2006年11月11日 (土) | Edit |
土居 健郎 著「表と裏」弘文堂より(29)


イエズスが非業の死を遂げる二、三日前、
彼を愛する一人の女が訪れて、

彼の頭に高価な油を注いだ時時の出来事は
暗い予感に満ちている。

彼自身はこの女の行為を、間もなく起きる
彼の埋葬の準備と受取ったが、
そのようなこととは露知らぬ弟子たちは、

課の丈の行為に共感を示すどころか、
むしろつまらぬ浪費をしたとして女を叱責した。


すなわちこの期に及んで、
イエズスの愛は弟子たちの硬い心を
解かすことに成功していないのである。

しかもこの晩、あたかもこの女の行為に
反撥するかのように、弟子のユダはイエズスを
裏切ることを敵に通告している。

そしてその次の晩のこと、後に最後の晩餐として
知られるようになった食事の間にイエズスは、
これから迎えようとする死が弟子たちをはじめ
多くの人々の救いのためであることを宣言した。

そしてこれこそ、彼の弟子たちに対する
初めての愛の告白だったのである。

彼はまた同じ席上で、弟子たちに対する細かい心遣いを
ほとんど面々と云いたいくらいに吐露しているが、

これは、ヨハネ福音書によるとユダが敵との
最終打ち合わせのため席を立った後のことであり、
この点は極めて人間的な感じがするのである。


すなわちイエズスも『こころ』の先生も、
パタンはまったく同じで、死に臨んではじめて
自分の愛を告白したことになる。

もっともイエズスの場合、
『こころ』の先生のように、愛の他に告白すべき
重大な秘密が存在したわけではなかった。

むしろ指呼の間に迫った死が彼の愛の究極の証
であることこそ彼の最大の秘密であったと云える。

このように見て来ると、
なぜ彼がこれまでラビ(教師)としての公的生活の間、
自分の真の使命を人々に秘したかが理解されるように思う。

また愛を使命とする者が、最後の瞬間まで愛を秘した
という事実に、愛が本来心の深い秘密に属するという
一般原則がはっきり示されているように思われるのである。


次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング



スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
錬金術者さん
はげまし?のコメントありがとうございます。

自分勝手に考えれば、

○悪用はしていないこと
○これによって収入を得ているわけではないこと
○できるだけ著作の本文に手を加えないように
心がけてはいますが、けっしてまるごとコピーではない

などなどで、黙認していただけたのでしょうか。

万が一著作者の方などから訴えられることになれば
裁判沙汰にするつもりなどありません。
いつでも「ろくろくブログ」を閉鎖する覚悟はできております。


錬金術者さんの言われる
「ろくろくの意見を最後にもっと載せる方がいい
のではないかと思う」

に関しては、個人的な意見をできるだけ載せないで
先入観ぬきに、名著等にふれて頂きたいと考えています。
尋ねられたら意見を述べさせていただくという
スタンスでこれからもお願いしたいと考えます。




2006/11/13(Mon) 17:50 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
教育に使用ならばよいのでは?
 著作権とか特許権とが、所有権は、人類の悪しき習慣ぞな。特許権などは、エリザベス女王が、我儘からつくったもんじゃそうな。元々、思想は、誰のものでもなく、人類皆のものぞな。はっきりいえば、人類のものでもなく、宇宙のものぞ。
 霊がとりついて、その人に与えたもんぞな。キリストだって同じじゃから、キリストは、自分の教えとはいっておらず、父や、自分をこの世に使わしたものの教えといっておるじゃ。
 パクリを言い出したら、きりがなく、全てがパクリじゃ。仏教はお釈迦さまの教えのパクリだし、西洋思想は皆、聖書のパクリだぞな。それで所有権を主張するのは、偶像崇拝の何ものでもなく、モラルが問われよう。そのうち、水や空気や環境まで、所有権をもちだす阿呆がでてくるだろう。
 そのような教えを、自分のものとしてしまう罪悪は計り知れないぞな。恐らく自ら地獄にいくだろうよ。ましてや、カネを貰うなぞとは人間の愛の足らざる行為ぞな。だから、宗教者の多くが地獄にいっているという。
 正しい教えならば、無料奉仕を喜ばねばならんぞな。教育にカネをかけることが何処から来ているのか考えるべきぞ。助け会い、カネを寄付する習慣がなくなったので、所有権なぞというおぞましい悪霊の考えがとりつくぞなもし。
 文面のみでなく、ろくろくさまのご意見を最後にもっと載せる方がいいのではないかと思う。
2006/11/13(Mon) 10:08 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
凸凹ぴったり=愛
今回のやまんばさんのコメントは独創的で
大変すばらしかったです。

やまんばさんのコメントの一部分をご紹介しようと
思ったら、全部になってしまいました。

人の形を丸に例えたら、完全な丸(丸=神)はなく、
みんな独特の凸と凹を持っているとします。
漱石のこころの中の「先生」の凹は、
世界広しといえども、
「私」という存在の凸でなければならなかった。
互いが出会って、はじめて一つとなり癒された。

どちらにとっても、必要欠くべからず出会いの凸凹だった。
「なつかしい」という感情がおこる出会いは、
この「凸凹ぴったり」がおこりうる可能性が多いのでは
ないでしょうか?一種のサイン。

こういう出会いがあると人間は完全な丸になった瞬間を味合うのだから、
いつも一緒にいなくてもその後は落ち着くと思うのです。
たとえなくても、神とか仏と呼ばれる存在はこちらが目さえ向けば、
あらゆる凸凹に、いつでもどこでもぴったりはまってくださると思います。
だから、さみしがらなくてもいいと思います。

この組み合わせ(=愛)はあらゆるこの世のしがらみを超えておこると思うし、
また本人同士しかわからないと思うので、秘密なのだと思います。
やまんばの{わかる}を言葉に置き換えたらこんな風になりました。


2006/11/11(Sat) 10:57 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
碌々(ろくろく)ブログは盗作?
今朝ほど匿名の方から、当「ろくろくブログ」は
盗作ではないか?著作権侵害ではないか?
というコメントがありました。

毎回記事にしている著者名や書籍名を最初に明記していますので
盗作にはあたらないと思いますが、著作権侵害に関してはわかりません。
これを販売しているわけではないのですから、どうなのでしょう。

今年の1月3日に当ブログをスタートさせて頂きまして
いままで多くの本などを掲載させていただきましたが
目下のところ著者の方や出版社から苦情などのメールやコメントは
ありませんでした。

この件に関して詳しい方がいらっしゃいましったら、
どうぞお教えください。
よろしくおねがいいたします。



2006/11/11(Sat) 10:21 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック