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2006年02月05日 (日) | Edit |
十四世ダライ・ラマ著「ダライ・ラマ[死の謎]を説く」より (1)

死とは何でしょう。
あるいは、
死の恐怖から逃れる術はあるのでしょうか?

ダライ・ラマの言葉から
そのヒントを探っていきましょう。


人間は死を恐れる。
究極の恐怖といえば死の他にはない。
死は「生命の終焉」「存在の停止」
と言い表すことができる。

だが、仏教やインドの宗教、哲学では
再生、転生の考え方を
受け入れている。

この場合、
「死」はただの「この生命」のおわり、
「現世」の終わりにすぎない。

つまり、「死」は衣服を
着替えるほどの意味しか持たない。

私がまとっている法衣が、破れほころび、
用を足さなくなったとき、
私はこの法衣を脱ぎ捨て、
新しいもので身を包む。

古い法衣は捨て去られるが、
私の生命は生きつづける。

それと同じように、
生命は肉体が滅びた後も
生きつづける。
その折々の肉体から離れてもなお。

具体的なひとつの肉体に宿る生命は、
具体的な特定の条件のもとにおいて、
誕生し、生を育み、やがて死ぬ。
だが、それは特定の生命にすぎない。

生命そのもの、魂魄には、
終末はなく、
無限の時間を生きつづける。

今、この瞬間、この私とともにある、
生命そのものは常に普遍であり、
変えようとしても変更不能である。
時々刻々と変化する霊魂、
魂は存在しない。

この肉体にとっての死は、
変化の時の到来を告げるだけである。
普遍的存在が古い肉体を捨て去り、
新しい肉体に宿る節目である。

ならば、
「死」に対する人間の対応は、
恐怖とはまるで異なるものとなるはずだ。

『時は来たり、若々しく、新鮮で、
より可能性を秘めた肉体を、
新しい人生を、
己が手にする時が来たり』


次回「死の恐怖は未来への不安と同じ」につづく



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コメント
この記事へのコメント
初めまして。
まこっちゃと申します。

そうですね。
死に対する理解の仕方として、
同じ世界の別の存在に生まれ変わる、というものがあると思います。
以前、死に対するスタンスについて考えたことがあるのですが、その時は生まれ変わりについては考えませんでした。
一応、TB残して行きます。(不都合があれば削除してくださいませ。お手数おかけします。)
2006/02/19(Sun) 23:25 | URL  | まこっちゃ #-[ 編集]
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2006/02/05(Sun) 20:44 |   |  #[ 編集]
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