2006年11月27日 (月) | Edit |
A・スマナサーラ著「運命がどんどん好転する」慈悲喜捨の瞑想法 国書刊行会より(1)


ふつう私たちは宗教を
どういう概念で捉えているのでしょうか?

いろいろな解釈、さまざまな理由が
考えられるでしょうが、

超科学という言葉が言われて久しい
文明科学時代の今日でさえまだこの世には
どうしても科学では証明できない、

認識できない現象があって、
その現象が人間の幸・不幸に微妙に
かかわり合ってきているため、

そこに生じるさまざまな理不尽を
解くために存在するという認識もあるのでは
ないでしょうか。


誤解を恐れず簡単かつ乱暴な例を挙げれば、
どんなに勉強ができて頭のいい人間でも
信じられないような悲惨な人生を送ったり、

だれから見ても悪い人間でいいことは
何一つしていないにもかかわらず、

悩みごと、苦しみごとのない幸せな人生を
送る人がいるように、理屈や合理性、

合法的には割り切れないそういう現実が
あるからこそ、それを探求するという名目で
宗教というものは存在しているようです。

理性や理屈、合法的に実現できない世界を、
あたかももっともらしい理屈をつけて
希望をかなえてくれる、

それが現在宗教に抱いている一般の概念であり、
期待感なのです。言い換えれば、我々はこの世の
出来事のすべては形而下の現象として捉えている
のですが、

人間の弱さというのか、自信のなさとでも言うのか、
形而上の現象を否定できずに肯定したいという心があって、
それが宗教という概念を育てているという言い方もできる
でしょう。

合法的、合理的には実現でき得るはずもない希望や
願望をかなえてくれる宗教の世界は、しかし日本では
ベストセラーとなる商品をつくりだしてしまいました。

いわゆる商売繁盛とか、家内安全とか、病気治癒などを
“売り”の宗教用商品にして商売をするわけです。

何も苦労もせずに商売が上手くいったらいいなあとか、
みんな自分勝手に生きられて家族がそれぞれ健康に
生きられたらいいなあなど、夢のような願望を人間は
持ってしまうのです。

その要求にぜんぶ応えてあげましょうというのが、
皆さんもよくご存知の宗教という名の商品です。

しかしこの宗教も、たとえば健康商品をひとつとってみても、
ちょっと考えてみれば矛盾だらけの“売り文句”なのですが、
人はそのことに気がつかない。

人間は欲が深いから、長生きがしたい。
長生きを望むのは結構なのだけれども、
それとともに歳も取りたくない。

でもこれは大変矛盾した要求ではありませんか。
歳を取りたくないのなら若いうちに早く死ねばいいのだし、

長生きがしたいのであればどんどん歳を取って
老け込んでいく以外、生理学上人間の身体はつくられて
いません。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
「現世利益」を願う心
この碌々(ろくろく)ブログも「現世利益」を願う心
丸出しですし、日々私現世利益を願わない日はないです。

その点上座部仏教のA・スマナサーラさんとは
ちょっと意見の違うところがありますが、
A・スマナサーラさんから学ぶところも沢山あります。

マリアさんの
「そうしたいから、そうせずにいられないからする」
というのはほんとにその通りだなぁ~と思います。


2006/11/28(Tue) 10:45 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
エネルギーの交換
やまんばさんの
愛したり、愛されたりするのは、
エネルギーの交換をしてるのではないでしょうか。

というコメントに共感しています。また、

宗教は、私たちが、宇宙の法則で守られ愛されていることを、「知る」ことであり、それを、人間同士で具体的に実行する方法を学ぶことではないだろうか

というところにも共感しています。


2006/11/28(Tue) 10:36 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
皆で絶望感を味わう時期じゃに
911の事件は、皆で絶望感、非力さを味わうよい教訓じゃに

錬金術者のコメントはいつもハッとするところがあって
大変有り難いです。

私の場合も、絶望的でどうにもならないときに
新しい発想が生まれたり、
もう1度原点に戻ることができたり
しています。




2006/11/28(Tue) 10:31 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
お互い皆で分かち合う
 皆でいま、この生きている瞬間をどれだけ分かち合い、理解できるかだと思うだに。
 やまんばさまの「人間同士で具体的に実行する方法」だとも思うし、マリアさまの「そうしたいから、そうせずにいられないからする・・・のが真の信仰」だとも思うし、ろくろくさまの毎日のブログ掲載も、そうだと思うし、皆、それぞれのこころを万華鏡のように展開しているだに。
 なんと宇宙は神秘に富む世界なんじゃろう。
 少なくとも、日々、何かを人として、その体験として、思考として表現すべきだと思うぞな。
2006/11/27(Mon) 23:24 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
こんにちは☆

