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2006年12月12日 (火) | Edit |
五木寛之著「不安の力」集英社文庫より (6)


悩みを外に出せない時代。
それは、いまの世の中が
競争社会だということです。

子どものときから、
幼稚園に入るのにも
立派な塾へ行く。

両親は幼い子どもに、
面接ではこんなことを言ってはいけない、
あんなことも黙っていなければいけない、
と一生懸命教え込む。

その子どもたちは、
競争社会を勝ち抜いていくためには、
その通りにしないとだめなのだ、と思う。


自分が抱えているハンディキャップは、
絶対に他人に気づかれてはいけない、
と思い込んで育っていく。

入試にしても就職にしても何にしても、
日本は競争社会です。少子化と言われながら、
むしろ塾は活気づいているという話です。

それと同時に、いま企業社会ではリストラが
どんどん進んでいます。その競争社会のなかで
落伍したくないという気持ち、

蹴落とされたくないという気持ちは、
みんなが持っていることでしょう。

その競争から外れることは、
グループからはじき出されることにつながります。

いじめにあって不登校になたリ、
学歴社会からドロップアウトして、
みじめな人生を送らなければならないことになる。

かつて身体障害者の人たちは、肉体的なハンディキャップ
が原因で差別的な扱いを受けたり、いじめにあったり
したことが少なくありませんでした。しかし、

現在では社会の理解と組織の力で、
堂々と生きていこうという姿勢を示している。

その人たちが疎外感を味わうことは、
個人的にはあったとしても、社会的環境は
少しずつ改善されつつあります。

それに対して、こころの不自由さを持つ人は、
それを表面に出せずにいます。

自分のこころのなかには周りの人とは違うものがある、
と感じている人もいる。正常か異常かという区別をすると、
自分は特異なグループに入る人間ではないか、
とおびえている人もいる。

そんな人たちは、周囲の人には決してそのことを知られ
ないようにする。知られれば、この競争社会では
ハンディキャップとなり、落伍することになるからです。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
弱きも強きも皆宇宙の力
 弱者があって強者があるじょ。弱いものには弱いものの強かさがあるぞな。また、強いものには強いが故に脆さがあるぞよ。
 
 弱さや強さに価値観があるのではなく、皆、宇宙での役割にすぎんじょ。弱さを体験し、弱さから学ぶ、そして強さを持ち、強さ故の苦悩を知る。何よりそれを体験する魂は1つではないじゃ。
 強さも弱さもそれぞれ体験せねば、両方を乗り越えることはできんじゃ。

 強さも弱さも相対的なもんで、そのとき両方を知ってはじめて、その背後にある力の強弱を知るじょ。だから、自分のなかに強さと弱さが共同生活しておるぞ。

 強い部分が出れば、弱い部分がひっこみ、善い部分が出れば、悪い部分が隠れているじゃ。紅あげて白あげての旗あげと同じじゃ。

 相手によって、紅白の旗をあげているようなもんじょ。

 「紅もよし、白もよし、富士の山、元の姿は変わりざりけり」って、山岡鉄舟の詩のパクリはいかがですかな? 
2006/12/12(Tue) 22:10 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
弱さを知って強くなりました。
自分の醜さに気がついて、天使になりたいと思いました。「いい子」でいたのは、幼い頃に生きんがために自然に身につけた知恵。それを抑圧とも知らずに大きくなったから、バランスがとれずに不安な毎日でした。夢日記をつけたのは、本当の自分に会うためでしたから、真剣でした。今はその子が現れてくれたので、自分の弱さや、醜さが発見できて、とても落ち着きました。人になんといわれようと、長い間苦しんできた、この子と共に歩み、本当の意味で人間らしく、やさしさと愛のある人間に成長したいと願っています。注文していた、「巨人・スウェデングボルグ伝」が届きました。今日から読みます。
2006/12/12(Tue) 18:43 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
マリアさん^^
マリアさん、やまんばはわざとではありません。性分。弱みをみせてるようにみえるのですね。ケケッ。やまんばは知りたいだけですよ。やまんばはマリアちゃんの弱さを知ってるよ。マリアさんは強そうで強くないよ^^。やまんばはマリアさんのそこが好き。風と共に去りぬのスカーレットみたいだよ。ビビアンリー。着る洋服がなくて、グリーンのベルベットのカーテンを、引きちぎって、素敵なドレスを作り、好きな男の前に出ていく。かっこいい~!やまんばもそんな人になりたいけど、あの歯切れのいい言葉が瞬間でません。翌朝おきたころ、あっ、そうか、あ~言えばよかったのになあ、と歯軋りするけど、間に合いません^^。ろくろくさんの好きな、金子みすずさんの詩、「みんなちがって みんないい」よね。
2006/12/12(Tue) 13:35 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
おはようございます☆

弱みをみせて同情かうのがいいのかしらねぇ~・・・

私も清らかな善人装おうかしら?無理だわ。。。

素直で従順な『生徒』役も演じたくないし。。

何か、私、ヒールみたいだわ

頑固で物分りが悪くて申し訳ございませんね!



2006/12/12(Tue) 10:42 | URL  | マリア #-[ 編集]
競争社会は間違った見方
 自然は平等に種を産み付けておるじゃ。食物連鎖の底辺にいる植物や動物たちは、沢山卵(種)を生むのは何の為じゃろう?
 競争社会の視点からみれば、確率的に子孫を残すために、沢山卵(種)を産むと安易に考えがちだが、これは間違った考えなんじゃ。
 生き残った者が勝者で、他に食べられたり、孵化(発芽)しなかった卵(種)は、敗者と考えるのは、人間的な自己本位の利己主義的視点にすぎんじゃ。近視眼的な間違った視点ぞな。
 生き残ったものも、他に食べられたものも、孵化(発芽)しなかったものも、全て、自然のなかでは平等な意味をもつ生の営みぞな。
 大いなる自然の営みから考えれば、他の生の為に、食され、自己犠牲となった魂は、それだけで尊い貴重な存在といえるだろう。他に食べられたり、孵化せず、海や土の養分となる卵や種がなければ、他の生命は存在することすら、できんぞな。これら他の犠牲になるものがなければ、自然の営みは大いなる破局を迎えるぞな。そして喩え、生き残ったものも、食不足から苦しみ、いつ死の迎えがくるかはわからないぞな。
 神々は、生き残ったものではなく、他への自己犠牲となったものこそ、愛の営みを行ったものこそ、喜ばれるのじゃ。
 このような機会を沢山与えるために、神々は、食物連鎖の底辺にある植物や動物に沢山の生命を宿せる特権を与えたじゃ。だからして、これら植物と、沢山の卵を生む動物の霊は、人間よりも、生命を宿せる高次の存在なのであるじゃ。
 だから、食事をする前に、犠牲になってくれた高次の霊たちに感謝せねばならないぞな。理性的な文化ならば、これは礼儀として、生活に定着しているはずじゃ。
2006/12/12(Tue) 09:39 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
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