納得したものでした。
今日の錬金術者さんのコメントをみて、そのことを、懐かしく思い出しました^^。