2007年01月08日 (月) | Edit |
五木寛之著「不安の力」集英社文庫より (20)


「泣く」というと、
メロドラマを見て涙腺をゆるめる
というふうに想像しがちですが、
そうではない「泣く」もあります。

たとえば、国のために泣く。
世界のために泣く。
世のため、人のために泣く。

こんなひどいことがおこなわれていいのか、
と正義のために泣く。
いろいろな泣きかたがあります。

つまり、泣くべきときにきちんと泣ける、
ということは、とても大事なことなのです。


よく「カタルシス」という言葉で表現されますが、
人は号泣することで、こころのなかのもやもや
したものが洗い流されることもあります。

泣くことや悲しむことで他人と共感しあうことも
できます。人間はちゃんと泣き、悲しんだときには、
ちゃんと笑ったときと同じように身体の免疫力も
向上し、こころの状態もバランスを取り戻すのではないか。

人間は誰でも、ああ、もう生きているのはいやだ、
というふうに無気力感を覚えることもあります。
これを「こころ萎(な)えた状態」ともいいます。

「萎える」は、古い言葉では「しなえる」ともいう。
ぐにゃっと曲がることをいいます。花や野菜が
時間が経ってぐにゃっとなってしまうのも
「萎える」という。

人間も一日のうちで、一生のうちで、
「こころ萎えた状態」をくり返し持つのです。

ああ、いやだな、と思いながら目を覚ます人もいれば、
悶々と夜を過ごす人もいる。そういうなかで、
萎えた状態はよくない、と考えるのがいままでの
常識だったのかもしれません。

「しゃんとしろ」「がんばれ」と言うかけ声のなかで、
人間は「こころ萎えた状態」を悪と考えてきました。
ぼくは、それも違うと思うのです。


北陸の金沢に行くと、初秋から秋にかけての時期に
「雪吊り」という作業が行われます。

「雪吊り」とは、高い樹木などに支柱を立てて、
上から傘の骨のようにロープや縄を降ろして
枝に巻きつけて支えるものです。

なぜ、この雪吊りをするのでしょうか。
日本海側に降る雪は、北海道などの雪と違って
強い湿気を帯びています。べとべとして重い雪なので、
松の枝や葉にすぐにくっつく。

その上にまた雪がふりつむ。すると、
ものすごい重さになる。しかも、
その雪はなかなか滑り落ちない。

そのため、強くて堅い木ほど、
つもった雪の重みに耐えかねて、
夜中に枝が折れてしまうのです。

むかし、深夜に兼六園の近くを歩いていたときなど、
パキーン、パキーンと枝が折れる鋭い音が響いて
いたものでした。雪吊りをすることでそれを防ぐのです。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
がんばらなくてもいい
私たちは今まで、なんでもかんでも「がんばって!」
「がんばろう!」一辺倒で来たような気がします。

「泣くな!がんばって!」
「悲しむな!がんばれよ!」

五木さんは、むしろ、苦しいときや悲しいときは
嘆いたらいい、悲しんだらいい
しょぼくれてもいいと 繰り返し繰り返し
述べておられる。

そのほうが自然なんだと。



2007/01/09(Tue) 08:46 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
みんな頑張ろうね
今日のブログに記事を読んだり、昨日のろくろくさんのコメントを読んだりしていたら、やまんばは自然と涙が出てきました。

・・パキーンと音がする・・・

頑張ったね。痛かったね。
2007/01/08(Mon) 08:41 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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