誰でも心のそこには「現世利益」を願う心が(求める内容は多少違えど)持っていると思います。

ただ、本来、宗教って信仰したから幸せになるとか、天国へいけるとか、現世利益を含め、そういう為の効果を安易に期待するべきものではない、と私自身はそう思っています。

「正直に生きる」のも、「良心に背かずに生きる」のも、そうすればいいことがあるとか、幸せになるとかの、損得勘定ではなく、損であろうが得であろうが、そうしたいから、そうせずにいられないからする・・・のが真の信仰で、それがひいては『愛』に通じる行為では?と思います。。。なんて、口にするのは簡単ですけれどね(笑)。。
2006/11/27(Mon) 15:41 | URL  | マリア #-[ 編集]
念ずることはエネルギー
肉体の動きも心の動きもみんなエネルギーなのですね。ご飯を食べるのは、体のエネルギーの供給。では心はどこからエネルギーがやってくるのだろう^^。愛したり、愛されたりするのは、エネルギーの交換をしてるのではないでしょうか。だから、宗教は、私たちが、宇宙の法則で守られ愛されていることを、「知る」ことであり、それを、人間同士で具体的に実行する方法を学ぶことではないだろうか?最近そう思うのです。
2006/11/27(Mon) 15:00 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
ライオスのとるべき態度
 ライオスは、自らの子に殺されるという神託をうけたがに。
 さて、考えてみれば、人間に死なない者はなく、人生を善く生きようとすれば、みせかけの人生の長さに意味をもとめるのは、無意味だとわかるはずじゃ。
 王になり、どんなに栄華を極めようとも、老いて時代に合わなくなれば、いずれ優秀な部下にとって代わられるわけじゃ。
 栄華を究め、老いて弱者となるとき、その全てを失う悲劇を味わうよりも、かえって、はじめから何も持たない貧乏の方が、マシかもしれんぞ。
 貧乏でも、愛があれば、子を持つこともでき、子が優秀であれば、親を救ってくれよう。幼いときの貧乏生活が、将来、役に立つことは、実は非常にありふれた話じゃぞ。嘘だと思うなら、創業者(一代目)の幼き頃を調べればよいぞ。
 子孫に美田を残さずとは、その教訓ぞなもし。
 真に貧乏な親ならば、たとえ子に殺されようとも、日々の苦難や苦痛から、救ってくれた人だと思うわけじゃ。
 命は、自らが愛するものに捧げることで、輝くのだから。武士道の本懐は、愛すべき社会、愛すべき主君に自らの命を捧げることに意味をもつだに。
 子によって殺されるのなら、見ず知らずの愛すどころか、憎まれる部下に、辛い目に遭わされ、殺されるよりは、マシだと思うぞな。
 愛すべき人に、自主的に命を捧げるのなら、かえって、生きることを意味するぞな。キリストは、実際、それを行ったぞな。また、武士道にも、以下のような詩が残されておるじゃ。
 切り結ぶ太刀の下は、地獄のなれぞ、一歩踏み行けば、後は極楽
 地獄か、極楽かは、我々の心のなかにあるじゃ。
2006/11/27(Mon) 12:18 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
悲観的な考えに絶望するとき
 人はよく、世の中が狂っていると、他の責任にしますだが、世の中が狂うことはなくで、それは考え方が、もはや使い物にならなくなったことを、意味してるだべ。

 人間は大きな宇宙の進化や地球の流れに合わせるしかないんだに。大きな流れ、地球の環境の変化を知らずして、どのような生物や人類は生存できんじゃやに。かつては、神々との対話を通して、その流れを読めていたわけじゃ。

 確かに、ギリシア時代には、陰鬱な絶望感が漂っていたそうな。なぜなら、エジプト時代には、神々と対話ができた優秀なファラオも、利己心から堕落して、ギリシアの頃には既に、そのように神々と対話が出来る人物がいなくなったからだという話だに。

 そのような喩え話が、先のスフィンクスの謎々であり、エディプスの話なんじゃ。

 つまり、ギリシア時代に、神々と対話できた意識、考え方を、人類は失ってしもうただに。だから、その代わりに、ギリシア哲学という新しい人間の理性や悟性を基にした独自の意識、考え方が発展していくだに。宇宙の流れから独立し、ある意味、自然に逆らって生きる見せ掛けの競争原理の手法を用いた生き方だに。

 このような思考法は、アリストテレスに始まった科学的な論理思考法にあり、現代になっては、もはや、使い物にならなくなった絶望の思想となっただに。勿論、アリストテレス自身は、そのとき、現代科学のように、自説が曲解されようとは、思いもよらず、悲劇が喜劇にならずに、後世の唯物主義の信仰者に、悲劇が絶望につくりかえられたわけだが、人類のために充分な体験となったわけだに。
 
 なぜなら、人類は、過ちを犯さないと自覚できず、絶望感に至らないと、真剣さ、人生をよく生きようとしないからでもあるじゃ。宇宙の流れを知るには、実際に、痛い目にあってから、身体で感覚として理解する方法を選んだだに。肉体に鞭を打って、苦悩や苦痛として、理解するしかできなくなったんじゃに。

 苦悩、苦痛を逃れるために、科学的思考から、物質的創造世界をつくりあげたわけじゃが、物質はいずれ崩壊し、それは死を束の間延ばしたにすぎんじゃ。

 ただ、人類は、目先のことに囚われ、全体から逃げているだけじゃ。だから競争原理の勝利者には、充分な物質的な報酬を与え、そのエサのもとに、悪魔のごとき奴隷として全体を統治しているだに。つまりは、メフィストフェレスの統治であって、絶望感の下に、苦悩や苦痛を強いるわけじゃに。

 しかし、人間が他の不幸や犠牲の基に、利己主義の幸福をいかに築き、競争原理をいかに正当化しようが、それは他者の不幸が克服されない限り、巡り巡って、何倍にも絶望に近づいて訪れるだけじゃ。

 競争原理の方法をやめない限り、苦悩や苦痛は絶望として訪れる。悪魔が扉を叩くわけじゃ。

 悲観的な考えを、喜劇的な考えに、皆が皆で、幸福になろうという意志がなければダメじゃに。皆で絶望感を味わう時期じゃに。911の事件は、皆で絶望感、非力さを味わうよい教訓じゃに。物質的豊かさは、悲劇でしかないじゃに。
2006/11/27(Mon) 11:16 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
悩んで眠れない
てことは私もほとんど記憶にありません。

寝つきが悪いこともほとんどありません。
特に最近は5秒も持たずに爆睡です。

たまに夕方に飲んだコーヒーが原因?で
眠れないことがありますが、
そういう時はめったにないチャンスですから
好きな本を読むことにしています。

2006/11/27(Mon) 10:36 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
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